幻の光の作品情報・感想・評価・動画配信

「幻の光」に投稿された感想・評価

slow

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4.8
覚えているのは味というより色に近く、思い出せるのは、その物より、物足りなさへのほんの憧れ。初めてのクリームソーダは、ふたりでひとつ。まざり合う前の春の海が、とてもとても鮮やかだった。銭湯の帰り道で。待ち合わせの喫茶店で。ふとした時によみがえる初体験の感覚を、そんな子供の頃の話、忘れとったわ、といつかあの人はわらっていた。あの頃の面影を残してわらっていた。暮らしの中に、あるはずのないものを見つけることと、あったはずのものを見つけること。それを、さもわかったかのようにもてなして来た日々のこと。雨降りの予報がずれ込み、濡れることもなく軒下に置き去りとなった誰かの傘のように、わたしは今も、待っているのかもしれない。あの鮮やかな世界がまざり合ってしまったばっかりに、記憶に残らなくなることだってあるということを、まだ知らずに。
【過去鑑賞】
江角マキコが乳出したことはよー憶えとるんだが(笑)。
あとは忘れた。
印象としては暗いけどなかなか良かったような。
suama

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3.1
是枝裕和監督劇場映画デビュー作
ひとりの女性の“生と死”“喪失と再生”を描いたドラマ
全体的に暗い
そこそこ苦手よりの好みでない感じだったから、正直少し退屈
幻の光は救いの光なのか?
残された者の苦しみ。唐突な死による喪失感を、言葉少なく映していきます。自然な表情を引き出す是枝監督らしい表現が魅力的。田舎の「ほのぼの感」と、拭えない喪失の苦しみが、合わさり、独特の雰囲気を醸し出す。
波音聴きながら眠るの気持ちよさそうすぎて裏山。

人生ってわからないことだらけ。そういったわからないものと、どう折り合いをつけるのか、それが人生。
んな

んなの感想・評価

-
北村道子さんの仕事が観たくて久しぶりに。たっぷりの黒と時折纏う色が心象と重なり翻る。奥能登の風景。低いカメラがキッチン全体を捉えているところや、大阪のシーンも大好き。よう言われんけどなんだか残る子供の台詞。不在の確認作業はとても辛い。いろんなことが厳しいけれど、ずっと美しい
shoyan

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3.0
その後の是枝作品にも通じる、いない人の存在感。死者に語りかけている、死者に見られているという感覚。

生と死というのはハッキリわかれているものではなくて、生の中に死は含まれているし、死によって我々の存在がなくなるわけでもない。生と死は互いに照り返している。

似非関西弁が野放しになっている所に、当時(1995)の関東・関西のギャップを感じさせられる。
陽

陽の感想・評価

5.0
たぶん、何回も観たら露呈してしまうような脆さはあるんだと思うんだけど、それでもその脆さも好いてしまうような
べん

べんの感想・評価

2.5
構図がまんま小津だったことと江角マキコのヌードしか覚えてない。
思えば、前半部分で踏切のバーが落ちるギリギリに線路内に滑りこみ、そこから家路の曲がり角まで全速力で自転車を漕ぐ浅野忠信は、曲がり角で過ぎゆく電車を見ていた。

『歩いても 歩いても』という作品が、偶然撮れてしまった作品だと穿った見方をしていた自分を強く呪いたいと思うほど、しなやかな映画的感性に彩られた傑作。

小津よりも成瀬の影響を公言する是枝裕和は例えば、転がった電球を映すがしかし(それはまるで『女が階段を上る時』のコップが流転するショットのようである)、小津的な誘惑からもまた逃れられない。小津的なものから離れようとする是枝監督は最後の抵抗として、画面中央にいる工場を覗きこむ江角マキコを小津的なものより少し遠めから映すだろう。

それにしても、やはり『万引き家族』の雪の積もる夜の俯瞰ショットに見られたように、印象的なロングショットばかりだった。これが是枝的なものなのかと。それはなるほど、過ぎゆく電車と並列した形で歩く江角マキコであり、海へと向かう漁船であり、ただ電車が過ぎる空ショットであり(その電車が過ぎ去った後の間こそ、まさに小津的である)、炎の燃え盛る海辺であり、俯瞰で映された吹雪(これは明らかに人工的である)の中の葬列の一行のように、何か記号的なものと意味的なものの間を漂うような、心地よい薄気味悪さであり、是枝的ペシミズムである。

この恐ろしいショットをおさめた是枝裕和と中堀正夫には驚倒せざるをえない。
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