沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の作品情報・感想・評価

沙羅双樹(しゃらそうじゅ)2003年製作の映画)

SHARA

製作国:

上映時間:99分

ジャンル:

3.7

「沙羅双樹(しゃらそうじゅ)」に投稿された感想・評価

m

mの感想・評価

3.3

気が合うか合わないかでいうとたぶん合わない。二つ目の窓みたときと同じような気持ちになった。

生命誕生の苦しみや自然の恐ろしさ、根底になにかドロドロしたものが蠢きながら、作品自体は終始静かで、たまにそのドロドロが出てきて苦しくなる。
女性がみた世界観、生を生み出す女性というものだとかをあらわしている気がする。

そういうドロドロしたものと、日常の静かな景色、畑で野菜を育てるだとか、お祭りだとか、他人との会話だとか、なんか全てがわかりすぎて、共感?しすぎて、わたしにとっては新鮮味がなくて物足りない。

出産シーンはほんとに痛々しくて、絶対子供産みたくないって思ったし、こんな生命誕生の痛みを生理含め女が全て請負ってる時点で男と女は不平等であるのに、最近あたかも男女は人として平等である的な考え方が主流になってきつつあることにも改めて苛々した。

しかしこの街美しいな、今でもこんな街なんだろうか。撮り方もあるだろうが東南アジアや台南みたいな雰囲気。その街を背景にした女の子のお母さんの着物姿が美しすぎて、それだけめっちゃ記憶に残った。
miyagi

miyagiの感想・評価

4.0
「バサラ祭り」のエネルギッシュさ、多幸感は異常。
町の人たちを巻き込んでのグルーヴ感はこういう画にハッキリと現れる(欲を言えばヒキ画が見たい気もしたが)
直接的な出来事を一切描かず、ハッキリしたことを演者に言わせないスタンスはやっぱりすごい。
事件を通した登場人物の心の機微をひたすら描いてる。
この作品もカメラ (山崎裕) が素晴らしい。
冒頭、込み入った迷路での神隠しのシーンにおける
長回しが、ラストの分娩シーンに繋がる。
それは恰も輪廻転生を想わせる。
my

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2.7

冒頭からシャッタースピードを変更してフィルムのマテリアルを前傾化した倉の中の手持ちの空ショットから始まり、奈良の町屋を走る少年たちの長回しのショットが続く。風が吹き渡り、木々が揺れ、屈託のない神話的な遊戯から現実的なその土地の共同体の日常に1カットで接続されるそれらは、この固有の映画の不気味なものの肌は、爆音気味の音響も含めて十分に伝わった。
山崎裕という胡散臭く人の良い日本型自然主義のベテランキャメラマンが捉える人称性を帯びたカメラの壮大な長回しは、相米のない破れかぶれでもあり、相米じゃなく苦しくもあり、主人公の見上げた視線の先をフォローすると風に揺れる樹木がちょうどよく映り、あざとくすらあるのだが、河瀬は、俳優たちの演技を含めた自然さの彼方(反古典的)で、うらぶれた神話的な路地の悲劇を半ば豪腕に決めてくる。
なんの情緒もない急なスコールは雨量が膨大すぎ、一面水しぶきだらけで画面が真っ白にすらなる、その適当なカメラも相まった豪腕さは笑えるし、図式的な悲劇と煩悶、カタルシスが続き、真摯にその土地と生に向き合うこの日本を代表する奈良の偉大な映画作家が伝える有意義な学びに、主人公の少年は涙を流すだろう。困った時は露出オーバーかアンダーの只中に、ぞくぞくするようなお経が聞こえるし、反復する重要な台詞の音だけのフラッシュバックを重ねるのはダサく、官能と活劇ゼロの日本映画の代表格が河瀬であり、これは世界で売れる。気持ちよくなる観客と共犯関係を結べば、依存的に心地よい身売りができる映画だ。そう、資本主義なのだから、芸術と言えども生きている限りは、了解可能な何かを他人に売らなければならない。河瀬本人の顔は能面のように平たくおもしろくはない。静止した少女と少年のキスは、感情を停止させ、カメラの距離でそのリアクションをする山崎裕の手持ちがよくわからないというか、何の感情も想起させずにその場の時間を切り取っていた。これはいい映画なのか?木造建築の高低さのない奈良の町ってそんなにおもしろくはないし、映画自体に取りつく島はない。ただただ圧倒され、非常に疲れる映画だった。アーカイブの帰り道と入った美々卯のお店の日常が、知覚的に変貌して見えたのだから、やはり偉大な映画なのかも知れない。

公開当時だいすきすぎて、すぐに奈良に行きバサラ祭りを体験し、主演の少年が踊っている姿すら見た10代のわたしの見識を今は疑わざるをえないでしょう。日本映画はあまりに日本に似すぎている。『過ぐる日のやまねこ』は宮崎駿ではなく、むしろ河瀬が参照点であると思うし、思い浮かぶ他の若手の日本の監督でも、斜に構えて見れば、この河瀬的な牧歌的な不気味さの押し売りは、未だにある形式に憧れている(そんな自己表現が映画だと勘違いしている)者たちに、意識的にも無意識的にも、河瀬的なものは固有の文化として受け継がれているのだろうと思った。日本映画はやはり素晴らしい。これぐらいの貧しさしかこの国の映画で売れるものはないとでも言うのか?馬鹿な。くたばれ河瀬。勝手にしやがれ
A

Aの感想・評価

-
好き嫌いがはっきりわかれそう。冒頭の神隠しの長回しはいいんだけどそのあと出てくる監督本人に苦笑い。何が白茄子や……
前半は面白いけど、バサラ祭り以降は微妙。生命の称揚的なテーマが含まれてると思うのだけれど、それがあまりにも素朴すぎてゲンナリ。この感想はあくまで自分の趣味の問題であって、決して悪い映画ではない。
フタコイオルタナティブのことではないけど双子の話しではあった。生瀬勝久が良い笑顔をみせる。というかああいう顔が好きってだけかも。男の子はアムロっぽくて、女の子はかっこよかった。庚申さまのことも知らないし、読経しているお坊さんのまわりで、おおきな数珠をみんなでぐるぐる回すのは、あれは何をしているのだろう。庚申待ちは母親の実家ではあったらしいのだけれども、どんなものかはよくわからない。すぐ近くの県なのに、奈良についてはずっと得体の知れない感覚があります

若干酔うほどに揺れる画面と登場人物の話し方が自然に演出されている。

先程までそこにいた兄が…という冒頭から面白そうな気配を感じたが、その気配だけが最後まで続いて、どこか盛り上がりどころが欠ける気もする。とはいえ、本作にはそんなものは必要ないかもしれない。

兄の絵を描き終え、新たに誕生した生命に涙する俊が愛おしくなった。
ならまちの夏の迷宮感。最後に奈良の上空へ登ってゆく視点は誰のものなのかを考えると鳥肌が立つ。沙羅双樹と2つ目の窓はどちらも撮影監督が大好きな山崎裕さんなんだよ。
しゃび

しゃびの感想・評価

5.0
生きるという普段当たり前すぎて意識しないことを、日常生活の中から力一杯感じさせてくれる作品。

作中言葉として出てくる訳ではないのだが、観ていて深く「営み」という言葉について考えさせられた。

ちなみに、コトバンクによると「営み」とは以下のような意味らしい。

1 物事をすること。行為。作業。
2 生活のためにする仕事。生業。
3 特に、性行為。
4 したく。準備。
5 神事・仏事を行うこと。

人が生きていてお互い関わり合うからこそ、様々な営みが生まれる。だからもし、今まで深く関わり合っていた人を失うと、当然営みは共有できなくなる。その喪失感と向かい合い、そしてどのようにして立ち直り前を向いてゆくのか。この作品はその過程を丁寧にゆっくりと描いている。営みの喪失から立ち直る方法は、やはり営みを紡ぐことだ。それは家族の営みだったり、コミュニティ全体の営みだったり、淡い想いよせる男女の営みだったりする。

兄弟を失ったひと、子供を失ったひと、愛するひとを失ったひと。カメラは街の中を傍観者のようにふらふらと彷徨う。
喪失そのものはあえて描かず、会話の中で知らされるだけである。なぜなら、この映画のテーマは生きることだから。

河瀬作品は、観るものをその世界へ導く引力がとても強い。路地の多い奈良の街並み、住空間、そしてそこで生きる人々の姿に観るものはどんどんと引き込まれてゆく。


途中あまり馴染みのない儀式が出てきた。長い数珠をみんなで回していて、何かの弔いの一種かと思ったら、外では縁日のようなものが催されており子供達が遊んでいたりする。どういう意味のある儀式なのだろうと思いながら観ていたが、後で調べてみると「地蔵盆」という儀式らしい。恥ずかしながら、私は全く知らなかった。
私の住む地域ではあまり目にしないものだが、意味合いを調べてなるほど、と思った。



ネタバレ↓

まず、きっちり観せるシーンを始めと終わりに持ってきているのが素晴らしい。

ゆらゆらと空中を揺らめくカメラからの、子供の失踪劇で物語が始まり、ラストは出産という物語の集大成となるシーンから、成仏を彷彿させる空を舞うカメラで締めくくられる。

ただの掴みとして、始めに見せ場を作る作品はハリウッドを中心として多くある。
そうではなく、テーマに沿った見せ場をちゃんと配置できている点でもこの映画は素晴らしい。100分足らずの尺にしっかり収め、かつ始めと終わりに主題に沿った見せ場を作る。それが出来ただけで映画は及第点だと思う。出来ている映画はそれほど多くない。

もちろんこの作品はそれだけではなく、中身もぎっしりとつまっていて贅沢なことこの上ない。
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