■NOTE I クローネンバーグ:(2022年公開の同名作品について)このタイトルはお気に入りだったので、また使うことにしました。そもそもこのタイトルは、クヌート・ハムスンというノルウェーの作家による『飢え』という小説に由来しているのですが、これは映画化されていて、ペル・オスカーソンが1890年代の詩人役を演じています。彼が橋の上で詩を書いている場面があるのですが、それを観て衝撃を受けたのです。“その詩を読んでみたい”と思いました。後に私が映画監督になったときは、“この映画を作りたい”と思ったのです。つまり、クヌート・ハムスンからタイトルを盗んで、今度は自分自身の作品から盗むことになりました。
■NOTE II デヴィッド・クローネンバーグがほぼ長編に挑戦した2作目『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』は、前作『ステレオ/均衡の遺失』が学生作品のように感じられたテーマや手法のいくつかを再利用しているように見える。成熟した彼の作風を示すいくつかの特徴は、一瞬のうちに焦点を結ぶが、その間に不可解な説明と非連続性が長く続き、63分の上映時間がその2倍に感じられるほどだ。しかし、クローネンバーグ的なハイコンセプトSFやサイコホラーの種はここにあり、挑戦的で時に不快なアートハウスの実験のように感じられる作品の表面上に頭を出しているだけである。
そこに、プロットという薄いベールがある。エイドリアン・トライポッド(ロナルド・モロジック)は、「ハウス・オブ・スキン」として知られる実験的皮膚科クリニックを経営する形而上学的科学者である。化粧品によって引き起こされる「紅の病」と呼ばれる症状によって、女性はほとんどこの世から姿を消したと、彼はナレーションの切れ端を通して明かす。この女性のいない世界で、トライポッドはインターンや、「Institute of Neo-Venereal Disease and Metaphysical Import-Export」などの組織で、患者や他の科学者と交流していく。風刺的なユーモアもあるが、乾いた文体とトライポッドの単調な語り口に圧倒されそうになる。
A.C. Koch. Oeuvre: David Cronenberg: Crimes of the Future. “Spectrum Culture”, 2020-10-15, https://spectrumculture.com/2020/10/15/oeuvre-david-cronenberg-crimes-of-the-future/
■NOTE III デヴィッド・クローネンバーグの熱狂的なファンでも、1970年の『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』を見たことがない人は多い。この作品は、キュレーターの卵のように見られているようで、もちろん、彼の作品全てがそうであるように、暗く、想像力に富むが、おそらく今ではあまりにも昔の作品で、確実に彼の後の作品の影に隠れている。1969年の『ステレオ/均衡の遺失』に続く、彼の2作目の作品である。『ステレオ/均衡の遺失』は、テレパシーや性的探求を扱った同じように短い長編映画で、『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』と同じく、後から解説が加えられた。この映画でもロナルド・ムロジクが黒い服を着て、恐ろしく見える。しかし、『ステレオ/均衡の遺失』が不気味かつ厳格であったのに対し、『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』は、注目すべき登場人物たちに息抜きの場を与え、奇妙な方法で、モダニズムの屋敷の中で道を選び、主人公が過去に遡って語りかけるというものである。この作品は魅力的であり、高い評価を受けている尖った映画作家が、そのキャリアの初期に何をしていたかを知ることは興味深いことである。
Juliette Jones. Cronenberg’s Crimes Of The Future Makes for Slightly Comedic Viewing Now. “Tilt Magazine”, 2021-01-20, https://tilt.goombastomp.com/film/cronenbergs-crimes-of-the-future-makes-for-slightly-comedic-viewing-now/
【機能なき完璧な臓器】 第75回カンヌ国際映画祭にデヴィッド・クローネンバーグ新作『CRIMES OF THE FUTURE』が出品される。なんと、彼の監督2作目とタイトルが同じなのだ。先日発売された『ファイヤーボール』のブルーレイに特典映像として1970年版の『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』が付属されていたので観た。恐らく、今回の新作の予告編がなければよく分からない映画だっただろう。しかし、予告編を観た上で本作に挑むと、50年以上先の映画を予言した代物であり、その間のクローネンバーグの原点ともいえる作品であった。ということで感想を書いていく。
ルージュ病が蔓延する世界にエイドリアンがやってくる。彼は館の謎を調べに来た。黒い液体を吐き、体から白い泡を吹き出す現象を見つめ、同僚が機能なき完璧な臓器に取り憑かれる様子を客観的に観察、分析する。そんな中、突然現れた男に患者が殺される。狼狽するエイドリアンの元にエラのような足を持つ男が現れカードのようなものを落とす。それをきっかけに、同僚が形而上学に取り憑かれた道へと誘われていく。クローネンバーグは初期作から、肉体的変容を哲学と結び付けていた。思いついたアイデアを荒く結合した代物で、かつ哲学概念を剥き出しで使ってくるので分かりにくさはあれども、『イグジステンズ』や『危険なメソッド』、『コズモポリス』の原点となる要素が垣間見え、また新作『CRIMES OF THE FUTURE』のガジェットに近いものを観測できる。クローネンバーグ映画好きにとって嬉しい描写が多い。