わが命の唄 艶歌の作品情報・感想・評価

上映館(1館)

「わが命の唄 艶歌」に投稿された感想・評価

え

えの感想・評価

3.9

このレビューはネタバレを含みます

まだ数本見ただけであるが信頼の舛田利雄、助監督に村川透!

冒頭♪パヤパパ〜のなか海の見える部屋で抱き合う渡哲也と牧紀子から持ってかれる
そこからの突然の自死、雪景色というのが憎い..
そして後々、渡哲也と出会った瞬間、完全に 愛に変わる憎しみ を讃えていたような松原智恵子とそこに戻ってくるという、またもどことなく憎い、、

めちゃくちゃ渡哲也を引き抜いてくれる佐藤慶、と思ったら実はめちゃくちゃ黒幕でどこまでも非情
松原智恵子にビンタ一発くらいかましてほしかった、、
しかし 貧乏人が這い上がるにはあんたみたいになるしかない という津上のことばになんとも言えない気持ちになる
当時の日本の世相か、

コマソンvs乞食節
日本人の音感が廃れた、という音楽的視点からの日本社会への切り込み、今やったらどんな風になるだろうか
そもそも 艶歌 と言えるような歌の地位が全く変わってしまっているしあらゆる音楽が溢れすぎていて難しそうだが、、
津上に一喝して欲しい気持ちはある、
それにしても団次郎の揺れには不安しかなかったな、、

途中のドキュメンタリーでちょっと映画とは離れた気持ちになり、まさに当時の 艶歌 に魅せられていた日本人の心持ち
竜にはモデルがいるようだがどこまで忠実なのかは疑問

津上と竜のショットも心惹かれるものがあった、屋上、誰もいないスタジオ
最後あんな風にやられたらさすがに聴こえちゃうよ、艶歌、、、

みんなタバコ吸いすぎななかの仁丹
今まで見た中で一番ノーマルでリアコ(?)な藤竜也..

京ちゃんのその後とか結局黒沢がトップになってしまうのかとか引っ掛かりは残りつつ
クラウンレコードとの商業映画であろうが、当時の歌とともにそこに取り巻く業界人、マスコミ、聴衆たちの絡み合いを楽しんだ
ネオン街の中の酔っ払い名曲メドレーなんて平和すぎて泣くかと思った

それにしても映画で競馬場が出てくるとワクワクする
逃げ馬 ということばに寺山修司が浮かんだがなんとなく渡哲也似ていないかという気付き。。
いやこれは大傑作。1968年日本版プレイリストムービー笑。水前寺清子の歌唱力すご。ジョン・カーニー「はじまりのうた」を50年早く先取ってる(嘘)。まあとにかく面白くて一瞬も目が離せず。そして全くスッキリなんかさせない幕切れも素晴らしい。
 まず気に入った点としては、ウルトラハイパーミラクル美少女・松原智恵子が殺人的に可愛い点と、青山浩二が演じる「団次郎」なる歌手のパフォーマンスである。この「団次郎」、歌うときに目が変な方向を見ており、しかも振り付けが珍妙かつ単調。それが背の高さ・ハンサムさと奇妙な化学反応を起こした結果、どうにも目が離せない存在となってしまっている。

 物語はかなりアンバランスで、特に渡哲也と芦田伸介が争う段になると、どうやら立場的にはプロデューサーにあたるらしきふたりが具体的に何をやっているのか全然見えないのがどうにも良くないと思う。また後半は演出自体もえらく急ぎ足&安易になり、売り上げを線グラフで見せたり、佐藤慶が突然悪者になったりする。
 ただそんな役にも関わらず佐藤慶はやっぱり素晴らしいし、芦田伸介も渋くて最高。渡哲也が夜の街で酔っ払って歌うシーンは、いかにも日活撮影所という感じの街のセットに魅了される。水前寺清子がはじめて歌うシーンも説得力のある演出(なにしろ流しで歌ってるのにドラムも鳴り出すし、スポットライトもあたる)、そしてなにより水前寺清子が非常に美しく画面に映えている。ラストで顔がポンポン出るのはちょっとどうかと思うが……。

 それにしても大好きな泉アキと青山ミチ(共に才能の絶頂期というべきだろう)が実際に動いている様を見られて感激。
監督の舛田利雄は、後年、劇場版「宇宙戦艦ヤマト」の監督としてもその名を知られるようになるが、日活時代は看板スターである石原裕次郎の主演作品を最も多く演出した監督しとして、いわば全盛期を支えたまごうことなきスター監督でもあった。その舛田利雄が、日活時代の末期に残した傑作がこの作品。

五木寛之の原作小説「艶歌」を、池上金男(後の小説家、池宮彰一郎)が脚色し、美術は鈴木清順作品で有名な木村威夫、助監督として村川透(「白い指の戯れ」という傑作を監督)の名前もクレジットされている。上映時間も109分と、プログラムピクチャーの時代にありながら、2時間近い作品であり、かなり力も入れられた作品であったと思う。

事実、作品は舛田利雄の才能をあるに発揮した素晴らしい作品となっている。まず、このタイトルとはおよそ想像もつかぬ、海辺のホテルの一室から作品は始まる。美術の木村威夫のセッティングだろうが、窓からは夜の海が見え、そこにふたりの男女と、部屋は当時では最先端であろうファッショナブルなインテリア。そこで主人公の渡哲也と芦川いずみが結婚の約束をする。監督の舛田もかなり垢抜けた映像で応えている。

結婚を承諾したのに、何故か暗い顔を見せる芦川。タバコを買いに行くと言って部屋を出たまま、芦川は車ごと海に飛び込んでしまう。何故、芦川が死を選んだのか、この謎に対する問いかけが、作品の中では終始渡哲也の行動原理の根幹に潜んでいる。そして、この海辺のホテルの一室でのふたりの会話が印象的だ。このあたりは脚本家である池上金男の文学的センスが表れているのかもしれない。

ファッショナブルな冒頭の後は、ひたすらタイトル通りの「演歌」な世界が展開される。渡をコビーライターからレコード会社のディレクターに引き上げる佐藤慶。そのレコード会社の伝説的なディレクター高円寺竜三役の芦田伸介。そこに芦川の妹である松原智恵子が登場し、この4人の間でなかなか濃密なドラマが繰り広げられていく。

五木寛之が作家になる以前にクラウンレコードの専属作詞家をしていたせいか、当時の所属歌手が実名で登場する。まずタイトル曲でもある「艶歌」を歌う水前寺清子、黒澤明とロス・プリモス、泉アキ、笹みどりとまるで歌謡映画のようだが、ここでも舛田利雄の演出は光っており、きちんとストーリーに組み込む形で、単なる顔見せにならないよう登場させている。

主人公のライバルであり、リスペクトの対象でもある高円寺竜三の役を、日活の俳優ではない芦田伸介をキャスティングしたのも、この作品に不思議な重みを与えている。もちろん大島渚作品でもおなじみの佐藤慶の悪役ぶりも確かな芝居で、このふたりの演技派俳優と、渡哲也も松原智恵子も違和感なくわたりあっているのも特筆すべき点だ。

渡哲也と芦田伸介が暗いスタジオで言葉を交わすラストシーンも、まるでアメリカンニューシネマを思わせるような黒白つけぬ幕切れで、当時の作品としては新鮮な感じを受けた。五木寛之の原作からの引用だろうが、そこここに登場する「艶歌」の定義にはやや泥臭い感じを受けなくもないが、この作品をかくもモダンなかたちに仕上げた舛田利雄の感覚と木村威夫の美術と池上金男の脚本のベストマッチングに拍手を送りたい。終焉期の日活にあって最後の光芒を放つ名作であることに間違いない。