ブロンテ姉妹の作品情報・感想・評価・動画配信

「ブロンテ姉妹」に投稿された感想・評価

「嵐が丘」の暗い雰囲気そのもの。
イザベル・ユペールの若い頃、初めて観たかも。
LeShinji

LeShinjiの感想・評価

5.0
数年前にシネマテックで観ました。
大変豪華なキャストで、それだけで一見の価値はあります。しかし、ある程度はブロンテ姉妹と彼女たちの弟についての知識があった方が楽しめると思います。
[戻っておいで、荒野は砂漠だ] 60点

『ジェーン・エア』のシャーロット・ブロンテ、『嵐が丘』のエミリー・ブロンテ、『ワイルドフェル・ホールの住人』のアン・ブロンテの三姉妹を描いた年代記。のはずが、才能のない弟ブランウェルがめちゃくちゃ出てくる。姉妹についての記録があまり残ってないのか、家から出なかった姉妹の生活がブランウェルのエピソードに比べて薄いのか知らんがめっちゃ出てくるし、実際にエピソードが濃いのでそっちに持っていかれる。なのに作家としての彼女たちの部分にはあまり触れない。『嵐が丘』そのものみたいなロケーションは素晴らしいが、彼女たちが家の中に押し込められているからあまり登場しないし、登場してもほぼ背景としてしか機能してないのが残念。ただ、弟が死んでからの30分は姉妹も死に向かって緩やかに歩んでいく無情さがあって良かった。アンなんてエミリーが死んだ次のシーンでは死んでて、次のシーンではまるで最初からいなかったみたいに時間が経ってて中々怖かった。

ロラン・バルトがウィリアム・メイクピース・サッカレー役で登場している。セリフはほぼない。
「ジェーン・エア」「嵐が丘」などの小説が有名な19世紀イギリスのヴィクトリア時代を代表する小説家姉妹を題材にした作品。

まるで絵画のような格調高い様式美が素晴らしい映画でした。
崇高過ぎて理解不能だった。
イザベルアジャーニが美しいと思っただけ!
ゆべし

ゆべしの感想・評価

1.5
19世紀イギリス文芸映画もユペールも好きなのにハマらなかった。ドラマ性ある物語なのに盛り上がりに欠けて始終陰鬱な雰囲気。
マーチャントアイボリー作品の様な優雅さが欠けていると自分にこのジャンルはキツイのかもしれない
電気羊

電気羊の感想・評価

3.8
「ジェーン・エア」「嵐が丘」という名作を生んだ文房姉妹を題材とした映画。

ブロンテ姉妹が生きたのは、ブルジョアにプロレタリアートが支配されている男尊女卑が激しい時代。

ポップカルチャーに目覚めた貧しい若者達は、小説家や詩人を目指した。

ブロンテ姉妹の兄弟も、同じく小説家や詩人を目指すが、有名な作家からは相手にされず、財産目的に近づいた資産家のオバサンにも意図を見抜かれ別れられてしまう。
絶望に陥った兄弟はアヘンに溺れ中毒死する。

そんな状況でも、ブロンテ姉妹は希望を失わず女性の自立を描いた「ジェーン・エア」、貧しさから這い上がるサクセスストーリーを描いた「嵐が丘」等の名作を完成させる。

現代では、女性の権利は向上したが、行き過ぎたヒステリーのような権利意識は無様で醜悪なだけだね。
ひよこ

ひよこの感想・評価

3.5
若くして亡くなったシャーロット、エミリー、アンにブランウェル。
映画では触れられてないけど姉に夭折したマリアとエリザベスもいた。
すごい壮絶だったんだなぁ。
三姉妹の作品をちゃんと読もうと思った。
「もし男(に生まれてた)なら何をした?」

長女シャーロット☞詩を書くのが好き。
長男☞家庭教師。その家の妻と不倫中。
次女エミリー☞ピアノ。男装して出歩き、猟銃も撃つ。超美人。
三女アン☞兄と同じ家で家庭教師をしている。

う〰︎〰︎ん…ちょっと、いやかなり物足りない。。
4人兄妹でこの薄さは異常。
人が死ぬたび(GYAO内の)生命保険CMが入って笑ろたw

2016.10.06GYAO無料配信
kuu

kuuの感想・評価

3.0
『ブロンテ姉妹』
1979年フランス映画すね。
野心家のシャーロット。
荒野をズボン姿で彷徨う個性の強いエミリー。
家族の運命を静かに見つめるアン。
女性の活躍して前に出る事が制約されとった19世紀前半(いまでも悲しいかな一部ではあるけど)のイギリスでブロンテ三姉妹が、短けぇ生涯の内に遺した著作は大きな光彩を放ってるかな。
彼女たちには、望み大きモンを抱きながら、酒とアヘンに身を持ち崩しよった兄弟、ブランウェルがいた。
三姉妹役はマリー・フランス・ピジェ、イザベル・アジャーニ、イザベル・ユペール、今じゃ彼女も68才かぁ今でも美しいけど、この作品のころは余計に輝いとる。
アンドレ・テシネが資料に忠実に姉妹の生涯を映画化やそうです。
台詞は全編フランス語。
撮影監督のブルーノなんちゃらがイギリス・ヨークシャー地方の荒涼としたたたずまいをフィルムに定着させている。
19世妃半ば、
ハワースの丘に牧師の父(パトリック・マギー)と、
シャーロット(マリー・フランス・ピジェ)、
エミリー(イザベル・アジャーニ)、アン(イザベル・ユペール)
の三姉妹と、
弟ブランウェル(パスカル・グレゴリー)
のブロンテ一家が住んどったとさ。
姉妹は秘かに小説を書き、
まずシャーロットの
『ジェイン・エア』がロンドンで出版され大評判をとりよった。
次いで、エミリーとアンの作品も出版され話題を呼びよったが、
女性の権利が認められへん時代やったし、様々な混乱が起こる。
ほんで、人生の大半をハワースの丘で静かに過ごした姉妹は、次々と病に倒れよって、
流行作家となったシャーロットはふとその淋しさが胸を打つのだった。。。

世界は過ぎ去り行く。
諸行無常なのに、次から次に生じ、その場で消費されよって、消え去り続ける。
だから人は世は儚い。
世、ほんで、我々は、小せぇ死の連鎖の中に投げ込まれていると云いもする。
死するべき光の矢とは、これを意味すんのやろう。
実体の表層に一瞬だけ住み着いて、
次の瞬間消えててしまう。
非実体的な『出来事』。
実体さえあらへん様態の定在のない亡霊的な表皮。
これが光の矢やわ。
我々が死すべきものであるのは、この光の矢の中でしか生きることが出来ひんからや。
せや、映画においては、これが逆転しちまうことに注意する必要があると思う。
映画において、この死すべき光の矢こそがフィルムの上に定着されて、
半永久的に反復する永世となるからや。
そこじゃ、永遠の過ぎ去りが一つの永遠となるのやさかい、
実体のない光、出来事の泡の粒の様な表皮、言わばエピクロス的、現実の煩わしさから解放された状態を『快』として、人生をその追求のみに費やすことが飛び交う表層が一つの永遠となる。
そこにゃ過ぎ去るのは浮薄な光線じゃなく、
実体のほうでやし、世界の強固な支えであるはずの
実体イコール物質イコール身体
こそが消え去って行くのんであって、逆に儚さが永遠となりよる。
死すべき光の矢、そのものが一つの不死の世となる。
一言で云やぁ、映画において死すべきものが永遠となり、
逆に永遠であるはずのものが奇妙に死 の中に転落することになるんかなぁ。
なんて、眠たさ募る春宵に考えた一本かな。

あなたにおすすめの記事