マホルカ=ムフの作品情報・感想・評価

「マホルカ=ムフ」に投稿された感想・評価

富井

富井の感想・評価

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教養なしに見るもんじゃないな

戦後ドイツの元ナチ軍人が主人公でなんか出世して、風刺してる事は伝わった

処女作ということもあって、普通の映画っぽいところがまだある
osaka

osakaの感想・評価

3.8
ほとんどのシーン、限られたショットのパターンで撮られている。にしてもどうしてこんな端正な画が作れるのだろう。「我が家には誰も逆らわない」と言ってあっけなく終わるラストもすごい。
床ずれ

床ずれの感想・評価

3.5
カール・テオドア・ドライヤーっぽい映像がかっこいいと思った以外、特に記憶なし
ストローブ=ユイレの処女短編はナチス後ものうのうと甘い汁を吸って生きる軍人の話だが、説明は少なく、セリフも淡々としているので背景をさして学んでいない人間にはぼんやりとしか風刺や怒りは掴めない。気になるのは、ボーイがテーブルを片付ける16カット目、二階へ注文を伝えにいく17カット目が長く撮られているところで、多くの映画では短く編集されるであろう、あるいは丸々省略されるであろう動作を長く収めているところに後のストローブ=ユイレ作品の萌芽が見て取れる。
Marrikuri

Marrikuriの感想・評価

2.7
ふつう。やや弱い。


◆製作の背景◆
ナチスへの反感を抱きつつも全体主義体制下で六年間にわたって従軍させられ、戦後は “廃墟文学” と呼ばれる敗戦直視の文学活動を果敢に開始したハインリヒ・ベル。1956年に西ドイツは、キリスト教民主同盟のアデナゥアー政府が推進した「一般兵役義務法」により、野党の反対を押し切って再軍備&徴兵制復活決定。翌57年にベルが発表した小品『首都日誌』は、軍国臭を未だプンプンと放つ高級軍人がヌケヌケとうまい空気を吸う内容。これが原作だ。
小説としては摑みも大きな山場もなく、日記型の一人称を作者があまり使いこなせていないために枚数相応に地味であっけないが、プンプンヌケヌケな語りそのものに冷静な風刺が効いており、各人物の台詞のブラックな阿呆らしさが(きっと当時の西ドイツの)現実に切り込んでて「やれやれ」という暗い呆れ笑いを呼ぶ。“ナチスが強制的にやったことを、戦後は民主主義の名の下にやるのか。しかもキリスト教主導で。恐ろしい。アーメン” という著者のさざめきを聴きましょう!
そのドイツとの国境付近で否応なくドイツ語ペラペラに育ったフランス人のジャン=マリー・ストローブは、58年にアルジェリア戦争に異議を唱えて徴兵忌避し、映画仲間である恋人ダニエル・ユイレとともに元敵国である西ドイツへ亡命。フランスの軍法会議にかけられて有罪となるなどバタバタしたが、62年にベルのそれ──『首都日誌』を初監督作として撮る。あっけない小品(それでいて印象的な場面や台詞がいろいろあり)の映画化だから、やりやすかったにちがいない。

◆原作との相違点◆
① 主人公マホルカの恋人インは原作ではしばらく書き進めてから登場させるが、映画ではいきなりインが姿をさらす。全体としてインの取り扱いが多い。ユイレじゃなくストローブ主導の、いかにも男性的発案。とにかく女を描いておこう、そうすりゃポップだ、と思ったわけだ。「七回離婚した女」にはとても見えない三十路ぐらいの普通すぎる女優の起用は、映像の説得力をあまり高めていない。もっと貫祿たっぷりに、もっと妖艶にしないと。ついでにいえばマホルカ役も、「七回負傷した」と豪語できるほどの戦場経験(部下たちを処刑までした)を持つ元大佐にはあまり見えずビジネスマン風すぎる。当時ド素人だったユイレ&ストローブだったわけだからプロデュース力は当然足りない。
② 原作では銅像が「夢の中で」「すべてマホルカ自身(の動く像)だった」が、映画では「空想として」「銅像じゃなく、すべて生身のマホルカ自身」。要するにブロンズ像や石像を用意する力がなく夢路っぽいシュールさを出す余裕もなかったからそうしただけなのだが、サッサと進む歯切れよい短篇映画としてはわりと奏効してる。へたに像を造るよりも。
③ 原作の重要台詞は映画中にもほぼ網羅されてるが、唯一、「軍事回想アカデミーを建て、その特別棟には若い娘たちを慰安婦(泡姫)として雇い住まわせる」と語られる原作の超ふざけた案は映画では全削除されてる。全削除の扱いを受けたのはこの点だけだ。あまりにも恥部だから省くべし、とユイレもストローブも一致したにちがいないけれど、逆に、そういう恥部こそが風刺小説の真骨頂だったわけだから、「綺麗にすんなよ」と私はちょっと思った。
④ 云うまでもないが、日記は一人称(マホルカ視点・マホルカ思考が基準)、この映画はモノローグナレーション部分以外は三人称(私たち外野が外側から眺めるもの)。阿呆ブラックな日記思考をどう受け止めるか原作は可笑しみと嫌悪感と恐怖の自由を私たちに与えてくれたが、この映画は単に「ひどいよね。あなたも不穏な気分になるでしょ」の煽りを業務にしてる。劇伴ふくめて。想像も解釈も広がりにくい。つくづく映像は私たちの空想力を育まないなぁ。
⑤ ラストのインの台詞は、原作ではマホルカの腕に手をかけて、おそらく気持ち的にマホルカにじかに向き合う(見つめる)感じで言うが、映画では紅茶を注ぎながらマホルカを見もせずによそよそしいぐらいサラッと吐く。これで終わる。あっけない原作以上に、あっけない。紅茶を注ぐ場面は原作では別の部分にある。ユイレ&ストローブの “コラージュ癖” が処女作からこうして暴走し始めてる。コラージュよりも本当はオリジナルが観たいぞよ。

❻ <原作にはない、この映画の価値>
62年当時の首都ボンの風景(何か高度成長期前の東京の北千住とか浅草っぽい??)を映像で記録したことになる。しかも当時の新聞(の見出しや文面)を次々と見せつけてくれたので、全体としてジャーナリスティックな意味が生じた。何とでも書ける架空小説と違って、ロケ映画には視覚的歴史記録という副次的な価値があるわけだ。
ただし、撮影は、面白みが無。めったに動かず、動く時は整然と硬い。人間味が無。ロボットのように。あの時代、中部ヨーロッパの気分は硬かったのか。

[アテネフランセ  ところで、映画を待つあいまに建物外の「女坂」を久々に下りてみた。足がもつれたらコロンコロンと人生終わりかねない急階段だ。まず13段下りて中折れて27段下りてまた中折れて42段。女の人生は計82段で終わるのだろうか。黄泉の世界かもしれない最下段から、悔しいので元気一杯最上段まで登った。こうして私は今日もまた生まれ直した。現在、零才だ。そのすぐ東に「男坂」というのを眺めに行った。「男坂」は中折れなしの一直線で、34+30、計64段のようだ。男性の寿命は64才ということなのだろう。太く短く生きてくれればそれでいいかもしれない。ギター屋の林立する街で、ロックな私は人生というものを想ったのだった。 おわり]
SKE

SKEの感想・評価

4.0
布を取り去ると3体の自分の銅像が現れる夢のシーンが冒頭にあってそれは良かった。
tenta

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3.6
 「和解せず」を理解せずな状態で見た後に鑑賞。今作品がストローブ=ユイレ作品を読み解く鍵になった。彼らの初監督作品。「和解せず」と合わせて見ることを勧める。

 「抽象的な映像夢、物語に非ず」という言葉からこの映画は始まる。これが助けになった。「和解せず」にも通ずる「物語に非ず」精神。彼らが語りたいのは定型の物語ではないという意思表示を確認できた。と言っても、今作品自体は「和解せず」より遥かにわかりやすいが。

 それでも、まず主人公マホルカ=ムフが誰かイマイチわからないので再び解説に頼る。今作品も原作あり。「和解せず」原作者ハインリヒ・ベルによる「首都日誌」というショートストーリー。主人公は元軍人で大佐だった男で、戦後ものうのうと暮らし、いつまでも大佐きどりな精神構造を持ち、またドイツの再軍備もあいまってやばめの奴だ。「こんな人間がいるんだぜ!」と言わんばかりに、まぁつまりある種胸糞的な意図がこめられている。映画内において、彼の精神世界や一人語りは時に残酷且つ馬鹿馬鹿しい。自分を模した無数の像が夢に現れたり、部下の妻を寝取ろうかと平気で考えたり、つまり自身の権威に酔いしれている。

 新聞のシーン。当時のドイツの情勢に合わせて作られたジャーナリズム的側面。映画としてはこの新聞の羅列シーンは退屈ではあった。しかし、当時の政府の動き、とりわけ再軍備に向けて躍起になる姿をフィルムに焼き付けたのはなかなかである。「和解せず」といい今作品といい、当時のドイツの情勢なしにはこれらの作品を語ることはできないだろう。

 主人公が平気で「民主主義」を語る恐ろしさ。これは「和解せず」でのネトリンガーの発言にもあった(今作品にもネトリンガーを演じた男が出演している)。つまり、彼らには高い地位につくためなら自分の意思や考えを平気で変える。思い出すのは、世論の顔色を伺って悪い方向へといくのがポーランドの映画「不運」である。だとすれば、今作品の主人公は全ていい方向に転がる「幸運」な映画であろう。ドイツという侵攻した側とポーランドという侵攻された側という違いが、世論の顔色を伺う同じテーマの中で真反対へと進む。

 当時のドイツの教会には再軍備を進める派閥があり、今作品での主人公の婚礼もまさしく教会で行われる。そうした宗教的なからみがあることも踏まえて見るべきであろう。

 ラストの妻が言う「我が家には誰も逆らわない」という台詞。この台詞は当時の観客へと降り注がれた絶望的な言葉だろう。今作品のドストレートな政治批判は、当時にまぁよく作れたなと感心してしまう。しかし、原作を果たして超える映像表現であったのかは疑問。強いて言えば無数の像の夢が面白いぐらいか。しかし、次回作の「和解せず」では、ストレートさは影を潜め、何を映像にすべきかという大胆な省略とあのコラージュ的な話法へと繋がる。そして政治以前により根深いテーマ性を持ち始めるように思える。
ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ短編初監督作品。

他の方のレヴューにもあるように、内容がよく分からない。展開は早く、台詞多め。

銅像が生身の人のシーンと、不安になる音楽が印象的。
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

2.8
「マホルカ= ムフ」

冒頭、黒電話をいじろうとする男。ビルから眺める地上、ヒゲを剃る男、洗礼式、参謀長、心理学者、奇妙な夢、バーでの一杯。今、彼の美学が観客を難解な世界へと放り込む…本作は1962年にミュンヘンで3週間にわたって撮影が行われた作品で、実質は10日間らしいのだが、この僅か18分の映画にはストローブ=ユイレが原作者のハインリヒ・ベルの批判を浮き彫りにしている。特に反感は軍人そのものに向けられていると同時にカトリック教会やカトリック政党にも向けられていることがわかる。

それにキリスト教の殺人の問題を際立たせるためにも新聞記事の演出を取り入れたりもしている。とにかくこの原作者は批判するのが好きなようだ。まぁこれが面白いから彼の読者がたくさん付いてくるのだろう…私にはさっぱりは意味がわからない(映画の)。

それにしてもオーバーハウゼン宣言の若い映画の仲間を拒絶した彼らが批判され、確か1965年のベルリン国際映画祭のコンペ出品を拒絶されている(和解せずが)。そういったスキャンダル性においてもやはり彼らのデビュー作の2作品はかなりの衝撃的だったのかもしれないドイツ国内でも世界的にも…。

とりわけ物語の内容はほとんど引用されてきているのだが、一応オリジナリティにかけている訳でもなく、そのコンテクストはかなり生み出されていると思う。

僅か18分間の時間を多種多様な映像と音声の断片で語られる原作(首都日誌)の日記形式の物語は他に類を見ないほど光の変化や効果を最大限に生かしている。その点はアートフィルムにしても良い点であった。

この作品ブレッソンの「田舎司祭の日記」をパロディにしてるような感覚が見て取れるのだが、確かストローブたちが最初にこの作品を撮る前にブレッソンに声をかけて、自分たちでとりなさいと言われたので、この作品ではブレッソンが嫌いだったハリウッドの技法まで取り入れているところを見ると、ささやかな仕返しにも感じてしまうのは俺だけだろうか。

それでもブレッソン愛がかなり伝わる監督とも感じてしまう。

この映画はお勧めしていいのかよくわからん自分で判断してほしい…。
GATS

GATSの感想・評価

3.2
なんか変なカットだなあと思いながら、なんか変な映画だなあと思いながら、なんか夢だなあと思いながら。

痛い
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