H storyの作品情報・感想・評価

「H story」に投稿された感想・評価

槙

槙の感想・評価

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緊急事態宣言でバイト先休業中にたまたま見た「デュオ」がおもしろかったので諏訪敦彦作品掘りたいと思ってチョイス。これツタヤのラブストーリー棚にあったんだけど、違くない???いや、そうなんだけど、この作品のジャンルを確定すること自体がこの作品のコアと矛盾するような。わたしにはこの作品は映画のシステムを通して映画そのものや歴史というものを問うている作品に思えた。

この作品で展開されていく出来事を(初見直後の記憶を頼りに)時系列に沿うと、まず諏訪監督が「ヒロシマ モナムール」のリメイクを撮ろうとする→主演2人(ベアトリス、馬野)のリハーサル含む撮影の様子をまるごと見せる→町田康のインタビュー(リメイクに否定的)→ベアトリス、うまく演じれなくなる→ 「ヒロシマ モナムール」リメイクに懐疑的だった町田康がいつのまにか物語の真ん中に存在し、演じられず苦しむベアトリスを救う物語が「リメイク作品の撮影」という物語の外側に生まれる、みたいな構図。

ノンフィクションだと思って見ていた映像が実は/いつのまにか(おそらく)物語になっていて、でも、それはモキュメンタリーとはまた別種で戸惑う。わたしの頭では追いつけず、謎が多くてたとえば途中から字幕の「ヒロシマ」が「広島」になっていることの意味とか。

「王国(あるいはその家について)」を見ていると他者の書いた物語、あるいは物語上の台詞を役者が発するということのトライ&エラーを繰り返していけば(繰り返しさえすれば)役者はそれを自身の身体のように獲得できる、という仮説が立てられるような気がしていたのだけど、この作品のように物語に人類にとって超短絡的に言ってしまえばとても大きく悲惨な〈戦争〉という〈歴史的事実〉を背景にすると書かれる言葉、発せられる言葉は一体誰のものなのか、簡単に答えが出せなくなる。

エンドクレジット見てビックリだったんだけど、この手の作品に電通が噛んでいるとは……マジか……
harunoma

harunomaの感想・評価

4.7
封切りで初めて観た諏訪作品。
シャンプティエと初めて組んだ作品でもあり、諏訪さん自身も写っていることなどもあり、というよりなぜか諏訪作品の中では相対的には偏愛している。一番劇映画とavant-garde cinemaのバランスの歪みが心地よく露呈しているように見える。この企画の映画はどうすればよいのか、完成するのかが、たむらまさきのような野蛮すぎるほどの触手ではなく、低体温の理知が漂う危ういこの映画の飛行に親しみを感じることもある。
『ユキとニナ』も好きだが、ヴェンダースの『まわり道』のようにこちらを選ぶのだろう。
ネット

ネットの感想・評価

4.0
そんなに面白くはなかった。
自分がいま知りたい問題の全てがある。リメイクについて、俳優がテキストをベースに自身の身体に「役」を憑依させることについて、その上でテキストが持たざるを得ない絶対性のようなものについて。リメイクが蘇生させるものは何か。そもそもデュラスのテキストの中に「役」という幽霊は存在するのか、それともそこには言葉という表層しかないのか。
テキストは普遍的でないこと。絶対性への懐疑。

町田康がなんかセクシー。
スペシャルサンクスがロバート・クレイマーに捧げられている!
ooの

ooのの感想・評価

4.0
『HM』における表象の限界を引き伸ばし再生不可能さを焼き直そうとする。終盤の町田康とベアトリスの視線の交差、歩行、原爆ドーム。
さっ

さっの感想・評価

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『ヒロシマ・モナムール』では原爆被害の表象不可能性がテーマだったようだが、本作では『ヒロシマ~』のテキスト自体が40年後の「現在」において理解できなくなりつつある状況を描いている?

ベアトリス以外ほとんど顔も見えない

ラストはまるで「ピカ」?
naopyonko

naopyonkoの感想・評価

3.5
ボールド写った瞬間現実に引き戻される…。広島の商店街を歩くフランス人×日本人が良かった
HIROSHIMA ストーリー

HIROSHIMAを題材にした戦後間もない映画を、数十年後の時代にリメイクする
その撮影のメイキング風に主にヒロインの苦悩と葛藤を中心とした撮影中の衝突のドラマを描く。

結末はあまり印象に残らなかったが
役者が役を演じることの苦悩を観るに、映画製作や演者を志す人には是非観てもらいたい作品だと思えた
複雑な構図をもつ作品だ。
アラン・レネの『二十四時間の情事』をマルグリット・デュラスの原作のテクストそのままにリメイクする。その映画のメイキングとして、この映画は始まる。
ただ一見だらだらと撮影風景が流れているように見える。しかしそこからトラブルで撮影中断。それからの展開に必要な映像と時間経過なのだ。この作品を創り上げるリズムがここで作れれている。

作家の町田康がリメイクをすることに対して疑問を投げかけることから物語の方向が変わる。そしてベアトリス・ダルは自由に肉声を発することができないテクストに対して、演技ができなくなり、撮影そのものがストップしてしまう。
ダルの演技は血を流すような演技をする。だからこそ自らの血の通っていない言葉を発することは、彼女にとって演技ではないのだ。

ここからの描写がとても面白い。監督はこの映像を撮りたかったのだと思われる。もともとテクスト通りにリメイクする気などないのだ。
どうしようもない気持ちを抱えたまま、ベアトリスと町田は原爆の美術館に行く。ベアトリスはまったく関心がなく、先に美術館から出て行っていまうのだが、このあたりもベアトリスと町田の距離感とベアトリスとリメイク映画に対する距離感を感じることができる。

大した台詞もなく、時折、発せられた言葉はフランス語と英語。そこに言葉での意思疎通はない。町田とベアトリスの表情を追っていくカメラの中に、孤独でも、信頼でも、同情でもなんでもない。小さな休憩場所として、二人の時間がそこに写し撮られていく。ぽっかりと空いた穴のような空気がその映像にはあり、それは喪失感とかいうものではなく、初めから存在しなかった部分がそこにあるかのようで、その穴を二人で静かに見ている景色があるのだ。
床ずれ

床ずれの感想・評価

4.0
なぜ、今『ヒロシマモナムール』のリメイクをやるのか、その問いにうまく答えられない諏訪監督。「忘れてしまうのが怖い」というセリフを何度も失敗するベアトリス。演技がぎこちない町田康。この作品の映画内映画では全てが「失敗」している。それは、『ヒロシマモナムール』でヒロインが「ヒロシマ」を見ることに失敗していたのと同じ失敗なのではないか。むしろ、そうした失敗を繰り返さないと、絶対的に表象不可能な「ヒロシマ」を見ることなど出来ないのかもしれない。
eiaieiaie

eiaieiaieの感想・評価

3.5
●正直大変難しいので難しいコメントが必要 他の人に任せる
●「映画とは」みたいなことを考えたい人向け
●時間・実体・イメージなど様々なものが交差した「映画という様子」について
●人の形をした現像は錯覚であり虚像なのかと
●ライトな文体に思えるが、観るのにめちゃくちゃ疲れる難しい哲学書のようです=画面構図に余裕あるのに鑑賞エネルギーの消費量はんぱねぇ
●あんまりベアトリスダルは活きてないかも
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