蛇の卵の作品情報・感想・評価

「蛇の卵」に投稿された感想・評価

y

yの感想・評価

3.3
ベルイマンらしくない。

リヴ・ウルマンが毎度ながら頑張った。

安っぽいキャバレーの舞台のシーンがよかった。
おじさん芸人の雑な化粧、衣装、小人
主人公が接した人の遺体を死体安置所で次々見せるあたりは期待してしまうけど、終わり方が、アメリカンチック。

英語。

この映画はベルイマンにしては破格の資本が投入されて作られたそうで、出資者の意向も反映されてる感じがする。
ユダヤユダヤ、ナチ、ドイツとか
ユダヤ資本が投入されたのかなぁ?

「恥」なんか戦争真っただ中なのにどこの国との闘いかも見せず、どの国の人にもおこりうる戦争として撮っていたのに。
として撮っていたと思う。
人体実験ありきの「厭な映画」を撮っていたベルイマンを多少は見直した。中盤まではたるいけど終盤の禍々しさは良かった。エレベーターを使った首チョンパも一応ある。頭がおかしい人のプライベートフィルム的な、不穏な映像を見てしまう(見てしまった)くだりがきちんと用意されている映画が俺は大好き。
カラン

カランの感想・評価

5.0


「ベルイマン映画の中に迷い込んだ気分だったね。初日に撮影したのは冒頭の宿屋のシーン。奥で結婚祝いのパーティーをやっている一団がいる。彼らは一日中リハーサルをしていたよ。でも、実際に彼らが映るのはせいぜい数秒間だ。僕が廊下を通り過ぎる時にチラリと見えるだけだ。楽しげな雰囲気を出すためだけなんだ。僕は食事のトレーを持って階段を上がっていき、後ろ向きにドアを開けるんだけど、室内に向き直ると、兄が壁にもたれて死んでるんだよ。銃で頭を撃って自殺したんだ。しばらく兄を見つめてからトレーを下におく。その間も階下の宴会の騒ぎが聞こえてくる。いかにもベルイマンの世界だと思ったよ。」


このように主演のデイビッド・キャラダインは『蛇の卵』の撮影を振り返っている。DVDの特典映像のインタビューの中でである。このキャラダインの直前はリブ・ウルマンのコメントである。アメリカ資本を得たベルイマンは、大がかりなセットや美術といったような、外面的なものに固執してしまい、人間の内面性を深くえぐるという本来の持ち味をなくしてしまった。それをベルイマン本人も自覚しており、楽しいはずの撮影に苦しみを覚えていた、という趣旨のことをリブは述べていた。キャラダインは「いかにもベルイマンの映画だ」と言っており、リブは「ベルイマンらしくない」と考えている。さて、どうしたものか。

キャラダインを除くと、フィルマークスも他のサイトも、どうもこの映画はベルイマンらしくないということで意見が一致しているようだ。猫も杓子も、とはこのことである。①ベルイマンらしくない映画であるし、②発表時のアメリカでの評価はイマイチなので、だから③この作品はご自分にとってもイマイチである、らしい。なんという三段論法なんだ!ベルイマンをちゃんと観る人には馬鹿馬鹿しい理屈であるが、多分この風評はDVDについているマルク・シェルべという評論家のコメンタリーの受け売りなんじゃないかと思う。



それで、この映画のいったいどこがベルイマンらしくないというのか? 撮影はスヴェン・ニクヴィストで、『ペルソナ』や『狼の時刻』、そして『叫びとささやき』でも徹底されていた、根源的な存在の喪失を喚起させる、顔面を半分切り取って影にしてしまう不吉なクローズアップショットのかっこよさも健在である。

40を前にしたリブ・ウルマンは『恥』の時のように官能的な肢体であるが『恥』と同様に疲労困憊になっており、夕方まで病院でこき使われ、夜はキャバレーの踊り子として狂ったようなグリーンのメイクを顔に塗りつけて、しゃがれ声で英語を話す姿は、『叫びとささやき』のハリエット・アンデルセンと同じだけ病んでいる。

好奇心をかきたてる物がたくさん溢れた部屋で、誰かの眼差しと物音に怯えるデイビッド・キャラダインは、『ファニーとアレクサンドル』のアレクサンドルことイングマールである。

デイビッド・キャラダインが、取調室から逃走を企てるが、悪夢のように、逃げたぶんだけ追い込まれていく警察署の造型は、『魔術師』のクライマックスでマックス・フォン・シドーが悪魔的に戯れる迷宮のように入り組んだ建築を想起させる。

あるいは、ヴィスコンティやフェリーニもびっくりするレベルの、小人も登場するキャバレーでの奇怪なショーは、ベルイマンとしては新しい取り組みなのかもしれない。蛇の卵として悪の揺籃期にあるヒトラーの民族浄化の炎が酒場を燃やすシーンから、リブの部屋でタバコをくゆらすキャラダインの煙に繋げるのは、しびれる編集である。

劇伴なしで、時計の音がやけに耳についてキャラダインの神経を逆なでし、リブを疲弊させるが、これは『野いちご』に始まり、『冬の光』、あるいは、『叫びとささやき』で洗練されたベルイマン特有のモチーフだろう。しかし、この時計の音は、実はアウシュヴィッツで悪逆非道の限りを尽くしたヨーゼフ・メンゲレ的な蛇の卵たちによる実験の一部に使われている妙なモーターの音なのであり、自分たちは実験台であり、監視されていたのだと幻想の舞台裏を明かすのは、ベルイマンらしくないのだろうか?

確かにそうかもしれない。しかしこの音は、メンゲレの卵たちに監視された部屋に引っ越す前から聞こえていなかったか? この男は下水の汲み取りの音に目を覚まし怯えている男であり、兄嫁の金を盗んではそれを大家に目撃されており、警察では自分が「ユダヤだから」だと打ち震えて何かされる前から逃げ出す男である。ユダヤに対するドイツの民族主義が悪なのか?それとも、キャラダイン扮するこのアル中寸前のろくでなしが抱えこんだ無意識的な罪悪感が問題なのか?無意識は関係ないとは言わせない。自分と同じ姓の仕立て屋のショーウィンドウを割って、亭主を殴り、女主人にキスを無理やりするのがアクティングアウトでなくてなんなのか。

このように、理性的分析をはぐらかし、正体不明の靄をかけて、究極のところは何なのかをつかませない、鑑賞者に解を与えない、劇中の不安を終わらせずにむしろ持続させるというストーリーテリングは、『恥』を経て、『ファニーとアレクサンドル』のラストで、5時間以上かけて自分と妹と父をめぐる悪意と不安と憎悪と罪悪感をファミリーロマンスとして再構成した後になって、またもや不安を煽る形象を再登場させるのと同じベルイマン作品なのであり、見るたびに新たなる感嘆と崇敬の念を覚える次第である。

オープニングでいきなりピアノの鍵盤に指を広げて手を落としたような不協和音がなり、無音になると暗い画面に無数の亡霊のような人々の群れがゆっくりと行進する様を捉えたミディアムショットが映り、今度はディキシーランドジャズとかの古風で無駄に明るい管楽器の音に乗ってクレジットが流れ、唐突に音が止んで無音のまま陰鬱な人々のミディアムショットが映るのが繰り返される冒頭は、高揚感を高める『ペルソナ』以来のベルイマン映画の始まりを告げており、何度見ても恐ろしく、かつ、胸が高鳴る。ベルイマンの映画は終わるが、終わらない。映画史にその名を残す巨匠の一人とされるゆえんだろう。

最後に木原武一の訳した『ベルイマン自伝』からこの映画に対する本人のコメントを引いておく。本人もまた本作に否定的なコメントを残しているわけだが、ロラン・バルトや蓮實重彦が言うように、作家本人の自作への理解が最重要というわけではないのだから、上に述べきたことを撤回する必要はなかろう。独創的という言葉を当てないとすれば、使い所をなくすことになってしまうほどに、自由で才気溢れる作品制作をして、20世紀美術を創始した当人であるマルセル・デュシャンは、芸術家は媒介する存在に過ぎず、作品の内部の秘密を探り当て、外部世界と関連付け、創造の円環を完結させるのは、作家ではなく、観客なのだ、と考えていたことを言い添えておくとしよう。タルコフスキーは間違いなく偉大で、ブニュエルもフェリーニも同様である。しかし映画の夢という不可能に『蛇の卵』は少なくとも『ストーカー』と同程度には近づいている。



P83

「映画がドキュメントではないとしたら、それは夢である。そういう意味でもっとも偉大なのはタルコフスキーである。彼は夢遊病者のような確かさで夢の世界を動きまわり、けっして説明することがない。いったい何を説明したらいいのだろうか。彼は自分のビジョンをもっとも難しいがもっとも柔軟なメディアによって表現することのできた、幻を見る人間なのである。私は、彼がいとも自然に動きまわっている部屋の扉を一生涯、叩き続けているようなものだ。ときにはその中にしのび込むこともできはしたが、『蛇の卵』・・・など、意識してそれを試みた作品はみじめな失敗に終わっている。・・・フェリーニや黒沢明、ブニュエルも、タルコフスキーと同じ世界の中にいる。」





付記

英語版のwikiには概要に次のように書いてある。

The Serpent’s Egg is considered one of Bergman’s weaker efforts.


何をもってしてこんな言い方ができるんだろう? かわいそうに、作品の真価に触れられなかたった評者なのだろう。しかし、だからといって、こんな言い分が許されてはならない。
ベルイマンのファンなわけではないけど、ベルイマン的な美しさがなくて微妙。

冒頭で兄が自殺して、それから奇妙な事件に巻き込まれて行くサスペンス。ベルイマンがサスペンスなんて珍しい。ゴダールがSF撮ってたりするし、その点では面白いっちゃ面白い。

カラーなのが新鮮。
第一次大戦後のドイツ。兄の自殺に始まり、ナチスの台頭、ハイパーインフレ、殺人、売春、病気、酒、薬、暴力。明るいのはオープニングのジャズだけで、あとはひたすら暗〜い暗喩をラストシーンに向けて積み重ねていく作品。ラスト30分は圧倒的な迫力と暗さ!生きてても良いことないぞ!て感じでした。
完全にベルイマンのファンなので、最後まで楽しく観賞しましたが、普通の人観たら、心へし折られちゃうんじゃない?と心配にもなったけど、フィルマークスユーザーで観た人74人。。完全に杞憂でしたね。ファンしか観ないです。ちなみに「君の名は」は18万人観てました。本作のハイパーインフレに期待。
いくらベルイマンでもアメリカ的な映画は合わないなと思った作品。

でもずっと泣き続ける赤子と発狂する母親の話は忘れ難いエグさと強烈さがあった。
イングマール・ベルイマン監督が自国スウェーデンでの脱税容疑事件に激怒してスウェーデンを飛び出し、西ドイツで作った作品。

内容も、スウェーデン時代の内容から脱しているので、以前のベルイマン監督作の雰囲気を期待すると肩透かしをくらう映画である。

ただ、この作品DVD特典映像でリヴ・ウルマンが語るように「スウェーデン時代のスタッフは15人ぐらいしか居なかったけれど、かなりの製作資金を得たこの映画では100人ぐらいのスタッフが居たわ」とのこと。更に、デイヴィッド・キャラダインも「セットは、凝りに凝っていたね。自分は、芸術性豊かな監督の映画に出ることを選んだ」とも言っている。

物語は、ヒトラー出てきた頃、1923年のベルリンが舞台。

ジャズみたいな軽妙な音楽で始まるが、「民衆は希望を失っていた。1ドルが50億マルクの時代…」と時代背景が暗いことを述べるあたりから、楽しい雰囲気は消える感じ。

序盤で、アベル(デイヴィッド・キャラダイン)の兄マックスが銃で自殺するシーンも暗い。

一方、キャバレー踊子マヌエラ(リヴ・ウルマン)は、ケバ過ぎる変な格好。

カラー映画だけに、余計にそれが目立つ。

1ヶ月に7件の不審死が起きている、と安置室でアベルが幾つもの死体を見せられるあたりも暗い。

…と暗い感じの場面が多いので、セットにお金をかけて、路面電車を走らせたり、1920年代のドイツ風景を再現したとしても、楽しい感覚が得られない。

自分としては、ドイツで行われていた人体実験シーンなどが気持ち悪くて、よろしくない映画であった。

ベルイマン監督作品の中では『特異な作品』であった。
 
タイトル『蛇の卵』とは「(未来が)薄い膜を通してハッキリと見える」かどうかということを指していたようだ。
Urano

Uranoの感想・評価

5.0
極上。街の視点から描かれた「冬の光」であり、「不良少女モニカ」の"アイツ"の物語であり、蛇の卵たちへの挑戦的な眼差しである。科学者ではなく、芸術家の眼で。
キャバレーを見る!
McQ

McQの感想・評価

3.5
ジワジワと増幅される人間の闇、戦争の種。蛇の卵。
戦争の本質とは、、

この映画は戦争をダイレクトに描く訳でもなく、ヒトラーが登場する訳でもない。
その根元を捉えようとしている所が素晴らしい。

元サーカス団のアベルは兄の元妻に兄の自殺を告げに行く。
アベルに近しき人達の不審死、、
彼に容疑の目が向けられる。。

アメリカ資本によりドイツで製作された作品という事で、お金をかけてる感が良く出ています。

ほとんどがセット撮影。しかしその完成度の高さに驚き、、
何という美しさ、俯瞰で捉えた夜の裏路地といい、目を見張る構図の素晴らしさ。。

冒頭のスローで映し出す人混みの映像美、、

見所は多く、捻りの効いた脚本も絶品でありました。

ただ個人的にデヴィッドキャラダインが少々苦手、、
おじいちゃんになってからはカッコいいとは思うんですが(^^;
pika

pikaの感想・評価

4.0
ベルイマンが脱税容疑で本国を追われ外国を転々としている最中ドイツに落ち着き、第一次大戦後の不安に覆われていた時代をアメリカの潤沢な資本で制作した作品。

ユダヤ系アメリカ人である主人公アベルが突然直面した兄の不審死、それによって疑惑の目を向けられているのではないかという不信感、サーカスの天才的スターであったにも関わらず兄の怪我により酒浸りになってしまった精神状態など、戦後の貧困による社会の不安と共にアベルの絶望と戸惑いが丹念に描写されていく。
アベルの何もかもが当時のベルイマンを反映しているようで、この時代のドイツに於けるユダヤ系外国人という立場や、天賦の才能に背を向けウダウダと酒で気を紛らわしている面など、自分自身がリアルタイムで体感している恐怖を作品そのものに投影しているようで、単なるドラマというものを超えた鬼気迫るものがパッケージされていて非常に面白い。
他の作品群と比較すれば異質だが、自身の私的な面を作品に込めているという点ではベルイマンらしい作品になっている。

一ミリ足りとも目を離させない吸引力が凄まじく、全てのショットが目に焼きつかんばかりに強烈。
潤沢な予算による豪華なセットが画面を彩り、ニクヴィストによる確かな手腕によって贅沢なほど時代を体感することができる。
キャバレーや狂乱の酒場シーンは「地獄に堕ちた勇者ども」を彷彿とさせるほど圧巻な画作りで、薄暗い街並みや不穏な空気との対比によって当時の国民の精神状態を象徴させている。
ラストシーンは超圧巻で、見終えた後脳疲労を起こしてトリップしたような感覚に。
映画に入り込みなかなか出てこれぬほど没頭させられた。
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