死霊魂の作品情報・感想・評価

上映館(3館)

死霊魂2018年製作の映画)

Dead Souls

上映日:2020年08月01日

製作国:

上映時間:495分

「死霊魂」に投稿された感想・評価

あ

あの感想・評価

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➀大前提として面白い/面白くないで語る映画ではないのだが、8割以上を占めるインタビューがとてつもなく退屈である…。当時の中国の闇について惨害や自身の経験を語るのだがこれが8時間以上続くのかと思った瞬間絶望した。と油断していると急に挟まれる葬儀のシーンの破壊力…!レンズが土埃だらけの手持ちカメラで、過酷な状況による手ブレを見ながら「王兵だ…!」と感動していた。

➁序盤は明水の収容所跡地で死者を弔う。かと思えば他9割はインタビュー。映画にする意味あるのか?と映画自体について考え始める。ひたすら流れ続ける字幕に目がやられはじめ帰りたいと思いはじめる。

➂さらにインタビューが続く。帰りたい、3900円と8時間を返せと心から切に請う。と死にたくなってたら急に世界が変わった。第三部、三人目の周さん(たしか)。「誰もあの頃の事は覚えとらん!本当は誰も話したがらないんじゃ!今の人らは何も分かっとらん!その辺のことなら本に書いてある!」と今までの人とは全く違っていた。周さんは収容所に連れて行かれるなり妻は別の男と出ていき、周さんは脱走し切った。今住んでる家具などは自分で働いた金で買い、今は一人で過去を生きていると話す。ここで今までの違和感が明確になった。今までの人はどこか幸せそうな現在を生きながらインタビューに答え、僕はそれを観ながら話者の傷を癒す同情しか生まねえな…と思っていたが周さんだけ魂は過去に置いたまま、たった一人で今を生きていた。だから周さんだけがカメラを背ける素振りを見せたしカメラは腰だけ移動しているような周さんを追った。ドキュメンタリー映画において大事なものはカメラと被写体の関係性だと知っているから、他の人らと違って何度も出演交渉をしたのだろう。そうした軋轢があったからこそ周さんだけ言葉の重みと佇まいが全く違っていた。ここにこそ真の中国の闇が潜んでいた。8時間この映画と対峙した者にしか与えられないラストの長回しはさすがに震えた。
映画筋力低下してるなか8時間15分よくがんばった…。時々意識飛んだけど、ラストエリクサーとして用意してたメガシャキを使わずに済んだ。ラストが骨太(二つの意味で!)でオーバーキル状態。ずっと🙏してました。

シネマリンでは第3部前におにぎりオーダーができた。うれしい配慮。

第1部、第2部はそう変わらず、第3部で変わるぞ、それまで我慢だ!と思ったが、やはり変わらず。眠気は峠を越えてたが、その話はもう聞いたよ…!と心の中で叫んでた。何回も同じ話を聞かされる感覚は、お酒の席での年配の人の昔話と同じだったけど、慣れてくると楽しい。

第1部の最後に出てたおじいさんの、ジャケットを左側だけ着て、ズボンは右側だけまくって膝を出すというクセの強い着こなしが、ベストドレッサー賞でした。

あと最後のほうの女性の話が印象的だった。生き残った側(のちに亡くなる)から、さらに残された側の話も聞くことで、第三者として抱く感情が立体的になっていくのがとても面白い体験だった。

また地図で場所を確認したらより深く理解できた。中国にはこういう人知れぬ土地がたくさんあるんだろうな…

ちなみに読み方は「しこんれい」が正しいそうで、その説明が配給会社ムヴィオラのFacebookに書いてありました。

以下、転載----

・『死霊魂』を「しれいこん」と読む理由①
ワン・ビン監督はタイトルにすごく悩んだ。その時、中国の作家 #魯迅 が晩年に翻訳した#ニコライ・ゴーゴリ の小説『死せる魂』の中国語題『死魂霊』が頭に浮かんだ(魂と霊の位置が映画と逆)。
魯迅とワン・ビンは出身地域が異なり、時に言葉に違和感があり、監督は『死魂霊』はしっくりしなかったため、魂と霊の位置をひっくり返し、『死霊魂』がいいのではと閃いた。

・『死霊魂』を「しれいこん」と読む理由②
先の理由から『死霊魂』は造語なので、ワン・ビン監督は日本語はどのように発音してもOKと言っているが、中国語には「死霊」という言葉がなく、魂霊、霊魂という言葉はある、とのことなので、
「しりょう」で切らず、「し・れいこん」と読むのが自然だと考えました。
りょ

りょの感想・評価

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このレビューはネタバレを含みます

長さと
眠気を耐えるためのコーヒーと
空腹と
内容に気が狂いそうだったし、狂いかけた
何もかも嫌になったし
死が身近だった話を8時間も聞いていたので生きるのが嫌になった

でも家に帰って人からの手紙を読んでLINEしてご飯を食べたら元気なりました

自分はどのように命を終えるのだろう
死ぬ準備を始めようか

まで考えるほど落ちていたので復活できてよかったです

パンフレット買えばよかったな、と今は思えるけど、観終わった時はちょっとその元気なかったな…………

衝撃はいっぱい受けたけどそれを言語化する元気も今はまだないです


34
キムチ

キムチの感想・評価

3.8
いつものことながら手持ちカメラが辛かった。なので、骨のシーンは良くなかった。
り

りの感想・評価

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絶望的な環境で生死を分けたのは一体なんだったのか。
上映中はずっとそのことを考えていた。

配属された部隊がご飯を多く食べられるところだった
脱走に成功した
家族の助けがあった

色々あるだろうが、やはり運命なのかもしれない。

あの悲劇は過去ではなく、現在も世界中で繰り返されていることを改めて認識することができた。

自分に何ができるかは分からないが、当事者の方々が語ってくれたことや亡くなった方々の無念はずっと心に留めておきたい。

8時間半も必要なのかといえば寧ろ足りないくらい。最後の収容所跡の長回しで突きつけられるものの重さはこの長さがあってこそだったと思う。

ただ、映画館でしか世に出せないのも大変な損失なので地上波用に2時間バージョンもつくっていただけませんでしょうか…。無理かな…。
ebifly

ebiflyの感想・評価

3.9
完走してきました。サタンタンゴ 、東京裁判に続き、自らの長編コレクションの中でも最長の8時間超え。インターミッションも入れれば、トータル9時間の映画体験となりました。

他の方が言うように、中身もさることながら、まずはこれを観きれたことによる達成感と、何かステージが変わったような感覚になれたことは大きい。人に誇れる映画体験とでも言うのでしょうか。

内容は、反右派闘争と、それによって収容された人たちの中でも数少ない生存者たちへのインタビュー、そしてそこで働いていた職員や、家族を待ち続けた家族へのロングインタビュー。第一部はだいぶまったりとして眠たく、第二部で話のテンポに引き込まれ、第三部で別の視点に広がってラストシーンへと向かいます。

とにかく目を伏せてはいけない歴史的背景に釘付けになることや、ナチスのような収容所ではないけれど、またそこに別の残酷さがあり、餓死という自然死にも見せかけられるような姑息な手段をとることにも、また嫌な感覚を覚える。

カラーではありながら、サタンタンゴのような長回しもあり、一見意味がないような描写や間も取られている。全てが真実かは分からないが、それぞれの話をトータルすれば、その当時の温度感が感じられる。

サタンタンゴはひたすら疲れる。東京裁判は一瞬も飽きない人間模様がある。死霊魂はここまで長い必要はないなと思う部分が多い。でも、そんなに疲れる感じではない。ラスト10分くらいのシーンは、あえて長引く撮り方をすることで、観る側への無言のメッセージが伝わってくる。思わず手を合わせながら、じっと見つめてしまった。

音楽もない、これといった演出もない、ナレーションもない。極限まで無駄を省いた8時間超の作品。興味があれば、人生で一度くらいは観てもいいのかも。ちなみに、超満席でした。自分も含め、割と若い人が意外といることにも驚き。
Nasagi

Nasagiの感想・評価

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『鳳鳴』『無言歌』と反右派闘争について撮ってきたワン・ビン監督の集大成。3部構成で約8時間半あり、そのうち7時間ちかくがインタビュー映像で占められている。途中で2回休憩があるとはいえかなり体力的にきつかったが、映画館でみる価値はおおいにあると思う。
暗闇の中から語りかけてくるかのような生存者の肉声、死者の嘆きのように吹き荒れる風の音…
もともと反右派闘争は、多くの方が名誉回復こそされているものの、中国においてタブーとして語られてこなかった歴史。
犠牲者たちの供養も満足にされず、明水収容所の跡地には無数の人骨が野ざらしにされたままとなっている。
生存者たちは不名誉な扱いをうけながら、その多くがこれまで口をつぐんできた。
さらに10年以上にも渡る本作の制作期間のなかで、その生存者たちもどんどん寿命で亡くなっていく。

このようにひとつの巨大な事件が風化し、歴史の闇に消えていくなかで、映画はどれだけそれを記録できるのか。まさに壮大なテーマ性をもった作品だった。

大躍進政策の失敗によるとてつもない飢饉(2000万〜4500万人が死亡)がかさなる時期だったこともあり、生存者たちが話すのはとにかく飢え、飢え、飢えのとこと。
生き残ることができたのは食糧班など、なんらかの理由で配給とはべつに追加の食べ物を入手できた人がほとんどだったそうだ。
生存者のなかに、「死んだ仲間のおかげで自分の命は助かった」という心境を吐露している方がいた。
これは収容所での死者があまりにも増えすぎたことが、結果的に上層部が収容者の「救済」を決定するきっかけになったという経緯があるためだ。
犠牲者にたいする彼らの思いも、それだけ特別なものがあるのだと思う。


ワン・ビン監督はこれほどの大作をなぜ、ほとんど証言だけで構成することにしたのか。
個人的には、『ショア』のような表象の不可能性という問題意識とはまたちがうのかなと思った。それよりは、純粋に1人1人の証言の重みに対するリスペクトが前面にでた結果なのかなと。
インタビュー場所となる生存者の自宅の様子がカメラに収まっていることで、ほんとうに「お話を聴きに伺ってる」感じがしたというか。
老人たちの家を訪問し、かれらに敬意を払いながら、その語りに真剣に耳を傾けるというワン監督が行ったことを、観ているこちらも追体験しているような気持ちになった。


反右派闘争で用いられた「右派」というレッテルは、究極的には党批判をする者にはだれでも適用可能なものであり、さらには多くの人が語っていたように、上司から個人的に嫌われたせいで右派に仕立て上げられてしまうというような冤罪が横行していた。
共産党の権力が絶対化されていくなかで、党の決定に対して逆らうことはおろか、控えめに意見することすら危険になった。

終盤で収容所の元職員へインタビューするシーンで、「お前ならどうする?」という監督(観客)への問いかけがあった。
もちろんここまで話を聞かされてきて「いや、それでも自分は反抗します」なんて簡単に言えるわけがないが…

ただここで末端の加担者となる道をえらべば歴史は繰り返されてしまうと思うので………自分はそうはなりたくない。
kanao

kanaoの感想・評価

3.5
怒涛の三部構成でした。60分ぐらいは寝てしまったな…。

簡単に言えば「地獄」の体験が語られていくのですが、当時の幹部のおじさんが「もしお前があの場にいたらどうにかできたか?」と言った部分はあぁ…ってなりました。悲しいかな、国家は強い…。

田舎のじいちゃんばあちゃんに昔の話を聞く感じが思い出されました。忘れられないだろうなぁ。
文字

文字の感想・評価

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 まるで一切の批評ないし意味の付与を拒むかのような、眩暈を定着させる作品だった。何を語りうるのかはわからない。ともすれば、私は私自身を引用するしかない。
 作品の中で語る語り手と証言者が、簡単な等式で結ばれることはあり得ない。ある者は自己を引用し、またある者は自己を批評することによって論証を試みる。記憶することと記憶されることの交錯が映像に映し出される人物自身によって複素的に行われていたように思う。そしてその試みは必然的に時間に阻まれる。
 語り手は過去の自分を引用する。現在の自分が、年月日まで正確に過去の自分を引用する。このことは乃ち、「自分」は単なる時間でしかなくなってしまう事態を意味する。
 そのように考えてみたときに、皮肉にも作品に映し出される語り手を人称的な個人に限定して還元することが困難になってしまう。ある一個の匿名的な言葉として理解してしまう(匿名的=普遍的では決してない)。人称的な個人は没却され、単なる「時間」と化さしめられる。
 しかしその一方で鑑賞者たる私からはその時間というものが抜け落ちてしまった。映像を観るのを一瞬やめて瞬きをしたのか、それとも寝ていたのかはわからない。しかし再び目を開けてもあいつの顔はそこにあった。つまりは私はこの作品を観たという経験を有してこそいるのかもしれないが、そこに時間意識はない。だからここまで考えてきたことも自家撞着に陥らざるを得ない。地平も根底もない。でもこれも過ぎたことだ。
Ж
 作品では屡々収容所跡地ー荒野が映し出される。荒涼とした風景は彼らが語る言葉の起源の喪失を示す。そしてその風景は語られる声を無残にも軽蔑する。そこには灰色の谷間に撒かれたパンしかなく、それは情け容赦なく口汚く罵る。いやもしかすると、風景と言葉は厳密には対立していないのかもしれない。つまり、語られた言葉と映し出された荒野の風景との関係は密接に結びついているわけではない。収容所について語る言葉はあったが、あの荒野を語る、語りきる言葉はあっただろうか。地続きであるのか、断絶したものであるのかはわからない。知ること=思い出すことはできない。しかし過去について語る言葉と、あの風景が無関係であると断定することもできない。両者には緊密な関係と緩やかな関係の両方が混在している印象を受ける。すなわち、起源の喪失に伴い記憶されなければならないという要求が、言語や時間を経由して受け継がれ、存在し続けるための条件と化す。もの語りの起源の喪失それ自体が記憶することの起源となる。つまり、記憶されえないものを前提としたときに初めて記憶することが要請されるのではないか。それは、語り手が語ることによって得られるある種の満足、そして語ることや生き残ってしまったことへの羞恥と、風景からの誹謗が混交することに示されているだろう。語られる言葉は未来よりもむしろ、過去を志向する。そしてある時点で語られた過去を志向する言葉が風景によって拒絶されると同時にそこで回収される。
 でもどうせあいつはなんにもかんがえていないだろう。きらいだ。
かくわ

かくわの感想・評価

4.5
「反右派闘争」の生存者-証言者-達による8時間超えのドキュメンタリー。
とんでもない作品です。
もうここまで来ると「もう観て」ととしか言えなくなる。

こんな出来事があったのかという衝撃と、それを裏付けるかのような人骨が散らばっている砂漠…

ラストの10分は思わず姿勢を正して見入ってしまった。

予習として『無言歌』の鑑賞は必須です。
これを見ると見ないとで、証言の伝わり方が変わってきます。

2020-180-083
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