ザーヤンデルードの夜の作品情報・感想・評価

「ザーヤンデルードの夜」に投稿された感想・評価

この映画を見始めたとき、何か衝撃が走った。昔の友達はイランからで国王シャーが追われれ、ホメイニ、イマーム派が中心となってイラン革命が起きた後、政治難民として、米国に亡命したからだ。彼女はその時、テヘラン大学の学生だった。たとえ、民衆の革命であったとしても、亡命先で自由を叫んでいたホメイニを中心にイスラムの国家体制を作り、今までのような服装も着られずブルカで全てを隠す学生時代で、抗議、討論だったと。革命だからね!

イラン革命の話を彼女から聞いただけで、特に興味を持っていなかった。しかし、これを観始めたら、意味がよくわかるので背筋が寒くなった。そして、この人間人類学の大学の教授、モハマッド(Mohammad Alaghmand)の存在は当時のモハセン監督を意味していると思った。監督のイランにおける存在だったと思った。監督はすでに亡命しているが、彼は何度も殺されそうになったといったのを聞いている。

教授が国王シャーのことをImperial Cult 皇室のカルトという。そして、Demigodといういいかたで、ミニ神といってる。学生から、国王を軽蔑してる!と声が上がるが、教授はこれは人間人類学のクラスで、イラン人の文化的見解を勉強しているという。多分、日本で天皇のことをこう呼んだら、反感を持つ学生がいるだろうが、これは日本人の文化的見解だと言われたら人間人類学的にこう見ることもできると納得する人もいるだろう。

この作品は検閲が入っていたので、全映画を観られず、時々、会話なしで人の動きだけだ。観られませんよという表示があるのには驚いた。こんな映画を初めて観た。

監督は自分の命を犠牲にしてまでもこの映画を作りたかったというのがよくわかる。教授が家族の者に話す言葉には真実味があり、察するには、この監督のテーマは人類愛なのだ。

『私は正直者だと。そして、政治活動家ではない。専制主義者でもない。自由主義者でもないと。私の哲学は愛だと。個人個人が他の人を愛することだと。』参った。これは教授のことばだが、監督の哲学なのだ。『I drink coke, therefore I am 』
でも、シャー批判したと言われ彼の家族は災難にあう。

昨日20分だけ鑑賞して書いたことに疑問点を感じた。監督の言いたいことはイランの社会問題の追求ではなかろうか?その解決口は一人一人握っているが、社会の人々なしには解決できないから、個人個人の意識向上/問題意識が大事だといってるのではないか?監督は気づきを与えているのではなかろうか?

父親である教授サイドから見た味方と、看護師の娘から見た目と、また、娘の仕事場の医師から見た目と、患者であって娘に惚れた、歩けない男性の目からと、娘と結婚しなかった男性からの目など、それぞれの見解が違うので書きたいが、長くなりすぎるので、いくつか私の感じたことを書く。

まず、当時の高学歴者のイランの社会とモスリム 社会の弊害である女性の自由意識の欠如についてだけ書きたい。
父親は娘に愛を告白した患者だった男性に会うが、驚いたことにまず、学歴を聞く。その次に、なぜ、足が不自由で車椅子なのか、なぜ自殺未遂をしたかと質問する。これが、父親の知りたいことなのだ。娘にあった男性を探すのが努めなようだ。しかし、事故にあって歩けなくなったのは人を救うためという答えを父親はまるっきり無視するが、この男性を知ろうともしないのだ。自殺した理由も誰も自分を愛してくれないからというのもそうだ。父親は自分も同じで、誰も自分を気遣ってくれなかったと。父親はこの男性と違って積極的に愛を求めて行かないから。そして、父親も同じような経験を味わっているのに、娘のことになると『自分の娘は』という特別意識があるのだ。まあ、確かに、愛は同情ではないという父親の
言葉は重いが。娘が、幸せって、今の状況が幸せなら幸せなんだと心理学者の名前を引用していうが、頷けるね。

女性の自由意識の欠如はイスラム教では長い間の課題になっている。グローバル化の中で閉ざされた世界にいるわけではないので、自ずと自由に生きている女性の話が耳に入ってくると思う。当時はこの娘のように女性の生き方に疑問を持っても、(男の方が自由で、結婚を申し込んだり離婚したり、多妻でもいい。でも、女は理想の男と結婚して幸せな家庭を作る。独身でいたら、悲劇だ。)男と同じ自由を獲得できない。この娘のいうことは監督のイラン社会の問題点だと思うが、この娘がこの問題意識をどう解決するかをみてみたかった。そうでないとただの不平不満のように感じる。

父親は交通事故にあった時、自分の伴侶を助けなかった人々に反感を持ち、人間不信に陥ったが、その後、イラン革命で、負傷者を助けている仲間たちを窓越しに見た。最後に、また交通事故があっても誰も助けないのを見た。彼も、また傍観者の一人で、なにも行動に移さなかったから伴侶を助けなかった人を責められないだろう。
削除されたからってつまらなくていい言い訳にはならない。元の姿でも面白くなかっただろうことが簡単に分かるショットと物語。削除された方がパッケージの説明で伝説化するからマフマルバフとしては助かったのでは。
イラン政府に検閲された映画の断片であっても、反骨の闘士マフバルバフ監督の意図を損なうところがない。
masaakib

masaakibの感想・評価

3.8
元々、1990年に100分の作品として作られ、イラン当局により63分にカットされ、さらにネガも没収された作品。63分のネガが救出され、ヴェネチア映画祭で上映されたもの。検閲により、音声がない部分もあった。
作風は「行商人」に近い感じで、「借り物の演出」感が若干あるものの、なかなか激烈。100分版を観てみたい。
作品自体が完全か不完全かの前に、一つ一つの断片のクオリティが非常に高い。検閲でズタズタにされても尚、良いものは良い。パワーのある映像表現が観ていて心地よい。
革命で何が変わったのか、何が変わっていないのか、人生に選択肢はあるのか、そもそも何をもって『変化』と見なすのか、、
たった60分の間に様々なテーマが交錯し、かつ濃縮されている。

このレビューはネタバレを含みます

『ザーヤンデルードの夜』鑑賞。本作は内容よりも、日本での上映までに辿ってきた道のりだけで感じ入るものがある。元々100分だった作品が検閲で63分に短縮され、それでもイスラム革命の理念に合わないとされてお蔵入りとなり、10年以上の時を経てサルベージされ、修復・公開されたという、この映画をめぐる物語だけで映画が撮れそうな作品だ。
作品の内容は非常に難しかった。上映後に監督への質疑応答を聞き、大学の教授である主人公が説く、政権と暴力と文化の関係性が作品の伝えたいことだと理解した。政権が暴力的であるということは、私たちを取り巻く国民性とも言うべき文化が既に暴力性を帯びている。火のないところに煙は立たないというように、イランの日常には暴力が蔓延していたという。男性の女性に対する暴力、大人から子供への暴力、権力者から弱者への暴力。監督はそうした現実に対するメッセージを通じて、社会を変えようとしている。その姿勢に最も感動した。
konomo

konomoの感想・評価

3.8
検閲でカットされた上で上映禁止になり、何年も失われていた作品。それが救い出され、短く、音声も所々無声にされた状態ながら日の目を見た、その事実にまず打ちのめされる。

とある父親と娘の、イスラム革命前、その最中、数年後を描く。移り変わる社会と人々。

父親が、政権云々よりもまずイランの文化の根底にある暴力性を問題視していて(つまり政権がどうなろうとそれがなくならない限り悲劇を呼ぶ)、で、舞台のひとつである病院ではしょっちゅう自殺未遂者が担ぎ込まれ(ここの部分は喜悲劇的)、人々がすぐに絶望する様も描かれており、つまり直情型なのかなぁとか。
とはいえ怒ったり絶望したりシンプルなようでいて、社会の流れに沿って行動を変えたり、人を信じなくなったり、助け合わなくなったり。
かと思えば社会なぞ関係なく人は心変わりしたりぐるっと回って戻って来たり。

ねえねえどうして?どうすれば?という監督の若々しい問題提起が眩しかった。
カットされた部分はどんなだったのか、何を言っていたのか、いつか分かる時も来るかな。

このレビューはネタバレを含みます

第17回東京フィルメックス イラン映画「ザーヤンデルードの夜」を観て
(動画は上映後の監督のQ&A)
私には、理解するのが難しすぎる映画だったけど、小学校時代仲良かった大好きなイラン人の友達とその子の家族が今イランに住んでるからなんだか他人事じゃなかった。
政治的圧力って恐ろしいな。道端で倒れてる反体制派の人が居ても助けたら罰を与えられるから助けない。っていう状況が実際にあったなんて信じられない。それは人としておかしいよね?捕まってでも助けるべきでしょ?っていう監督の想いを凄く感じた。

監督が、映画館に行ってSocietyの中で脳にとってHealthy foodな映画を沢山観て考えることは凄く大切だって言ってたから、これからも沢山映画を観て沢山考えようと思った。McDonald's Movieは駄目だって!
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Copy from Tokyo Filmex
イラン / 2016 / 63分 / 監督:モフセン・マフマルバフ(Mohsen MAKHMALBAF)

人類学者の父親と救急病棟で働くその娘のたどる運命をイスラム革命前、イスラム革命中、そしてイスラム革命後の3つの時代にわたって描き、マフマルバフ本人もその一端を担った1978年のイスラム革命の意味を鋭く問う作品。検閲によって25分間カットされた後、1990年のテヘラン・ファジル映画祭で上映されたものの、再度の検閲で上映自体が禁止となってネガが当局に没収されたため、それ以降イラン国内外を問わず全く見ることのできなかった幻の映画。近年、何らかの形でネガがイラン国外に持ち出されてロンドンで復元作業が行われ、本年のヴェネチア映画祭クラシック部門のオープニングを飾った。検閲前のオリジナル版は100分であったと言われる。
#東京フィルメックス #映画祭 #moviefestival #movie #filmex #tokyofilmex Video from TOKYOFILMeX
miku

mikuの感想・評価

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東京フィルメックスにて鑑賞。

検閲により、自国では上映禁止となりネガ本体が没収されたという幻の作品。
元々100分の作品の63分間だけ修復されての上映だったけど、音声がなかったり映像が途切れたりして、完璧な状態ではなかった。それがイランの歴史と文化を象徴していて、とても貴重なものを観た感じ。

面白いとかではなく、なんだか感動でした。

生マフマルバフ、カッコ良かったです。
大学教授の父と看護師の娘を軸に、イスラム革命の前・中・後を描く。
元々1990年に100分の作品として作られるも、当局の検閲によって37分カット。
その後上映禁止されネガが没収されたが、数年前に63分の版がイラン国外に持ち出された幻の映画。
大幅にぶった切られた上に、一部シーンでは音声まで消されていて、これはもう元々意図された映画とは言えないので、スコアは付けられない。
本作の辿った長いストーリーを含めて、1つの表現と捉えるべきだろう。
マフマフバルは、イスラム革命を挟んだ14年間でのイラン民衆の変化を見て、文化と政治と人々を描く作品として本作を企画。
監督はイランの人々に、自らを映し出す鏡を作ったそうだが、鏡に映った自分の姿を国家は気に入らず、破壊してしまったと言う訳だ。
独裁と検閲の恐ろしさを、リアルに実感させられると言う意味で貴重な作品。
タイトルのザーヤンデルード川に架かる、独特の構造を持つ橋が象徴的に使われていて、面白い効果を出している。
全長版が観たかった。
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