24フレームの作品情報・感想・評価

『24フレーム』に投稿された感想・評価

くりふ

くりふの感想・評価

4.0
【映画の踊り場】

JAIHOにて。2017年、死後に完成されたアッバス・キアロスタミの遺作。

カンヌでは話題となったそうで、日本では東京フィルメックス2017で上映されたが、当時は時間も合わず、行けなかった。

監督が自ら撮影した写真、その瞬間の前後を後から想像?し、静止画を4分半の映像に膨らませ、計24の章に纏める試み。CG処理し捲り。

まず“凡例”としてブリューゲル「雪中の狩人」が動き出し、続いて贈答用カレンダー風写真が動き出す章が始まると、正直またかと思った。こういう試みは、実験映像の世界ではさんざん見てきている。

でも、10章辺りからか、特異な風景やシチュエーションが盛られてくる。面白い!惹かれる章が増え、知らない感覚の場へ連れて行かれる。

見る側の映画体質との相性が左右するな、とは思う。退屈でどうしようもない人も居るでしょう。

が、これは、階段を登り切り目的地に至るのではなく、踊り場でちょっと立ち止まり、自分の想像力を振り返ってみようよ、という試みだと感じる。

喜怒哀楽を強制喚起される大量消費映画では味わえない、自分が、どんな位置からどんな視点や想いで、映画を見てきたのか、逆に自分が見られている感覚。今ではこういう機会って貴重だな、と思う。

示されるフレームは、監督が用意した想像力広場であり、好きに遊べばいい、退屈なら帰ればいい。監督は強制していない。その見方に優劣もない。

どっかの傲慢自称プロのように、“ひとの見方”を見下すのは、自分の想像力が貧しい、と暴露することでしかないからね。

それは最終章にも、ささやかに示されている。ずっとフレームに拘ってきたものが、デバイスとテクノロジーへと視野を少し、広げている。

“映画を見なくてもいい、寝ていたっていい”これは断念なのか優しさなのか。

こうしながらも監督は、イランでは御法度な、セクシャルなミサイルを最後に、ゆっくりと仕込んでいる。

フレームを武器に、最後まで戦士だったということでしょうか。

<20121.7.3記>
べん

べんの感想・評価

2.5
TOHOシネマズ日劇にて。FILMeX。途中退出してたヤツらざまあなラスト。
Seaセア

Seaセアの感想・評価

3.3
《久々のイラン映画3貫》2貫目

 キアロスタミ監督の遺作は、ずっと4分の"動く写真"の繰り返し。

 観てて美しいけど、独自の作品過ぎて他の映画と並べて評価するのはとても難しい…
 他のキアロスタミ監督の作品が好きなので、相対的に今作はこのくらいの星にしておこうかな。

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観た回数:1回
直近の鑑賞:JAIHO(21.08.02)
紅茶

紅茶の感想・評価

3.4
キアロスタミ監督とアニメーションの相性は正直イマイチというところ。アニメーションが採用されることの意義、観る者が見ようとしているものに不意打ちをかけるような偶然の産物がキアロスタミ作品の核であると感じていたためかもしれない。全てが計算尽くされ、画面内の情報が作家の制御内にあることはアニメーションの特長でもあるが。
でも世の中に数多あるワンショット、それは例えば美術館に飾るような写真や絵画が撮られた前後のシークエンスを撮るといういわばふんだんのイマジネーション巡らせる彼の心意気は興味深い。
海

海の感想・評価

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何年か前の、ある初夏の朝、起きてもまだ雨が降っていた。昨夜2回に分けて降ったはずの雨が、また訪れたのか、続いているのかは分からなかったけれど、窓をあけたまま眠り落ちてしまったから、雨滴がベランダに落ちるぱたぱたという音と、山の方を走る国道で車のタイヤが水たまりを跳ねさせているサァーという音が聴こえた。今日くらいにはもうラジオも、梅雨入りですねと言うかもしれないなと思いながら、この時期特有の、晴れた朝よりもなんとなく調子の良い雨降りの朝がほんの少し嬉しかった。ベッドから出て、洗面所に向かう。そのときわたしが住んでいた部屋には大きな窓があった。壁一面使っている感じの、大きな窓。またあの窓から落ちてくる雨を、猫は見たいかもしれないなと考えて、歯ブラシを咥えたまま部屋に戻ると、猫は部屋の真ん中にじっと座って、まだ遮光カーテンが引かれたままの窓を見上げていた。電気も点けていないから、ほとんど光りのない、だからといって暗やみというほど暗くはなくて、光りによってつくられた影におおわれた部屋、明るさに、照らされた、暗い部屋だった。開け放した窓から、風が入ってきて、カーテンをわずかに揺らしていた。そこから雨は見えなかった。窓さえも見えなかった。ただ雨音のみが聴こえ、いつもよりも湿った空気とひんやりした風があるだけだった。猫は雨をみていた。あの磨きあげた宝石のようにうつくしい眼で、猫は、雨をみていた。

わすれられない、ある瞬間というのがあって、それは「最高」とか「すばらしい」とか「写真におさめるべき」とか、そのたぐいの言葉で表現しきれない、もっとずっとなにか、 わたしをわたしたらしめているもので、わたしがその日、あの朝、部屋に入るドアの前で、唇の端から歯磨き粉が垂れてくるまで、見つめていた猫と部屋の景色も、その瞬間のひとつだった。トンネルを走り抜けた先にあった海、誰もいない体育館で見た雪、夜の高速道路で見たたくさんの家の灯り。心を奪われた、そのときのわたしをそこに呼びもどすのは、誰かがわたしを呼んでくれる声、ただそれだけだった。キアロスタミは言う、枠の中に入れなければ見えないものがわれわれにはあるのだと。そのフレームとは、車の窓だったし、電車の窓だったし、建築の骨で、わたしの指で、あなたの背で、だれかのまなざしだった。わたしたちが、どんな生涯の物語を残しこの世を去り、そのあいだにどれほどの幸福を感じ、どれくらいのすばらしいことができたのか、他者の口から語られるそのひとの話を、わたしは今、どうだっていいよと思うし、それはそのひとの見てきたもの、聴いてきたもの、いのちをかけたものについて、わたしたちが干渉することは絶対に不可能で、そのことはかなしい孤独ではなく、うつくしい孤独だからだ、いとおしいあなたのことを、うつくしく、やわらかく、あたたかく、やさしいいきものだ と わたしは思う、わたしの記憶の奥にすむあなたの話は、かならず、沈黙から始まる。
2022/5/15



猫たちが一番好きな映画かもしれない、と鳥の声を聴きながら眠ったり、鳥や犬や雪の動きを目で追っているわたしの猫たちを見ていて思った。きっとうつくしいいきものに、できないことというのはなくて、言葉を話せないかれらは、言葉を話さないことができているだけだと感じる。ぎゅっとちいさくまるまった焦茶色と亜麻色のからだや、うごくものを追うきんいろの目を見て思う、あなたたちは、ほんものの、うつくしいいきものよ。画面の内には、ひたすら、一枚の写真のその前後に続いていたかもしれない、あるいは続くはずだった時間が流れ続ける。雪の降るなか車窓から見える二頭の馬が戯れあっているところ、一本の木にたくさんの羊が寄り集まり近くで牧羊犬が寝そべっているところ、格子窓の奥に鳥の影があり緑の芝にときおり二羽の鳥が降り立つところ。荒れた海の上でかもめが群れていて、一羽が撃ち落とされ、ほとんどが逃げてしまうけれど、心配するように何羽かが周りで様子をうかがい、やがて、戻ってきたたくさんのかもめが、死んだ者を慰めるように鳴き飛んでいるところ。わたしは幼い頃から、誰かや何かを待つことがすごく多かった。一時間も二時間も、その場所でじっとして、違う場所へ去るための迎えが来るのを、暗くなっていく空や、商店街に少しずつ増えてわたしをちらっと見て足早にすぎていく人たちや、つばめの巣や、野良猫や、雲の流れや街の灯りを見て過ごしていた。キアロスタミがこうして、枠の中になければ見えないものがわれわれにはあるのだと見せてくれた時間たちは、幼いわたしがからっぽのあたまで見つめていた景色だった。そしてそのとき見るかもしれなかった景色だったし、これから見る景色も、もしかしたらあるのかもしれない。枠の中になければ見えないものがあり、窓を開けてみなければ感じられない風や水分があり、ほねぐみにふれてみなくては聴こえてこない声もある。わたしは今も、今だって、待っていると思う。居るはずのないあなたを、来るはずのない迎えを、続きはしない終わりを、終わりはしない続きを、待っていて、そのためにあたまをからっぽにして、知ってきたすべてをいつでも手放せるように知らないことを増やす。それまでずっと、まばたきも忘れるほど見入っていたのに、最後の時間が数秒流れたあと、涙がとまらなくなって画面が見えなかった。わたしはおもう、芸術のため献身し、死んでいくことはきっとすばらしいことだけれど、舞台に立つことを望まないものをそこに引きずり出して拍手するようになったら、思考するとき芸術から遠ざかることが難しくなったら、終わりだ。感性が生きていても、心が死んでいたら終わりだ。語る言葉が湧き上がってくるとしても、黙りかたを忘れたら終わりだ。わたしが映画を観て、笑ったり、泣いたり、怒ったり、眠ってしまったりする、この部屋の、この窓の外がわで、こんなにたくさんのうつくしいことが、むごいことが、かなしいことが、うれしいことが、起きていてそれはきっと、あなたが見ている画面の中の映像以上のものですと、そんな声がきこえてわたしは泣いた。けっしてわたしを急かすものでも、脅かすものでも、諭すものでもない、やさしい声だったから、泣いた。あそこで鳥が鳴き、あそこで犬が眠り、あそこで鹿が倒れ、とおいとおいところで、あなたが雪に降られていることを知る。三つの言葉であなたが語ったとして、わたしは千の言葉をつかってあなたに返事をするだろう。千の言葉であなたが語ったとして、ただ黙って、あなたを見つめ、乾けば手を重ね、疲れたらただ息をし、動き、震え、続いていくあなたという景色に安堵したとき、わたしははじめて、眠りにつくだろう。
2021/8/28
chiyo

chiyoの感想・評価

3.5
2021/8/2
アッバス・キアロスタミ監督の遺作。固定カメラによる絵画のような映像で構成された全24章、各章4分半。異色作ではあるものの、各章の映像がすこぶる綺麗で思わず見入ってしまう。全編を通してストーリー性もセリフもなく、あるのは音楽と自然や動物たちの声だけ。が、それだけだからこそ、映画の原点を垣間見たような気持ちになる。中でも、絵画の中の世界に少し動きを加えた冒頭の章、撃ち落された鳥の傍らから離れない番いと思われる鳥の章、そしてラストの章がお気に入り。特にラストの章は、机に伏せて寝てしまった女性の前で流れる映画がラストを迎え、同時にキアロスタミ監督の映画人生にも幕が下ろされたような感じ。勿論、遺作だから余計にそう思ってしまうのだけれど。
まつこ

まつこの感想・評価

3.6
好き。「5 five 〜小津安二郎に捧げる〜」のように風景を見つめるだけなんだけど音や動きがある分見やすかった。(その分薄くなったような気もする…)家での作業時や音楽代わりに流すという贅沢使いがしたくなるなぁ。ファイヤースティックを繋げるのがめんどくさくて小さな画面で観ることになったのは少し残念。(この間はできたのにAirPlayできなかったのなんでだろ?)いつかディスクが出ると嬉しい。

余談
観たいがためにjaihoに入ってみた。今日まで配信中。
mare

mareの感想・評価

2.5
キアロスタミが遺した最後の映画であり絵画の1フレームから広がる彼の想像上の4分半が繰り返されるかなりの実験映画。絵画のように見てもいいだろうし、自然音に身を任せて微睡んでもいいだろうし、映画として向き合うことを要求しない次元の作品だと思う。現に僕は3回くらい寝落ちしてからようやく見終えた。映画というものにストーリーを欲してしまうからこの評価だけど美しいことは間違いないし、キアロスタミが最後に見つめた景色を共有できた。彼は最期まで現実と虚構の壁をいとも容易く壊し創造する作家だった。
shinichiro

shinichiroの感想・評価

5.0
思わず笑ってしまうくらい素晴らしい映画だったような気がする。
Shunsuke

Shunsukeの感想・評価

1.3
ぜんぜん面白くないんですけど。。
CG感ありありだし。
早送りで鑑賞。
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