「X&Y」に投稿された感想・評価

753

753の感想・評価

3.2
こちらを参照ください
https://filmarks.com/movies/88463/reviews/80481041

このレビューはネタバレを含みます

トーキョーノーザンライツフェスティバル2020にて。

監督の前作「同窓会アンナの場合」を鑑賞しておいて良かった。じゃなきゃ、思考が追いつかなかったと思う。

俳優ミカエル・パーシュブランドと監督自身の内面を分析、分割し、各パートをそれぞれプロの役者に演じさせる。
より綿密な関係性を構築する為にセットでの共同生活を数ヶ月。
アンナ・オデル監督はその間に共同生活をしながら革新的な映画を作る為の脚本を執筆する。
本作はその共同生活を収めた記録映像である。
もはや現実と虚構の境目が全くわからない。それどころか、中盤まで狙いすら分からなかった。
恐らくは男と女のむき出しになった性の交錯する座標を探ろうという実験なのだろう。
問題はその手法。
もうザワザワして仕方なかった。敢えて参加者全員を敵に回すような、倫理感を踏み外し続ける言動。
あとから考えるともちろんこの辺りも意図的に狙っているのだろう。
更には監督はじめ、女性が男性を追い詰めていく。弄んでいく。
昨今の女性を取り巻く環境へのアンナ・オデル本人としての、映画監督としての、アーティストとしての意思表示なのだろう。
いやー、この人の映画を観るのはひと苦労だ。
イカれた女が起こすイカれたおはなし。

狂気のアンナ・オデル。始めはマジで理解不能。


まぁでもちょこっと考えてみよう。
ある2人が彫った「XoY」の文字からして、今作のタイトルも&よりも、原点を意味するOを使った方が良かったのでは。

たぶん…たぶんだけど、作中のアンナ・オデルは男と女の2次元座標における原点を探りたかったのだろう。
だからあんなにsex、そして子どもに執着していたと推測できる。

けれども彼女は原点に辿り着くことはできず、恐ろしいラストを迎えた。
アプローチの仕方を間違えた、恐ろしい映画だった。
nccco

ncccoの感想・評価

-
うーん。寝ちゃった。笑
「同窓会」を観てからこちらを観たほうが、まだアンナに感情移入できてよかったかもしれない。上映の順番って大事だな。
ユーロスペースのトーキョーノーザンライツフェスティバルのAnna Odell作品2本目
『同窓会 アンナの場合』と比べると、、、見難いっ‼︎

この映画の冒頭でアンナは、この映画は実験的なものであり、その実験を行うとともに並行しながら脚本を描いており、現実と虚構とが入り混じったものであり、その区別は観客にはつかない、と宣言してる(本筋にミスリード的に現実の部分が散りばめられているが故に非常に難解な映画に仕上がっているのだが)
また、この実験的映画の目的としては『セックス・エジュケーション』にも出演しているミカエルの根源的な部分を探ることが挙げられる

この映画ではアンナとミカエルの表面的な性格をそれぞれ3人の役者に演じさせることで(アンナ、というよりはミカエルがメインの対象なのは言うがもがなではあるけれど)、根っこの、最も脆く、それ故に隠された本性を探るものになっている
それを示すかのように3人の役者たちはミカエルの分身であるはずなのに次第に主導権はその“分身”に移っていき、ミカエルには脆い部分だけが残り、その本性が見えてくるようになる
それを示すかのように、前半はあんなに男らしさに溢れ、自信に満ちたミカエルは映画も終盤になると常に不安そうな表情を隠せなくなっていく
その自信に溢れた様子はアンナとの冒頭のセックスについて話すシーンが物語っている、女性に対して男性が優位にあるという、まさに男性性の象徴に他ならない

そしてミカエルを精神的に追い詰めるのが、アンナの先の見えない映画の脚本執筆と“芸術の子”と称される、誰が父親なのかが判然としないアンナの宿した子供

アンナによるこれらの揺さぶりをかけられることによってアンナの狼のコスチュームのように、ミカエルは剥き出しにされていく
しかしその様子に狼のような強さは感じられず、まるで野良犬のようにか細い姿が映し出される

こうした実験的試みを2作続けて行った映画の寵児たるアンナとこのような作品を作れるスウェーデンという環境が、あまりにも日本と違いすぎて(パラサイトの作品賞受賞によってそれがより浮き彫りになったわけだが)羨望すら感じる

おそらく今年一番の難解映画であることには違いない
菩薩

菩薩の感想・評価

1.0
壮大なオナニーを見せられた後に「芸術に境界は無い」とか言われても「はぁ、そうですか」としか思えんし、結局前作が『セレブレーション』で今作が『ドッグヴィル』で、そうやって先人の傑作を換骨奪胎しなきゃ撮れない、むしろしても『8 1/2』にすら辿り着けない二次創作アーティストが芸術家を気取るな、酒井いぶきかお前は、と思った。オオカミのモチーフも俺の中では鴻池朋子なんで手出さないで欲しい。もう2度とこの人には関わりたく無い。
haruka

harukaの感想・評価

-
どこまでがリアルでどこまでが演技?どっちにしろ、呆気にとられた場面が多すぎた。芸術の名の下に、なにをしてもいいと思うのは大きな間違いだ。
kyoko

kyokoの感想・評価

1.9
リビング、ダイニング、寝室、衣装部屋、カウンセリング室、聴取室なんかがあるスタジオ。
ドッグヴィル手法?
そこに集められた役者たち(北欧ではメジャーな人たち)は、「アンナ・オデル」と「ミカエル・パーシュブラント」の分身として内面だの芸術性だのを演じることを求められる。んでそれを映画にしたいんだと。もちろん台本はまだない。

現実と虚構が入り混じってみんなが狂っていく話なら面白かっただろうけど、ヤバイのはアンナオデル本人ただひとり。
何がキツいって、アンナオデルの目的がぜんぜん分からないし、何度も「どんな映画を作るのか」と聞いても要領を得ない答えにストレスが溜まる。
自分とミカエルをサンプルにして男と女の性傾向を解明したいのか、自分の内面を誰かに晒してもらうことで楽になりたかったのか、xとyの役割は所詮妊娠だけよ!なのか。

こんなにもイラついた作品は久しぶり。ラストも「はあ〜?」って感じだった。
実験味の強い作品は私にはハードルが高い。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

1.0
【TNLF2020:劇映画版『ドッグヴィルの告白』】
トーキョーノーザンライツフェスティバル2020でタイトルだけ惹かれて観てみた『X&Y』がトンデモナイ作品でありました。これは監督のことをよく知らないと結構ダメージがでかい作品なので、先に監督の経歴について語っておこう。監督のアンナ・オデルはスウェーデンを騒がせた問題児であります。PARTNERに掲載された記事《スウェーデンのメディアを騒がせた卒業制作:アンナ・オデルが起こした「事件」(2016.01.21)》によれば、2009年にパフォーマンスアートとして、精神疾患女性に扮した彼女が橋から飛び降り自殺しようとしたところを警察に取り押さえられ、精神病院へ搬送された事件がありました。このアートは、かつて精神病院に入院した彼女が、精神病院の問題を芸術で告発しようとした作品であり、その過激さとテーマから物議を醸しました。そんな彼女は2013年『同窓会~アンナの場合~』で監督デビューを果たすのですが、いきなりヴェネツィア国際映画祭で批評家週間部門スペシャル・メンション、国際批評家連盟賞を受賞し、スウェーデンアカデミー賞で脚本賞を獲る快挙を成し遂げるのです。

それから5年後に製作された監督2作目が今回ブンブンが観た『X&Y』なのです。

スタジオに俳優が集められる。それぞれが、自分の分身を他の役者に演じさせ、現実と虚構の渦を生み出した後に脚本ができるというコンセプトだ。意識高い役者陣は、それぞれ自分の分身と対峙していくのだが、人は自分の内面を観られたくないもの。自分の分身が、醜悪な自己を投影し近づいてくる様にフラストレーションが溜まり始める。しかも、脚本がどれぐらい進展しているのか、映画はちゃんとできるのかすら分からないアンナ・オデルの奇行に役者の怒りが頂点に達していく。

この光景は、ラース・フォン・トリアーが『ドッグヴィル』を撮影した際のいざこざと非常に似ている。その舞台裏を描いた『ドッグヴィルの告白』では、独裁者のようなラース・フォン・トリアーがドンドンうつ病になっていき、ニコール・キッドマンに宥められたり、突然失踪する彼を役者が心配し始めたりとメチャクチャな現場でした。しかし、映画自体は、非常に意欲的な傑作であった。

しかしながら、この映画の場合、アンナ・オデルがただ単に芸術観を拗らせ、役者を怒らせることに快感を得ているようにしか感じられず、観ている方もフラストレーションしか溜まりませんでした。実際に撮影現場で男女が交わり、撮影期間中に子どもを作り、その子をアートの子とするという発想からして自分の道徳観が破壊され、気持ち悪さを感じました。正直、この作品は失敗だと思う。

『童貞。をプロデュース』で加賀賢三が監督の松江哲明からセクハラを受けていたことを告発し、平行線泥沼な問題に発展した今の日本からこの映画を観るととてもじゃないが褒める要素が一つも見当たりませんでした。
eigajikou

eigajikouの感想・評価

4.0
『同窓会/アンナの場合』と違うのは、
スターたちが演じている安心感。
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