介護という問題に対して、真っ向からえげつなく切り込んできた映画だった。
介護する側は一方的にどんどんと追いつめられる。
介護される側はわがままになり、仕舞いには相手を認識することすらできなくなっていく。
金がある家庭はまだいい。施設なりなんなりと逃げ道があるからだ。
でも、金がない家庭では、介護する側もされる側も追い込まれていく。
「なんでこんな人間が生きているんだろう」
と思うことだってある。
「こんな奴、死ねばいいのに」
と願ってしまうこともある。
そこにきれいごとが入る余地はない。
介護される側にとっても同じだ。
徐々に自我を失っていく恐怖。
人間としての尊厳を失われていく状況。
それが耐えられない、と思う人もいる。
映画の中では殺人を救いだと語る斯波と、殺人は殺人でしかないと突きつける大友が対峙する。
表面的に見るならば、大友の考えが真っ当だし、正しいものだろう。
でも、彼女の言葉は斯波にも観客にも響かない。
逆に、斯波の一言一言が重くのしかかる。
「安全地帯からきれいごとを並べる人間が余計に彼らを傷つけるんです」
とどめのその言葉にゾッとする。
他人事でなく、本当の意味で介護の現実と向き合うならば、きれいごとは通用しない。
そこにあるのは地獄であり、残酷な現実であり、上から目線の意見が救いになんてならないからだ。
「尊厳死」の問題は、現代の日本では触れることすらタブーとされる傾向にある。
でも、超高齢化社会を迎えようとしている現在、実行するかどうかは別にしても、僕らは真剣にそこに向き合わなければいけないのかもしれない。
斯波の言葉が重い。