機動隊が警棒をふるってデモ隊を打ち据えている光景は、今まで外国のこととしか考えていなかったが、こうやって見ると本当に怖い。デモ参加者でチビリそうになると書いていた人がいたが、実感はとてもできないにせ…
>>続きを読む第一次羽田闘争で犠牲になったかたのドキュメンタリーに取り掛かったタイミングで、第二次羽田闘争がはじまってそれも取材するという、神がかった即時性が魅力の小川紳介初期のドキュメンタリー。
失敗だったのは…
小川プロが初めて成田空港建設反対運動を描いた『日本解放戦線・三里塚の夏』(1968)製作の前年、日本は「第一次羽田闘争」に揺れていた。
1967年10月8日、羽田空港から南ベトナムに出発しようとする…
P.グスマンを始めとした各国のドキュメンタリーに比べると、ここに出てくる官憲、というより日本人一般は驚くほど「撮られる」という被暴力行為に対し無関心・無知である
小川紳介はおそらくそこに苛立ち、最後…
67年の10.8については、54年後の2021年に代島治彦さんが『きみが死んだあとで』を作っている。(もちろん『きみが〜』にもこの『現認報告書』の映像は引用されている)
改めて小川紳介、大津幸四郎…
シネトラクト。ネットのない当時からすれば映像つきのメディアでいちはやく情況を伝えるのにこうしたんだな、と。今小川紳介が生きていたら運動をどう伝えただろうか、とか思ってたらこの後で見た「理大囲城」が完…
>>続きを読む違和感も大いにあるけど、めっぽう力強い。
佐藤栄作首相のベトナム訪問を阻止しようとする全学連と機動隊の衝突。その中で起きた学生の死。それらに関するドキュメンタリー。
機動隊員が学生を棍棒でボコボ…