メトロポリタンの作品情報・感想・評価

「メトロポリタン」に投稿された感想・評価

1980年代のニューヨークを描くホィット・スティルマン監督の三部作の第一作目。テーマは「滅びゆくプレッピー」です。ボクはファッションが大好きなので、ホィット・スティルマン監督のこの三部作は大好きです。1980年代はプレッピーファッションがリバイバルした時期で、ホィット・スティルマン監督が描くのは1980年代の短い間にリバイバルした古き良きプレッピーをです。まだパリピとかいない時期。1990年の公開時期にはほぼ死に絶えたプレッピー文化を「滅びるものへの優しい眼差し」で描いています。

まずプレッピーの解説。ハーバード大学などアメリカのアイビーリーグ(アメリカ北東部にある名門市立大学)などに進学するための私立の進学校をプレップスクールと言います。私立なので当然ながらお金持ちのご子息しか通えません。プレップスクールに通うからプレッピー。スコット・F・ジェラルドの『華麗なるギャッツビー』の世界。彼らが好んで着たファッションがプレッピーファッションです。代表的なのがジョン・F・ケネディーですね。代表的なブランドはブルックス・ブラザースとかJプレスとかです。近い年代を描いた映画として『セント・エルモス・ファイアー』とか『ブレックファスト・クラブ』がありますが、それより上流クラスです。

1990年に1980年代のプレッピーを描くのって勇気がいることです。グランジとギャングスタの時代ですよ。スパイク・リー『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)公開翌年、ニルヴァーナ『ネバーマインド』(1991年)リリースの前年です。おそらく、プレッピーファッションが一番下火の時期です。上流階級もパリピ的な楽しみ方をしはじめた時期です。ボクもこの時期にアメリカにいましたが、パーティーでウェイウェイやってましたよ。めっちゃニーズがないですよ、プレッピーなんて!この映画で出てくるような貞操概念なんてもう崩壊してますからね。この時期にプレッピーを描くなんて、ある意味でパンクです。イカれてます。

前置きが長くなりました。舞台は1980年クリスマス時期のニューヨークです。登場人物たちはプレッピーたち。視線の提供者がなぜかプレッピーの仲間になってしまったあまり裕福ではない主人公トム・タウンゼント(エドワード・クレメンツ)です。

トムは上流階級のプレッピーたちの集まりに混ざるのに違和感を感じながら徐々に仲良くなっていきます。会話がすごくスノッブでいいです。文学とか哲学とか。ちなみに、日本でも哲学の話ができる奴らがモテた時代があったんですよ。それも1980年代です。中沢新一『チベットのモーツァルト』とか。そして、トムはプレッピー仲間の一人であるオードリーに徐々に心惹かれていきます。

なんか、すごく童貞な感じがいいんですよ。プレッピーでスノッブで童貞。今のアメリカでは絶滅危惧種。こういう人たちが昔いたんだなあ。なんてことない話なんですが、すごく好きです。
Michika

Michikaの感想・評価

3.9
「そんなことをしておきながら"意図して傷つけたわけではない"と言えるあたりがまたエゴイスト臭い」、みたいなセリフが突き刺さる 貧者に申し訳ないからとパーティに顔を出し社交界に関わることを拒む主人公に対するニックの返しに納得 主人公の言うことを軽く遇らう周りの言葉が面白い 自分たちとは異なるバックグラウンドの彼を無意識ながらも見下しているようにも十分見えるのだが。。所詮そんなものか 私も男女8人くらいでダラダラ遊びたいな
まぁまぁ面白かった。
こちらも社交クラブに集う男女の恋愛の定点観測って感じで主人公の女以外スノッブのクズ揃い。やってることはホンサンスとかに近いけど、台詞の比重が重すぎてどっちかってとリンクレイターみたいな感じだなと思った。

スティルマンの映画はまだ2本しか見てないが、集団でとぼとぼ歩くシーンがどれも間抜けで好きだな。
あと、タバコの火で100円を落下させるゲームやりたい。吸わないけど。
身分を偽ってまで何故かブルジョワスノッブ集団のサムい世界観に染まろうと努めていた主人公が思想を捨てて街へ出ることで真の友人と純な彼女を得てそいつら皆で夜道を歩きつつ大切なモノ風な何かを掴んだ的なハッピーエンドでタイヘン気持ちよく終わるはずの作品だが、個人的には出てくる奴らも透けてくる監督のアティチュードもなんかモヤっといけ好かない。(注:面白いんですがね)

ドヤ顔で決める「オレが読むのは批評だけ……批評を読めば評論と小説が一気に分かるんだ」というナンパ文句がキラー。
スノッブな感じが序盤ムカつくが、自分の思想やぶれてニューヨークへまたもどる姿は良かった。