ポー川のひかりの作品情報・感想・評価

「ポー川のひかり」に投稿された感想・評価

喝

喝の感想・評価

4.5
こんな素晴らしい傑作が廃盤とは悲しすぎる。ストーリーはちょっと小難しい所もあるけどそんな事気にしなくていいぐらい面白いよ。
字幕無しでも十分面白いと思うし、本当に世界中の映画好きに見てほしい。
ここまで映画内の光に惹かれた作品は他に無いです
ZAKK

ZAKKの感想・評価

2.5
聖書ってマジメに読んだ事ないけど、いい言葉がたくさんあるんだろうな、言葉のひとつひとつと映像の美しさに涙がこぼれそう…とにかく美しい映画…一冊の本よりも友人とのコーヒーの方がいい…名台詞…
菩薩

菩薩の感想・評価

3.5
本来であればこれがオルミにとっての最後の劇映画になるはずであった(と言いつつバリバリ撮ってる、ケン・ローチみたいだ)らしいが、そりゃそうだ、この作品は「全てを捨てよ」と我々に訴えてくる。反知性、反権威、何より反宗教、約束された将来も、裕福な生活も捨て、川のほとりでひっそりと生活を始めた彼の周りにはいつしか自然と人が集まり、語らいが生まれる。知性は生活の為に、権威はその保護の為に、宗教はそれを豊かにする為に、「キリストさん」とのあだ名を付けられた彼は神として彼等を見下ろすのではなく、彼等と同じ目線に立ち新たな思考を始める。彼の言わば神に対するテロとも言うべき行いは、視力を失えど書物に齧り付く恩師を解放する行為でもある。知性の行き着く先が実存主義かつ単なる虚無でしかないのは本当に「あぁ…」と溜息が出るが、監督の意図は破壊では無く修復にあるのは観れば分かる。お茶目な寓話性の裏にはかなり過激で露骨な批判精神、ただこの作品で全てを語り尽くせなかったからこそこの先に二本の作品があるのだろうし、それ程に現代社会の病みを実感する。
『書を捨てよ。町に出よう。』
寺山修司の名言が脳裏に浮かぶ作品です。

『木靴の木』でイタリアの豊かな自然、そこに生きる農民の暮らしと切なさを鮮やかに映し出したエルマンノ・オルミの最後の劇映画。
サスペンスフルな前半から平和で微笑ましい中盤、切なさが余韻を残すエピローグまで、全編を通して監督の穏やかで、温かな眼差しの中で物語が進みます。

"キリストさん"の行く末の多幸を願い、そしてまた、優しく穏やかな気持ちになれる映画でした。
帽子

帽子の感想・評価

4.0
イタリア映画祭で鑑賞。
画面からその土地の空気とか匂いが
伝わってくる映画だった。
sonozy

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4.0
エルマンノ・オルミ監督が、自身の最後の長編劇映画と公言して手掛けた作品。

イタリアのボローニャ大学。
夏季休暇に入ってすぐ、大量の貴重な古書が太い釘で打ち抜かれているのが発見され、“書物の大虐殺”に騒然となる。
※原題『Cento Chiodi(100本の釘)』はここから。

事件の容疑者の哲学科主任教授は、車を飛ばしポー川(イタリア北部を横断する長い川)流域へ。
川岸の朽ちた小屋を見つけた彼は、郵便配達の青年ダヴィデや、パン/ピザ屋の娘ゼリンダ、村の老人たちと交流。
その風貌から教授は“キリスト”と親しまれ、村人たちは小屋の修復も手伝ってくれる。

ある日、役人が川沿いに勝手に暮らしているのは違法だとの通達が出て、教授や村人は追い込まれていく。。

前半のサスペンスフルな展開から、後半は美しいポー川やそこに暮らす人々の描写と寓話的な展開へ。

“書”の価値とは? “神“の存在とは?・・・

「書を捨てよ、町へ出よう(寺山修司)」という言葉をふと思い出したものの、今は「書を読め、町へ出るな」になってしまいましたね。。。

ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞: 審査員賞ほか
HO

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4.0

Lyrical, picturesque, shining and warming
【寓話】
”キリストさん”と呼ばれる教授、パン屋で働くゼリンダ、村の人々の交流を描く。
ゼリンダが川の土手を嬉しそうに降りていくシーンは気持ちが伝わってくる。冒頭の校内そのものが美しい。全編を通じて印象に残るシーンが多い。
『ポー川のひかり』という邦題もすてきだと思う。原題は『Centochiodi (百本の釘)』だそうだ。
畝

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2.5
たくさんの本が刺さっていて痛かった。キラキラ光る川が美しい。「キリストさん」と村人。和やかな風景。最後のシーンの行方。
U

Uの感想・評価

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このレビューはネタバレを含みます

2019.6.20 DVD #138

世界で最も古い大学のひとつボローニャ大学に所蔵される大量の古文書に釘が刺される(原題は「100本の釘」)。その光景を「芸術」と検事が評するように、スペクタキュラーである。それらの本を「友」とする司教は嘆き悲しみ、失神してしまう。いったいだれがこんな許しがたい所業に及んだのか。

しかしながら、本作の眼目はそのようなサスペンスにはなく、それ以後の淡々とした日々の暮らしや住民との交感にこそあることは衆目の一致するところだと思う。

主人公は絶望する哲学教師。来し方を振り返るとき、目に入るのは本ばかりで「友とのコーヒーを飲む」ことこそがはるかに大事なんだと本篇最後に語ることになる。

早々に犯人を明らかにし、アッシジのフランチェスコを想起させる質素な生活とその地域に住む老人たちとの交流が描かれてゆくことになる。
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