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「青 chong」に投稿された感想・評価

ハチ

ハチの感想・評価

3.6
昔の卒業制作というだけあり淡々としたカット割と編集だけど眠くならない展開と見せ方。ユーモアセンスもある。
絶妙な間合いや無駄のない的を得たセリフに、若かりし頃からの李監督のセンスを十分感じることができる。
YokoHasada

YokoHasadaの感想・評価

4.0
日本に根深く残っている問題をあらゆる生活の観点から描いていて、彼が窮屈に感じている温度感がひしひしと伝わってきた。
イシガ

イシガの感想・評価

3.6
最後に伝えたいテーマを、ストレートにセリフで言わせるのも、青春ものだといいのかなもな
tsn

tsnの感想・評価

3.0
テーマは難しいけど、カラッと軽やかに纏まってるので見やすい

ラストで本人たちが
自分が自分であることには変わりないと言っていたのがよかった
李相日監督作品。

李監督が卒業制作で制作した作品とのことだが、凄い…。凄すぎる…。

反物語的物語と言うべきか。確かに青年の朝鮮人としてのアイデンティティを巡る物語、と取り合えず言える。しかしショットは物語の因果律で連鎖されているわけではなく、青年の物語を順に追っていくものではない。
だから青年の姉の結婚物語があり、青年の好きな人が日本人と付き合う物語があり、野球物語があり、抗争物語がある。これら作品全体の大きな物語に回収されないそれぞれの物語がそれぞれにある。しかしこの小物語によって、確かに日本国で朝鮮人としてのアイデンティティを保持したまま生きることの難しさが浮かび上がってくるのである。この主題が虚から浮上することに上手さを感じずにはいられない。

そして何より在日朝鮮人をエンパワーメントすることも可能な本作で、ヒロインに「チョンコウセイは嫌い」と言わせるのは凄い。
他にも切り替えを正面のショットでやったりとただただ凄いとしか言えない。
めあり

めありの感想・評価

4.1

このレビューはネタバレを含みます


これが学生の時の作品とは、驚きです。

お金はかけなくともアイディア次第で面白い作品は作れるのだと、思い知らされました。

朝鮮学校の生活や在日朝鮮人の日常・思いが
リアルで、非常によく伝わってきましたし、

日本で暮らすことや日本人との軋轢含め、
自分たちが在日朝鮮人であることを
悲観的で終わらせていないラストも好感でした。
久遠

久遠の感想・評価

4.2
名匠が中後期に作った巧みな小品のような堂々たる出来栄え。初作品とは思えない。パッチギ、GO以前に、ここまで鮮やかな在日コリアン学生の青春と日常を描いた作品があるとは驚きだ。昨今の李監督作品の作風とは全く異なる、抑制された演出と役者の演技。また、北野武作品を想起させる穏やかであるからこそ抱える寂寞さと随所に浮かぶ暴力性と表裏一体の笑いに唸らされた。特筆すべきは、若かりし頃の眞島秀和が、世間や自らが属するコミュニティに対する諦めをしっかりと体現できていること。また、彼の姉が日本人の彼氏を連れてくる一連のエピソードが堪らなく良い。
【李相日は最初から完成されていた!?】

李相日監督デビュー作。これが予習となると、ピンときた方正解です。時間的に観れたらいいなですが。。。
監督自身が在日朝鮮人三世ということで、本作のような朝鮮高校の学生をテーマにした作品になったんじゃないでしょうか。不良に絡まれたりするけど(これってその映画のお約束?)彼等の日常のお話。

たまたま『窮鼠はチーズの夢を見る』の行定勲監督は『GO』で。後『パッチギ!』とかでも同テーマの作品ありますね。

勿論荒削りなんですが、青春映画としてかなり完成されてる方です。キタノ作品に似た雰囲気とか…そこまで詳しくはないんでなんとも😅主人公眞島秀和さん!?途中で気づきましたよ💦若い!雰囲気が十分出てます。

さて、野球部の彼らは果たして試合に勝てたのか?主人公が歩む道は?

私はこれで本作から『フラガール』までの李監督作品はコンプになって(好きなのは『スクラップ・ヘブン』)その後の活躍を知らないマイナーな方です😅なので、余計気になるんです。。。
流浪の月の李相日監督が学生時代に制作したという処女作になるのかな?北野武を彷彿させるとてつもない完成度の54分。凄いなこの人。在日朝鮮人映画にありがちな日本では朝鮮人と、朝鮮ではチョッパリと蔑まれるアイデンティティ問題を扱ってるだけに監督自身を投影したであろう登場人物から監督の思想を伺い知ることが出来る。とりあず軍国主義の象徴のような高野連と両国の極右って。
【"自分"との戦い】2022年76本目

朝鮮人学校に通う2人の在日朝鮮人を主役に置いた、希望と絶望の入り混じる青春物語。

この物語は、"我々は一体何者なのか"という人間の本質を探る、極めて重要な論点を与えてくれる。

在日朝鮮人の2人の青年は、朝鮮人であるという自覚と、日本語を話し日本に生きている日本人という自覚の狭間にいる。
まさにこの、身体と感覚が分離しているようなどっちつかずの自分自身に、いったい自分は何者なのかを問うという"未成熟な考え"が青春の悩みとなり、それに対して正しい方向性を教示してくれる大人も存在しないという、社会の問題性を含んでいる。

日本人と付き合っていると差別され、
朝鮮の祖父母の元に帰ってみたら、日本人だと差別される。

高野連に公式試合への参加を認められた朝鮮学校の野球部は、マスコミにもてはやされ注目を受け、一時は舞い上がるけど、
バイト場で自分が朝鮮人ということを公にすることはしない。

我々が学生時代の頃も、容姿や学業、恋愛、人間関係などさまざまな悩みは尽きないが、そこには確かに"自分の見られ方"に対する異常な追求や思い込みがある。

しかし、在日朝鮮人にとって、
それらは事実として迫ってくるために、
"自分の見られ方"という第三者を通じた客観視を通り越して、"自分の見方"という自分が自分をどう見ているかという超客観的思考(それが本来の意味での客観視であろうが)を強いられ、自分が自分でないものとして感じるようになってしまうのではないか。

人間は二つの選択肢があったら、
どっちかに決めなければいけないと思う。
そうしないと先に進めないと思う。

時には、振り抜いたバットがボールに当たるか当たらないかで運命を委ねても良い。

しかし、二つの選択肢を状況に応じて利用していくというのも一つの選択であろう。
それを不快だ、とか、インチキだとか、そのように片付けるのは"自分の見られ方"に固執しているごく一部の日本人なのである。青春の悩みをずるずると大人になっても引きずる"子どものような大人"から脱する必要があるのではないか。

我々は一体何者なのか、
これを機会に考えてみたい。
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