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「テルマ」に投稿された感想・評価

かな

かなの感想・評価

4.0
ストーリーも映像も好みな映画だった
ラストのなんとも言えない感
失明

失明の感想・評価

3.7

このレビューはネタバレを含みます

あーーー


愛してなかった、そうなるように願っただけで、彼女は愛してなかったってちんどい…って思ったけど…

ハッピーエンドでもないしバッドエンドでも無くてなんて言ったらいいかわかんないけど気狂いそう。
いくら禁断の象徴だからとはいえ蛇を呑み込むシーンなど本気でみせて欲しくなかった 

ヨアキム・トリアー
「テルマ」

初めて聞く作家の中には綴られたその文字だけで、思わず警戒してしまう名前があります。

近頃の私にとってはさしずめ、この「テルマ」という作品の映画作家に含まれたトリアーという文字でしょうか。

普段はなるべく下調べなど自戒して映画に接したいと願ってますが、今度ばかりは悪しき予感に耐えきれず自宅のパソコンなど使って思わず検索してしまったのは(ラース・フォン・トリアー)という名前に思わず反応してしまったからに他なりません。

やはりというか、実は何と叔父と甥子という、親子に最も近い間柄でした。

(罪深い映画)に敏感な方なら、きっとお察しして頂けるかと思います。

「ヨーロッパ 」「奇跡の海 」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ドッグヴィル」そして「メランコリア」から「ニンフォマニアック」に至るまで、どの作品一本とっても、暗澹たる忌まわしい記憶しか蘇ってこない、あのラース・フォン・トリアーの映画遺伝子が画面に蠢いているかもしれないと想像すれば警戒してしまうのも無理もないだろう、と。

その作家ヨアキム・トリアー、実は彼が「テルマ」の前に撮った「母の残像」を時系列に従う意味で先に観ていたのですが、これが思っていたほど悪くなかったのです。

とはいえ、それでも油断は禁物だぞ、とこわばってしまったのは「テルマ」のレビューがどれも概ね(奇妙なくらいに)好意的であったが故の事。

もちろん、その理由を全く理解出来ぬわけではありません。

狩りに出た父と幼い娘(テルマ)ふたりが凍てついた湖上から森の雪原へと歩む姿を捉えたファーストシーンは、いかにも北欧らしい澄み切った空を画面に反映させて音と沈黙の震えをフィルムに定着させております。

森の雪原で発見した鹿に照準を合わせ、父が獲物を仕留める瞬間を見逃すまい、と息を呑んで見つめている娘そのものに、実は銃口が向けられいる場面。

その時、私たちはジャンル分けで銘打たれた(恐怖映画)とは明らかに異なる感慨で受け止めています。

そんな曰くありげな気配から始まるスジの転がりは確かに理屈抜きに面白い。

北欧映画特有の冗長なテンポも希薄だし、かといってアメリカのホラー映画のように派手な音響や、目まぐるしい編集リズムも抑制されて胃もたれが起きません。

だからエンディングの余韻も静かに広がり、つまりはあらゆる意味において撮り損ないとはほど遠い仕上がりの筈なのに、数週間ほど経た記憶の中ではどこか救われた気がしないのは何故か。

と、ここで映画における宗教的主題に言及するのは唐突でしょうか?

イングマル・ベルイマンの「第七の封印」にて海水を飲んでいる2頭の馬の場面で思わず(この子らの健康は大丈夫か?)と要らぬ心配をしてしまうほどカトリックどころか宗教の戒律とは無縁なまま生きてきた不謹慎な私ですが、敬虔かつ厳格なクリスチャンの家庭に育った子供たちにとっては、父性=束縛というものが、時に母性よりもタチの悪い重荷になっているくらいの事は想像は出来ます。

同じ女性アンニャに恋愛感情を抱いたり、酒やタバコを少し嗜んだ程度で罪の意識に苛まれる主人公テルマによる追憶的かつ夢想的な光景が、現実的な光景の中にアクセントとして挿入されていきますが、その節目ごとに作品から画面の緊張感を奪われてしまう気がするのは単に嗜好や審美眼の違いだけではないと思うのです。

この「テルマ」に救いを感じないのは、そうした夢想的な画面の挿入にこそ自分の作品の真価があるかのようにヨアキム・トリアー自身が思い込んでいる点によります。

そうでなければアダムとイブでも明らかな禁断の象徴(蛇)をテルマが呑み込むシーンなど本気でみせてくるわけがない。

それを平気でやってのける彼の粗雑な感性によって映画が構成されていくので、自分自身でさえ意識することなく撮れてしまったというみごとなショットが、この映画ではまったく不在なのです。

ここでいきなりカール・テオドア・ドライヤー「奇跡」やロベルト・ロッセリーニ「神の道化師 フランチェスカ」をを引き合いに出すのはまだお若いヨアキム・トリアーに対して酷だし、無茶苦茶であるのは百も承知です。

カトリックの事など全く分からぬ私でもドライヤーの「奇跡」やロッセリーニの「神の道化師 フランチェスカ」に救われる気がするのは、神学的な風土の支配でもないし、画面を覆うみだらな官能性でもないし、残酷さで存在を孤立させることでもありません。

それはただ生あるものの尊厳のみを画面に収めようとする畏れめいたものに他ならず、ドライヤーや、ロッセリーニらは明らかに自分自身より映画の方を手が届かぬほど遥かに上に置いており、それ故に、観ている私たちが、これらの映画によって救われるの気がするのです。

ヨアキム・トリアーは、間違いなく映画より自分自身の方を遥か上に置いています。
自分の映画で何でもできると確信犯のように撮られた「テルマ」に救われた気がしなかった一番の点はまさにそこに尽きます。
北欧の美しさとひんやりした感じがストーリーとマッチしてて良かった✨
なえ

なえの感想・評価

4.9
これはゆっくり家で見たい。
上空からの俯瞰カメラが多用されてて北欧の寒いというか、寂しい感じが伝わる。

付き合おうとか、好きですとか、そういうの飛ばして雰囲気からのキスではじまる心の通わせ方を体験してみたかったものだなと羨ましく思った。
キリストと科学の溜飲を下げたテルマは神でもサタンでもある。
思春期の少女の心情的葛藤を信仰という囚われによって揺れ動かし、蛇やカラスなどでキリスト教を比喩としてさらには異能として科学で“説明できない”ように作用させる。
劇中で言及されていたように、化学で説明できないものは神の力であり、テルマの心情ともいえる神情が力として覚醒する。
プロットそのものは、いたってティーンものとしてシンプルであるはずなのに、何十倍にも高層状に複雑化していくのが話を面白くさせる。
端的にいえば、自由を獲得するする話であり、それ以上でも以下でもない。
途中のフラッシュで失明寸前だった。
キリスト教をよく知っていればもっと楽しめたと思う。
ハッピーエンドともバッドエンドともとれるエンディングにはびっくり。
maitai

maitaiの感想・評価

3.0
どんな力だったのかイマイチ理解できなかったが、透明感ある可愛らしい主人公が、自由になれてよかった。
rwww

rwwwの感想・評価

4.0
「父親」「家族」からの抑圧を100%リアルに描くのではなく、「不思議な能力を持つ少女」で描くからこそ伝わるものがある。演出が細かく丁寧で好感が持てる。だから映画って凄いしやめられない。
とぅ

とぅの感想・評価

3.5
嘘、性愛、酒、、
コントロールができなくなる世界に足を踏み入れてしまうということ

途切れる光
刷り込まれる画像

ガラスに挟まる髪
氷に閉じ込められる赤ん坊

映像と表現
説明的で無いようで
感覚に対して説明的

神秘的なのに現実的なのはsnsのせいか…。

断片的な生き物の映像
木をみつめる

画面が常に整理されてて綺麗…
余計なものがない、動いてると思えない。
改めて映画ってすごい、、。
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