わたしは、幸福(フェリシテ)の作品情報・感想・評価 - 2ページ目

わたしは、幸福(フェリシテ)2017年製作の映画)

Félicité

上映日:2017年12月16日

製作国:

上映時間:129分

3.4

あらすじ

「わたしは、幸福(フェリシテ)」に投稿された感想・評価

mina

minaの感想・評価

4.5
生と霊の間を彷徨いながら、神様から既に与えられてる"幸福"に気がつきそこに帰ってゆく美しさを表現したいい映画だった
aj

ajの感想・評価

5.0

このレビューはネタバレを含みます

完全なハッピーエンドではなく、「この人もだらしない部分があるんだ」と思った時に、本当にこの人と生きたいと思えた。それが、一番の最大のテーマ性だと思った。
haruy

haruyの感想・評価

3.8
今の私には言葉で言い表せない
泣きながらも歌う女性というのはなんだか強さが滲み出る
Fumi

Fumiの感想・評価

3.0
It’s not a movie that would make you cry, which I thought originally. It makes you silently listen to what the film has to offer though. It’ll probably be a interesting movie to analyze because the woods scene with the dear and the lake seem very symbolic.
nohohon

nohohonの感想・評価

3.0
現在のコンゴの街の、色んな姿が写し出されていて、その喧騒と雑多さに目が回りそうだった。
かと思えば、主人公の心象風景をイメージしたような暗い森と静謐なオーケストラシーン。不思議な対比。
主人公の逞しさと力強さに圧倒された。そして、彼女の歌にも。
たぬ

たぬの感想・評価

3.8
かなり人を選ぶ映画。大多数の人には退屈に感じそう。
盛り上がるところがあるわけでもなく泣いたり笑ったり怒ったりすることもないが、幸せとはなにか?と考えさせられる哲学映画。
そしてこれは一人で静かに見る映画。
KUBO

KUBOの感想・評価

3.0
冒頭から、アフリカン・ビートに乗せて大地から響いてくるような太く力強い歌声が聴こえてくる。シンガーのドキュメンタリーかと思いような質感の映像だ。

クラブで歌を歌うことで生計を立てながら、女手一つで息子を育てているフェリシテ。そんなフェリシテを次から次へと災難が襲う。息子が交通事故で病院へ運ばれる。保険制度なんてないアフリカでは入院にも手術にも大金がかかる。そんな折、なけなしの給料まで騙し取られてしまう。そんな絶望の淵から、フェリシテ(幸福)という名の女が行き着く先は…?

ともかく主演のヴェロ・チェンダ・ベヤの存在感がこの作品の全てと言ってもいい。そのアフリカの大地のような歌声も、豊満すぎる肉体も、溢れんばかりの生命力だ。

ベルリン国際の銀熊賞受賞作。内容に比して129分というランニングタイムはいささか長く感じた。
kumi

kumiの感想・評価

1.2
瀕死の息子をあらゆる手で必死に助ける母。しかし作品は思っていたのと大分違った。

顔どアップに疲れた
moimoi

moimoiの感想・評価

4.0
強くあらねばならない世界で、強くあろうとした「幸福」を背負う女。
冒頭、フェリシテの歌に殴られているような感覚があった。
私は生きている、闘っている、あんたはどうなの?
その激しさの鏡のように、彼女が見る幻想の闇は静かだ。
闇の中、水の中、たどり着く先にいたオカピ。
動と静、衝動と達観が支配する美しい映画だった。
https://www.newsweekjapan.jp/ooba/2017/12/post-47.php?t=0
「Financial Times」のゴミスのインタビューによれば、彼が初めてキンシャサを訪れたときに最も衝撃を受けたのは、死が遍在していることだった。「そこではほとんどの葬儀が戸外で行われる。中央広場を歩けば、弔花の店ばかりが目につく。平時にこれほど頻繁に死を思い出させる場所は他に思い当たらない」ゴミスは、映画でも短い時間ではあるが、死が遍在する都市としてのキンシャサをしっかりととらえている。フェリシテが金策のために二人乗りのバイクで移動しているとき、道路脇では葬儀が行われている。彼女はそれを見ながら通り過ぎるだけだが、カメラは棺を囲んで悲嘆に暮れる女性たちの表情まで映し出す。そして、フェリシテがさらに先に進むと、道路脇に弔花の出店が並んでいるのが目に入る。
キンシャサは90年代からモブツ政権の腐敗、内戦、飢餓や貧困などによって夥しい数の死者を出し、死が遍在する世界になっていった。そうした混乱のなかで、カトリックやプロテスタントに代わって、キリスト教原理主義が急速に広がり、黙示録の世界観が人々の日常に浸透しているという指摘もある。いずれにしてもそこに遍在しているのは、キリスト教という宗教によって形作られた死である。