アクト・オブ・キリング オリジナル全長版の作品情報・感想・評価

「アクト・オブ・キリング オリジナル全長版」に投稿された感想・評価

中村

中村の感想・評価

3.5

このレビューはネタバレを含みます

やっと!見切った!いや〜〜長かった〜〜!!
ラスト15分のための前振りの2時間半のような気がして。
いいドキュメンタリーでしたけどもね。
なんだろな〜、なんか難しいけどさ、こういうの描くの、けどなんか個人批判な映り方じゃない?って思ってしまうね〜〜。
例えばユダヤ虐殺の批判のために一収容所局員を批判して撮ってるみたいな感じ?まあしょうがないっちゃしょうがないのかもだけどさ。
よかったんだよ!よかったんだけど!ナチ批判と違って他の批判の仕方をした映画が少ないから!一元的な見方にならないかい?って感じ!他の悪も暴けよ!って!
PTSD兵士もまた被害者、みたいな気持ちになる!よね!
インドネシアで1965年から始まった共産主義者撲滅運動とは名ばかりの大虐殺運動の記憶を加害者たちに再現映画として撮らせる様子を映したドキュメンタリー。
残虐な悲劇をいとも簡単に笑みを浮かべながら再現化していたが、次第に再現化をしようと試みる過程で死の息遣いが喚起されて表象不可能な恐怖、罪の意識に責め苛まれる人が出てくる。冒頭のシーンで、かつて針金で首を絞めて大量殺戮を行ったバルコニーに立って笑顔で殺害の仕方を身振り手振りで語っていた老人は、終盤のシーンでは同じ場所で語ろうとすると吐き気に襲われて中断してしまい座ったまま動くことも語ることもできなくなる。
根元悪のようなものが存在するわけではなく、人間は社会的な構築物にすぎないと同時に、権力、イデオロギー、サディスティックな潜在的な欲望が相まってどこまでも暴力的になることができるのだと痛感させられた。個々人の意志の持ちようで残虐な大運動の要請を断ち切ることができるのか僕には全く自信がない。
「そうするしかなかった、罪悪感など全くない。俺たちは勝者なんだ。」
と劇中で語っていた男のようにシラをきってしまうに違いない。
自由がない国。

印象的なのは加害者は殺しを“美化”していること。カメラに語るときは「しょうがなかった」とか「国から言われた」とか言い訳をするわけですけど、映画を観て殺し方を真似たとか中身を話している時の溢れ出る感情が明らかにそんなことを思っていないんですよね。

また、撮っている映画というのがそこらの映画好きな学生が撮った方が良いモノができそうっていう...映画はこの“素晴らしさ”を伝えようっていうツールでしかなくって、女装のやつとかいくら女性の協力者がいないとはいえ苦笑しちゃいますし、血のメイクとかもそう。そしてラスト。演出的にあんな酷い映画とはいえ自分の罪がやっと染み渡ってきたと。遅えよ、このタイミングかよ。どうせ1日経ったら普通に生きるんだろうな。

ただNETFLIXで160分バージョンを見たのですが...さすがに長い!さすがに!それです!それでこれ!
いい意味で気分が悪くなる映画

加害者達が、嬉々として殺人方法を演じ、自分達の力の強さを誇示する。
滑稽な女装ダンス。
被害者の親族が、笑いながら、加害者に当時のことを話す。
(結果泣くけど)

なんだか可笑しくて本当に笑えるのに、こんなにも気分が悪くなる映画は他にない。

デヴィ夫人のスカルノ大統領も関わっているけども
日本ではあまり知られてない、世界の真実

これがまだ、世界のどこかである物語だと思うとゾッとする
とても、良い映画
目には目を、歯には歯を。殺しにおいてはこれが一番の薬だと思います。法で裁いて言い渡された刑期を以て償う司法のあり方にも一理ありますが、やはり被害者の気持ちに立つというのは実際にその状況に置かれなければわかりません。今作の「演じる」というやり方も似た感じです。

驚くべきは、虐殺から50年以上が経った現在に殺人者たちが堂々と誇らしげに生きているという事実。共産主義者が正しいとか正しくないとかは私の知識では判別が付きませんが、間違いなく無抵抗な人間を殺すことに正しい理由なんかありません。殺したらダメです。そして被害者は隙を見て報復に走るわけで、結果として血を流さずしてこの問題は収束しないんです。ラストで芽生えたきた感情も果たして真意か否か、あれだけ人を殺して悪びれる様子もないなら信じようにも出来ませんね。
b

bの感想・評価

4.6
虐殺の歴史を当事者に再現させてそれをドキュメンタリーとして撮る発想がまずすごい。かつてを再現しているはずなのに変遷する当事者の思想と、ほぼ変わらない政治。その狭間で苦しむ姿に正しさとはなんだったのかを突きつけられる。
skn

sknの感想・評価

3.5
人殺しの経験談を嬉々として話す人を見て今まで疑いもしなかった倫理観を捻じ曲げられるような感覚になった
終盤では自分のやってきた事に嫌悪感を感じ始める辺り、当時の環境がそうさせたのか…?胸糞悪いけどある意味貴重な記録
100万人の大虐殺に関わった人を取材し、実際に再現させるっていう超異色ドキュメンタリー。
すごく伝わってくるof the year
〝あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?〟

1960年代のインドネシアで、100万人以上の共産党関係者と見なされた人たちが虐殺された。その模様を〝加害者側〟が再現映画として撮る様子を映したドキュメンタリー。

当初、監督はこの事件を撮るため〝被害者側〟にアプローチしたが、当時のことを語りたがる被害者はおらず、撮影は難航。
そこで監督は〝加害者側〟にインタビューを試みる。すると、自分の犯した殺人について喋る、喋る。

それもそのはず、虐殺を推奨した軍部は現政権として権力を維持したままだ。当時、積極的に共産党関係者を虐殺した「パンチャシラ青年団」は国の英雄として扱われていた。

この作品で再現映画を撮るのは、主に2人。虐殺を実行した殺人部隊のリーダー(アンワル)とその側近(ヘルマン)。
彼らはプレマンと呼ばれるギャングで、アンワルは1000人近く殺害しており、地元では今のインドネシアを作った1人として、英雄となっている。

彼らは当時の現場に赴き、「あーこの柱でさぁ、殺したんだよ。ナイフだと血が凄いから、針金で首を括ってなぁ。まあ殺した後は、酒飲んで、歌って踊って、忘れんだ」と懐かしげに話す。
国営放送(日本でのNHK)では、虐殺の詳細について意気揚々と語り、拍手を受ける。アナウンサーは「効率的な殺し方を編み出していったんですねぇ」などと合いの手を打つ。

彼らが虐殺の模様を語るだけで、こちらは許容オーバーだが、この映画のキモは〝加害者側〟が撮影する虐殺の再現映画だ。

それはもう酷いクオリティだ。大学の映画サークル以下の力量なので、いくら金と人を使っても、かなりシュールな絵面だ。
しかも側近のヘルマンは、なぜか要所要所で女装して出演。西田敏行似の中年デブ男が女装姿で、画面に映っているので虐殺の再現をしていても、シュール過ぎて、笑って良いのか悪いのか、わからない感覚がまた気持ち悪い。
その撮った映画を観て、彼らは「傑作だな」とご機嫌な様子。倫理観と共に美的感覚が欠如しているとしか思えない。

しかし彼ら、特にアンワルは、虐殺についての発言を除けば、好々爺のようにも見える。2人の孫を愛しており、孫が動物を傷付ければ、それを窘めるような描写もある。
そんな様子に観客は、グルグルとした矛盾と、あまりに超現実的な話に、平衡感覚を失ったような錯覚に陥る。
ただそれは観客だけでなく、虐殺を再現することで自身の行いを見つめ直していくアンワルも同様で、次第に彼の様子はおかしくなっていく。

自分の親が子供の頃、人を殺していた人間が英雄として扱われ、殺人自慢をしている。戦国時代とかそういう時代ではなく、この現代で。
自分の倫理観では、殺人=悪で、映画を観終わっても、それは変わっていない。ただ虐殺を実行した彼らは、〝悪〟で間違いないと思うのだが、それは本当に彼らの意思だったのか。国が、時代が、そうさせたのだとしたら、自分がその立場だったとしたら、自分も悪にならないと言い切れるのか、といった自問がやめられない。

ここからは映画の内容と少し離れますが、大虐殺が行われていた時、冷戦下で、アメリカと日本は、共産主義者側のスカルノ大統領(デヴィ夫人の夫)が邪魔で、クーデター側に加担していたようです。つまり虐殺を知りながら、黙認していたのだ。
当時デヴィ夫人は、クーデター側に監禁され、いつ殺されるかわからない状況だったが、日本大使館は助けてくれなかったそうだ。
またこの映画が公開されるに当たって、記者会見として、デヴィ夫人は今回の出来事について語ったが、メディアはそのことについては、まったく触れず、報道しなかった。

とにかく自分の倫理観や悪の基準(かっこつけですが)揺さぶられることは間違いない、超ブッとんだ映画でした。
クオリティの低い虐殺再現なので、スプラッタ描写とかは、そうでもありませんが、視覚より心情として気分が悪くなります。

余談ですが、エンドロールの出演者の表記がほとんどanonymousとして表記されていて、いかにこの映画が危険な立ち位置なのかがわかります。
しのの

しののの感想・評価

4.5
1000人以上を虐殺したガチの元ヤクザがガチで更生するドキュメンタリー
前半では平然と虐殺自慢してたもののラストになるにつれて元々抱えていた罪の意識が爆発していくのが見てて衝撃だった
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