パピチャ 未来へのランウェイのネタバレレビュー・内容・結末

「パピチャ 未来へのランウェイ」に投稿されたネタバレ・内容・結末

結婚こそ女の幸せ的なベールやウェディングドレス、ファッションを持ってきた監督はその方が広く問題が伝わると狙ったらしいが、それはちょっと西洋文化に気を使いすぎるのでは…?

良かった点は、イスラム教でも原理主義と、そうではなくただ信仰心が深い友人もいて、これは宗教だけの問題ではないと気付かされる点。結局都合良い解釈が利用されているのだという台詞。宗教にある問題もつきながら、すぐムスリム差別にならないようなバランス。

ただ、アルジェの闘いなどにあるように、フランスの植民地支配問題が一切出てこないのは、まさか監督自身がフランスに移住したから?

ここまで地獄の内戦状態になったのは、フランスがアルジェリアを支配し、貧しいムスリムと特権や支配階級ともいえる「フランス市民」格差を作り続け、差別も繰り返した原因があり、不満が溜まった貧困層が少しずつナショナリズムになっていったから。そこすっ飛ばしたらただの宗教間だけに見えちゃって本質は伝わらない。ただアルジェリアは国内で揉めてて大変だねってんじゃ、みんなフランス行けばいいじゃん!で終わる。
主人公がその地にとどまるエンディングはとても良い。
こんな国があるなんて考えられなかったし、あるって事を知った今でも現実味がない…

服装は制限されたままだし、手出してきた門番は変わらず働いてるし、寮に壁が作られても安全になる事も無かったし、寮内のファッションショーすら許されない、大切な人たちが沢山殺されて、

ほんの少しの希望を感じさせるような終わり方だったけど、何一つ解決してなくてすごくもやもやする
生まれた時代と場所が違うだけで、こうも自由にならないもんかねー。
本当に大変だろうし、毎日が命がけ!
みんな若くて明るい将来を夢見ているのに、あっさり叶わないことになるんだねー。
ていうかいきなり殺されちゃうとか・・・。
世界には勉強するのも好きなことをするのも命がけの国があるということ。
女に生まれるって色々大変だけどやっぱり最高!となっていた中盤の自分はなんだったのか。
現実を突きつけるハッピーエンドと言い切れないラストがよい。
アルジェリアでは上映が禁止されているらしい、、

検問のシーンから喜ばしいことがあっても厳しい現実があるんじゃないかとびくびくしながら観てしまった。
主人公が、この国が好きだし出たいとは思わない変えていく必要があるだけ、という発言があって、嫌なら国を出ていけばいいの発想にならないことが幸せなのか不幸せなのか、他人がジャッジすることではないながら考えさせられる。
私ならいつ死ぬかもわからない内戦中で女性弾圧の激しい国で育ったらすぐにでも平和な国に移り住みたいと考えるに決まってると思ってたけど、実際この地で生まれ育ってきたらと本気で考えるとそうでもないのかもしれない。単純じゃない。
これほどじゃないけど私もジェンダー指数の低い国の女に生まれて、女性だからこその苦労を味わってきても、日本人であることを誇りに思うし、男に生まれ変わりたいわけじゃないし、女性性を全うして今の人生楽しみたいもんなー

慣習とか宗教とか信仰は自由だからこそ、それに逆らうことは正当な主張なのか不当なのかは、曖昧で難しい。
寮母さんの、『文句ばっかり言ってどうにかしてって騒ぐなんて子供と一緒じゃないか!』というセリフが印象的。
この作品で女性たちが直面していたことは明らかな女性弾圧だけど、我慢して秩序を守るべきことと、権利や自由を求めるべき線引きがわからなくなってきた。

そして女性の自警団的な人たちの存在もあって、女性だからって全員が自由に生きる権利を求めているわけでも、やりたい夢があってそれを是が非でも叶えたいわけではなく、女性同士でも対立が生まれること。
ここまでの男尊女卑な慣習は存在しないし、非武装の日本でさえもここは同様かもしれないと感じて怖くなった。

裸足の季節やVirginSuicideとセットで観たらどういう感情になるかな、、
女性差別、軽視、日本も同じだよね。映画から外れることを書く。仏教で先進国なのに。オリンピックや政治家の失言。若い男も悪気なく差別的なことを言ってくる。家父長制で娘より息子ばかり可愛がり甘やかす母親の多いこと。いわゆる兄弟差別はよく聞く。女の子だから、お姉ちゃんだからと家事を手伝わせたり。息子にはさせないくせに。父親は無関心だったりキレたり。だから傲慢で上から目線ですぐキレる男ばかり増えるんだよ。息子には女性を敬い暴力や暴言をしてはいけないと教えないのかよ。私や私の周りにいた女子は母親とバチバチにやりあったぞ。

女は物じゃない。

話を戻すとアルジェリアでは上映禁止に。
服装の自由がない女性達。出てくるわ出てくるわ、侮辱の数々。後半につれかなりの胸糞。出てくる男みなクズ。くたばりやがれ。国を出てほしくなるしこんな国なくなれ。

救いがない。ショーがしたかった。みんなとはしゃいで遊んでいた。
こんなにも女のことが憎いのか、支配して従わせたいのか。狂っている。

常々、男とは理解し合えないし根本的に違う生き物だと思っているので国を男女別にすべきだと思っている。加害されたくないし恐怖を味わいたくない。あの凶暴性、性欲は理解できない。
82年生まれ、キムジヨンも見たいが韓国はこういう映画が作ることができ羨ましいと感じる。
ただ弾圧して圧政を強いたいだけなのに、それを「神」だの「信仰」などと理由つけることの方が、ヒジャーブを付けないことよりよっぽど「神様」とやらに失礼だと思うのだけれど。

とにかくネジュマは気高くて強かった。彼女はフェミニズムという理念ではなく、ただ単純に着たい服をきて、自由に生きたかっただけなんだろうなあ。
自由を求めて他の国へ移住するのではなく、あくまでも大好きな自国で戦うことになんら疑いのない純粋な彼女がとっても綺麗だった。

ネジュマたちを虐げたのは男性だけじゃなくて女性もだったのは驚いた。自分たちを正当化したいから異端を排除したいのか、理不尽なルールに従って鬱屈したものをより弱いものに発散しているのか、両方か、もしくは他にも要因はありそうだ。

高価な腕時計を着けている人がそれを盗まれても同情されることが多いのに、
どうして同じことが性犯罪では成立しないのか。
守るために肌を隠させたいのはわかるけれど、悪いのは無防備な被害者ではなくて、自分の理性を抑えきれない加害者の方であって。

声を上げることの大切さ、その場所で戦うことの崇高さが身に染みる。
こんな国、嫌だー!!辛過ぎる!と思う作品。
私なら一刻も早く国外へ…。
この映画は『目を開けて最初にみえたものÀ peine j'ouvre les yeux/As I Open My Eyes(2015年製作の映画)』のチュジニアが舞台の映画と似ているので驚いた。
(私のレビュー:https://filmarks.com/movies/69429/reviews/94722826 )

チュニジアの映画の発端は2010年の12月17日だった。でも、アルジェルアのこの映画の方は1990年だというので比べると二十年も前の話になる。チュニジアの映画は『アラブの春』の発端地で、政府は思想を規制統制をし始めているところだった。大学生ファラーFarahはバンドのボーカルでJoujma - 'Ala Hallet 'Aini (As I Open My Eyes/A peine j'ouvre les yeux) - Studio Version (これをコピペして聞いてください)を歌う。それは、『My Country』『自分の国は国を閉じている、この混乱のなか、私は目を閉じる。。。国に問題がある時は、人々も人間の心を失う。。。』と自分の国を愛しているから自由を失い始めている国に警告をといったらいいか?素直な気持ちを歌にしている。
しかし原理主義の煽りにアーチストの表現の自由の思想が奪わて思想弾圧警察に捉えられる。

アルジェリアの『パピチャ』はアルジェリア内戦の始まりで、原理主義の統制が入り始めている時代に生きる大学生たち。ファッションデザイナーという表現の自由を夢みる大学生のネジャマはこの原理主義の餌食になり、自由に表現したり生きることに危険を伴い、ファッションーは修羅場になってしまう。

両方の映画は、大学生の女性が主人公で、計り知れない困難にあっても、自国を離れて、以前の植民地として抑圧したフランスに亡命しようとはしない。両方の大学生は青春である大学時代を奪われてしまう。そこで、ファラーFarahのほうはボーイフレンドが裏切り、友達もさり、その中から、最終的に、支えてくれるのは母親だけで、その愛があるからやり直していけるように思えた。

イラン、アルジェルア、チュニジアなどイスラム原理主義の台頭時代。でも、ユダヤ教でも、キリスト教でも原理主義とは言わないが、経典の『タナハ』『聖書』を文字通り信じていて、正統的な宗派がある。でも、正統的な宗派は現代社会において、生きにくくなってしまって孤立化していると思う。でも、イスラム原理主義はどうなっていくんだろう。

この映画は『死を覚悟で自由に生きることを勝ち取る』自由とは戦い抜いて自分のやりたいことができること?そこには、大声で批判しあっても、戻れる親友ワシラやサミラなどがいる。友のこころの中を理解してあげることのできる親友、そして、理解してくれる親友。そして、自由の精神の母親と姉リンダ。ジャーナリストの姉を失ったネジャマの家族に新しい家族ができる(妊娠したら家族から殺されたり、おいだされたりするからネジャマのところにきた)て、新しい生命が芽生える。私には想像できないこれからの苦難の中でも、自分を失わないだろうと思える姿に明るい将来が見えた。私もできる?

蛇足:
私の知り合いはイランからである。イランではシャーを倒し、イスラム原理主義のホメイニが党首のたっと時期がある。この端境期に私の知り合いはイランで生きてきて、夫婦共々米国に亡命した。この時代は、イランの映画でよく取り入れられている。

観ててつらかった…。
観てるこっちが、いつ撃たれてしまうんだろうとか襲われるんだろうと終始気が抜けないくらいだから、本当にそこにいたら生きてる心地しないだろうな。

ネジュマはボサボサの髪でも美しくて、堂々と自分自身である姿は本当にかっこいい。
そしてアルジェリアを愛してることに正直なところも。

「ここが私の居場所。ただ戦う必要があるだけ」って感じのことを言ってた。その「戦う」に命がかかってるのに、好きな場所で自分の生きたいように生きるのが当たり前だからただそう生きる、邪魔をされたり違うと思ったらちゃんと怒るということがあの環境でいかに難しいことか、私には本当の意味ではわからない。想像したたげでも私だったら大人しくヒジャブをかぶっているかもと思うから。

カメラワークも、目の前の物事を真っ直ぐしっかりと見つめる彼女の目かのように、アップが多くて所々ガタガタ揺れてそこがよかった。

たびたびある、女友達でふざけあう感じはこっちまで笑顔になる。そこまで歳が離れてるわけじゃないから、なんだか友達の輪の中にいるみたいな気持ちで観れた。

変にキラキラドラマチックに描かずに
素の楽しそうな彼女たちの写し方もいい。


もし、ネジュマの経験していることが今私に起こったら、悔しいとか怒りよりもまず「なんで!?」って思うと思う。ただただ本当に信じられない。神や宗教や生きてる意味って何なの?と、人を殺す人たちに本気で聞きたいくらい。お願いだから話を聞いて、と思う。

でも同じようなことやもっとひどいことが今も起きてることは事実なんだよね。。
目を背けたくなるけど、同じ人間がやってること。知ることができたのはよかった。


「この国は巨大な待合室」ってセリフがすごい頭に残った。

そして!【“パピチャ(PAPICHA)”とはアルジェリアのスラングで、「愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性」という意味を持つ】らしい。they really are papicha!


2021.02.10.
平和ボケしてるなと感じた。壁ができたおかげで寮内は安全だから、と許可したファッションショーの最後に武装隊が割り込んできたのは、ネジュマの元彼の仕業かな...と思った。ネジュマが助けを求めてないし、これからも求めないとはっきり言った後の変わりようや突然襲おうとしてきた管理人など、登場してくる男が全てクズだった。でも、ショーを中止にしようとした時縫ってよ!ウェディングドレス着るから、と言ったサミラ、喧嘩してもハグしてちゃんと仲直りするワシラ、寮母に訴える時に協力してくれた女の子たち、思い出したように大好きと言ってキスしたリンダ、全てを包むように暖かいお母さん、みんなネジュマを支えてネジュマに支えられてるなと思った。
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