おかえり ただいまの作品情報・感想・評価

上映館(2館)

おかえり ただいま2020年製作の映画)

上映日:2020年09月19日

製作国:

上映時間:112分

「おかえり ただいま」に投稿された感想・評価

舞台挨拶つき上映
 <登壇ゲスト>:
齊藤潤一(監督)阿武野勝彦(プロデューサー)

日本映画専門チャンネルで本作公開記念特集が組まれていた事を切っ掛けに観に来ました。
実在した名古屋闇サイト殺人事件の再現ドラマ+ドキュメンタリー。
ドラマ部分は気分が悪くなる。理不尽な事件。
しかしながらドキュメンタリーでお母様が風化させたく無いと言われてたので、観ることで力になれたのなら良かったと思えた。

舞台挨拶では、齊藤監督が主演の斉藤由貴ちゃんの大ファンで、是非やってもらいたい事があったとの話、本編を観てうんうんと納得した。
阿武野さんは、映画冒頭の良くある東映や東宝のロゴと同じく東海テレビのロゴが出てくる際のシルエットが彼だそうです。
パンフレット買いました。ゴムの木。

お家ってやっぱりいいねって日常の何気ない会話に出てくると思うけど、どれだけ大切なことなのか深く考えさせられます。

このレビューはネタバレを含みます

個人的な感想では、ちょっとこれは、失敗してるんじゃないかなぁ、という感じがしてしまった。

後半の、ドキュメンタリーの部分は良かったと思う。そして、前半にドラマをくっつけるってアイデアそのものを否定したいわけでもない。

でも、前半にドラマをくっつけるなら、もうちょっとちゃんと撮ってあげないと、可愛そうだなぁ、と思ってしまった。

もちろん、予算の都合など色々あるんだろうけど、ドラマ部分が全体的にチープに見えてしまった。役者の演技に対してあれこれ言えるほど演技というものに詳しくないからあんまり言わないけど、演技的な部分にも違和感はあった。でもそれは、役者の力量という面はもちろんあるだろうけど、演出の不備という側面もあるように思う。カット割りとか、セットの感じとか、全体的に「テレビで見かける再現ドラマ」感があって、これを「映画」として受け取っていいんだろうか、という感覚は、ドラマパートが終わるところまでずっとモヤモヤとしていた。

僕が観に行った回は、舞台挨拶もあり、そこでこういう構成にした意図みたいなものも話していた。事件を風化させたくないという母親の想いや、「闘う母」という構図だけにはしたくなかったという制作側の意図があったようで、それは理解できる。理解できるし、前述の通り、前半にドラマをくっつけるというアイデアそのものを否定したいのではない。ただ、もうちょいちゃんと撮っておかないと成り立たないんじゃないかなぁ、と思ったのだ。

その点がどうしても僕の中では引っかかっていて、なかなかこのドキュメンタリーのパートが始まるまで、なんとも言えないモヤモヤを抱えながら観ることになった。被害者となってしまった女性の、亡くなるまでの人生を描き出すことで、事件の風化を防ぎ、母親が訴えていた「厳罰化」という主張も理解しやすくなる、という構成は良いと思うので、もうちょっとちゃんと撮ってほしかった。もったいないなぁ、と思ってしまった。

内容に入ろうと思います。
この映画で描かれているのは、2007年に名古屋で発生した、通称「名古屋闇サイト殺人事件」。ネット上のアングラサイトで仲間を募り、ただ金を奪うためだけに女性を拉致、殺害するという残虐な事件だ。
前半のドラマパートでは、被害者となった磯谷利恵さんと、その母・富美子さんを中心に、利恵さんが亡くなるまでの家族や恋人との関わりを描き出していく。
そして後半のドキュメンタリーパートでは、母・富美子さんが「極刑」を望む活動を行う姿が描かれる。日本の司法制度では、過去の判例から、強盗殺人は2人以上殺害で死刑、1人だと無期懲役となっている。しかし富美子さんは、人数で判断しないでほしい、事件の残虐さからすれば死刑で当然、として署名活動などを始める。
というような話です。

正直、ドラマパートについては特段書くことはないので、ドキュメンタリーパートに絞って書こうと思います。

まず印象的なのは、富美子さんのこの言葉。

【この事件のこと、私は忘れてしまいたいけど、みんなには覚えていてほしい】

これだけ切り取ると、「???」となるかもしれないので、補足の引用もしておこう。

【時々、犯人に対する憎しみで生きている、みたいに思われるんですけど、犯人について考えるより、娘について考えている方が楽しいじゃないですか】

富美子さんが、「事件」のことは忘れたいけど、「娘」のことを忘れたいわけではない。事件とは関係のない娘のことを考えることで、富美子さんの中では「娘」は風化しない。しかし一般の人は、「娘」のことを知らない。だから、「事件」が忘れ去られてしまえば、同時に、「娘」のこともいない存在のようになってしまう。だから、みんなには「事件」のことを覚えていてほしい。

という趣旨の言葉だ。非常に印象的な言葉で、「遺族」としての自分の立ち位置を明確にするかのような言葉だと感じた。

実際、富美子さんは、長い裁判が終わった後、仲間たちと笑顔で話す姿が多く映し出されていた。もちろん、「事件」のことを「忘れたい」と言っているぐらいだから、忘れられていないし、それは当然だが、しかし一方で、人生をきちんと生きていこう、楽しもうという姿も垣間見えた。それは、とても良い姿に見えた。

この事件は、3人の男が首謀者で、内1人が死刑を恐れて自首、その後残りの2人も逮捕される、という経緯で発覚した。裁判では、自首した1人は、自首したことが考慮されて無期懲役、残る2人は死刑となったが、死刑となった2人は控訴した。しかし、控訴した2人の内1人は控訴をすぐに自ら取り下げ死刑が確定。もう1人については高等裁判所で無期懲役の判決が出て、最高裁でも同じように確定した。

法律解釈や判例というのは、様々なことが考慮されて作り上げられてきたものだろうから、簡単にあれこれ言うことは難しいが、しかし、一審で死刑だったが二審で無期懲役に変わった理由として、「極刑を下すほどの事件ではない」という主旨(正確な表現は忘れたけど)の理由が述べられていたことには違和感を覚えた。確かにこんなことを言われたら、【加害者目線ではなく、被害者目線で刑を判断してほしい】と言いたくもなるだろう。

この映画に限らず、司法というものへの違和感を感じてしまうような本・映画に触れる機会はそれなりにあって、モヤモヤすることが多い。もちろん、日本は先進国でも稀な「死刑容認国」であり、それはそれで国際的に議論がなされるものだと思う。僕自身も、死刑を廃止し、仮釈放なしの終身刑を導入すればいいのではないか、と個人的には思うが、まあそれはこの映画で描かれていることとはあまり関係ない。この映画では、「極刑が望ましいかどうか」が議論されているのであって、その極刑が「死刑」であるか、あるいは「仮釈放なしの終身刑」であるかは問題ではないように、思う。

もちろん、「死をもって罪を償え」という感覚はあるかもしれないし、であれば「極刑=死刑」であるべきなのかもしれないけど。

法治国家では、「暴力行為」(警察力の行使や死刑など)を国だけが唯一正当化して行うことが出来る。だからこそ、そこには公平性や納得感が必要だと思う。これまでの慣例や常識に従うことで、現代性とズレが生まれてきてしまっているのならば、少しずつでも修正が必要だろう、と思う。
監督とプロデューサーの舞台挨拶がよかった。難しい題材だけに、議論を積み重ねた逡巡が垣間見えた。ただただ、こういう事件がなくなるのを、祈るばかり。
ねこ

ねこの感想・評価

-
ジェンダー観ヤバすぎ
神田(死刑執行済み)のお母さんがDVにでも耐えて家にいればこの事件は起きなかったというのが監督の結論なのかな?
誰かの犠牲の上に成り立つ「家族」なんてクソくらえ
結局弱いものに矛先が向くだけ
あ

あの感想・評価

-
レジ袋から不器用にはみ出た長ネギを指差して笑い合った夕暮れ、バスで帰る時は決まってあなたは長ネギだけを持ってポーズを決める、そして待ち時間の間に写真を撮るんだ。再現ドラマからドキュメンタリーに切り替わる瞬間、光彩失くした現実がクッキリ浮かび上がった。しかし被害者目線で判決を下してほしいの一言は……
緑

緑の感想・評価

2.0
有意義なテーマの映画=いい映画ではない。

見どころは斉藤由貴のヨーヨーと泣き顔、
そして一般作品なのに「例のコンビニ」登場。
以上!

予告編を観て悪い予感がよぎっていたが、
編集の山本哲二の腕を信じて鑑賞。
いやー、ひどかった。
名編集が太刀打ちできる隙がないくらいに
脚本と役者がひどい。

なぜ劇映画の作法をわかっている人に
脚本を書いてもらわないのか。
優秀なドキュメンタリー作家が
優秀な劇作家ではない。
被害者12歳時の魔法の望遠鏡エピにしろ、
31歳時のキス前の流れ星エピにしろ、
実際にあったことかもしれないが
年齢に対してあまりに幼すぎる言動で、
悪い脚本に悪い芝居が乗ってリアリティの欠片もない。

ちゃんと芝居できているのは斉藤由貴と浅田美代子くらい。
大空眞弓は舞台っぽい芝居だった。
言っちゃあなんだが他は子どもも大人も全員棒。
なに? 監督の演技指導は「再現ドラマっぽい芝居」だったの?
それにしても下手だし、
だとしたらドラマパート長すぎ。
優秀なドキュメンタリー作家が
優秀な劇映画監督ではない。
なぜドラマパートは劇映画の監督に依頼しないのか。

個人的にはかなりおもしろポイントだったが、
「例のコンビニ」と一目でわかるのはどうかと思う。
そういう作品じゃないでしょう。
ちゃんと商品棚に値札付けて、
もっとリアルなセット作りするべきでは。
被害者の子ども時代、
キャベツ切らせる前に手洗いがないのも
ディテールというものを軽んじていると感じた。
なんというか一事が万事、雑。

ドキュメンタリー部分は掘り下げが足りない。
目新しいところは死刑執行後の犯人父のコメントくらい。

被害者母の被害者目線での判決をという
言葉を受けて思ったこと。
司法に求めるべきは、
加害者目線の判決でも被害者目線の判決でもなく、
六法に則った合理的な判決である。
裁く意味があるのかなんて問いは愚だ。

あと、嘆願のための署名集めについて。
署名した人たち全員がちゃんと考えてしているならいい。
被害者遺族の癒しになっただろうし、
事件について、司法について、
その人なりの考えが持てるようになったかもしれない。
弁護士罷免の署名で訴えられた人たちのコメント等を読むと、
その署名にどれほどの意味があるのか疑問。
数さえ集まればそれでいいんですかね。

犯人のひとりが控訴を取り下げて死刑確定した理由は、
判決を受け入れたからだとは思うのだが、
ふと、以前見た安楽死のドキュメンタリーで
群発頭痛が苦しすぎて安楽死した人がいたことも思い出した。

映画の出来はさておいて、
事件被害者にはご冥福を祈るし、
被害者遺族にはお悔やみを申し上げたい。
もうこんな事件は起きて欲しくないという気持ちは同じである。

余談。
上映前に流れたミニシアター・エイド参加者に
原田美枝子、のん、ヤスダスズヒト、
那州雪絵、廣木隆一を発見。
佐藤浩市はあることを知っていた。
高額出したのはどんな人だろうと思っていたが、
企業が多かったようだ。
 死刑の議論は難しい。
 日本の死刑は絞首刑だけだが、外国では電気椅子や銃殺、ギロチンなどがある。先進国では残虐刑が禁止されている国が多く日本もそのひとつだが、イスラム圏の国ではたとえば石打ちの刑などが現在でも行なわれている。下半身を土に埋めて、こぶし大の石を投げつけるという刑だ。死ぬまで投げつけるので、残酷さは相当だと思う。
 仮に日本で石打ちの刑があるとして、被害者の家族は石を投げつけられるだろうか。娘を理不尽に殺された母親でも、他人を傷つけることには禁忌の心理が働くから、相手が死ぬまで石を投げつけるのは難しいだろう。では絞首刑の床を抜くスイッチを押せるだろうか。これも普通の人には難しい。
 死刑は人を殺すことだ。他人の死刑を望むが人殺しはしたくないというのは、沢山の人の本音だろうが、ある意味では虫のいい話である。日本では死刑囚は刑務官が殺す訳だから、人殺しを他人任せにしている訳だ。これは死刑を望む被害者家族だけでなく裁判官にも検事にも言えることで、人を死刑にするなら自分で執行するくらいの覚悟があって然るべきなのかもしれない。
 本作品は簡単に言えば、清く正しく生きてきた女性が見ず知らずの三人組の強盗に殺される話である。母娘ふたりで生きてきた母親は、ひとりを除いて死刑にならなかった判決を不服として死刑を求める署名活動を行ない、30万人近くの署名を集めている。しかし死刑の嘆願に署名した人は自分の手で死刑囚を殺す覚悟があるのだろうか。
 母親が死刑を求めるのは無残に殺された娘の復讐のためだけではなく、無慈悲で残虐そのものの犯人たちを再び世に出したくない気持ちもあるだろう。その意味では死刑囚に自ら手を下してその死を確認すれば、二度と外の世界に戻ってくることがないという安心があるかもしれない。能動的に殺すのは誰も気が進まないから、水だけを与えて餓死するのを待つという手もある。人権団体から死刑囚にも人権はあると批判されるかもしれないが、一方的に生命を奪われた被害者の人権にはどのように落とし前をつければいいのだろうか。
 被害者である利恵さんの死は理不尽すぎるし、母親である富美子さんがこの事件を風化させたくないという気持ちも判る。戦争の歴史を風化させてはいけないのと同じだ。再び戦争が起きないために努力するのと同じように、利恵さんのような被害者を二度と出さないように努力しなければならない。富美子さんの講演はそれに役立っているのだろうか。

 映画の中で少しだけ触れられているが、加害者は社会から追い込まれて加害者となったのである。生れた時は赤ん坊だった訳で、その頃から犯罪者だったのではない。ボーヴォワールの言い方を真似れば、人は犯罪者に生まれるのではなく犯罪者になるのだ。犯罪者が育たない社会を作らなければ、第二、第三の利恵さんが殺されるだろう。
 人間に優劣をつけ、優れた者が劣った者の人権を蹂躙するのが今の社会だ。優劣の基準はその時その時の社会のパラダイムである。日本の新しい総理大臣は自助、共助、公助などと言って、自己責任論を徹底しようとしているから、自助が出来ない人間は今後も追い詰められ続けるだろう。犯罪者の誕生である。そして第二、第三の利恵さんが殺される下地となる。そうしないためには他人との優劣を争うことが生き甲斐というこの社会の人間のありようそのものを変える必要がある。オリンピックで金メダルを目指す強者を讃えて応援する反対側には、差別されて人権を蹂躙される弱者がいるのだ。
 沢山のテーマが錯綜した複雑で難解な作品である。考えるべきことは山ほどある。あのとき救えなかった子供が大人になって強盗殺人をしたと考えれば、我々の身の回りにも今すぐ助けないといけない子供がいるかもしれない。そこで手を差し伸べるかどうかが、第二、第三の寿恵さんが殺されるのを防ぐことにつながる気がする。
2007年8月24日の深夜に名古屋で起きた闇サイト殺人事件を再現ドラマとドキュメンタリーで、その深層に迫った東海テレビ製作による本作は、事件発生以前の被害者の母と娘、そして加害者の主犯格である人となりを子供時代にまで遡って浮き彫りにしていく。
事件そのものは短絡的で余りにも残虐だった為、当時、テレビや新聞、雑誌で取り上げられたので概要は知っていたが、被害者、加害者たちの事件以前やその後については知らなかったので興味深く鑑賞した。
本作では、その“アプローチ”に関して「家」「家庭」を重要なモチーフとしていて、それから見えてくる人生や善悪の分岐点が何とも言えない余韻を残す。
今「生い立ち」発言が世間を騒がせている最中だが、世の中には愛がなく虐げられて育てられたことで非行に走る者ばかりではなく、どんなに家庭環境が劣悪でも腐らずに立派に社会人生活を送っている人だって余多いる。
それでも巡り合わせが悪くて、どんどん闇に落ちていく者もいる。
本作からは人の救い難い闇が垣間見えて、言い様のない感情に駆られてしまう。
特に被害者である磯谷利恵さんとその母・富美子さんの関係を見ていると、何故この親子の平穏で将来のある日々が踏みにじられ、永遠に失わなければならなかったのかという遣りきれない思いになる。
だからこそドラマパート後のドキュメンタリーをおける被害者の母・富美子さんの「行動」が理解出来るし、その思いに共感を覚える。
新型コロナウイルス感染症拡大による不況の波が世界中に広がりを見せている中、人々の心が荒んで本作のような事件が再び起きないように祈るばかりだ。
娘を強盗殺人で殺された母親のドキュメンタリー。
被害者サイド一辺倒な作りではなく、加害者で死刑判決を受けた男の生い立ちや父親へのインタビューなどをありよかったです。
自分もしっかり前を向いて生きていかねばと思わせてくれた映画でした。

このレビューはネタバレを含みます

見始めて、あれ?と思いつつ1時間すぎた。
まだ思っている話にならないが…
最初のほうで、これはそういう映画なのねー
と切り替えでみた。

後半の被害者のお母さんがでてきて、斉藤由貴、役作りしてたんだなーと気づく。
とにかくめちゃくちゃ嫌な事件。あまり凄惨なシーンがなかったのはよかったんだけど
犯人がたいして悪いことしてないんじゃないか?
って印象にならないか心配。
だってかなり酷い事件だったから。

被害者のお母さんはほんと素敵な人で、被害者
もとっても素敵な人だった。
テンポが遅いのでちょいだるいときもあったが
みてよかったと思います。
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