仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)の作品情報・感想・評価

仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)2020年製作の映画)

The Works and Days (of Tayoko Shiojiri in the Shiotani Basin)

上映日:2021年

製作国:

上映時間:480分

ジャンル:

「仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)」に投稿された感想・評価

[ある集落の日常と自然の表情] 50点

今年のベルリン映画祭で初めて導入されたエンカウンター部門で最優秀長編映画に選ばれた8時間の美しい記憶の物語。原題は"(塩谷の谷間における塩尻たよこの)仕事と日常"であり、監督の一人アンダース・エドストロームの義理の母親である塩尻たよこを中心に、京都府の山奥にある人口47人の限界集落における人々の日常を丁寧に紡いだ作品。足掛け14ヶ月に及んだ撮影は、春夏秋冬様々な顔を見せる自然と隣り合わせの中で、過去の記憶を抱えながら静かに、時に騒いで暮らす人々の姿をじっくりと描き出していく。映画は基本的に自然の部分を切り取ったシーン(多分4時間位はこれ)、たよこが黙々と家事や畑仕事を続けるシーン、そして人物たちが夜の呑み会や縁側などで談笑するシーンに分けられる。それらを繋ぐのはたよこによって書かれた日記の断片の朗読であり、日に日に症状が悪化していく夫塩尻ジュンジ(漢字が分からん)について多くの分量が割かれている。

それにしても、会話のリスニング難易度が主に音響のせいで黒澤明作品レベルなのに、突然聴こえる鳥の囀りや車の走行音が爆音で流れるので、ただのASMR動画になっていた。しかも、屋内外問わずどんな画面も基本的に薄暗い上に、シーンとシーンの明白な起承転結がないまま、まるで人生のようにダラダラと続いていくので、シンプルに眠い。夫ジュンジの病状が悪化していくと、『DAU』シリーズのような畑仕事と呑み会の日々も徐々に暗く静かになっていき、油断すると熟睡しちゃうような鬱々としたヒプノティックな映像が延々と続くことになる。そんな情景には美しさを感じる前に精神的に参ってしまう。後述の上映環境の悪さも相まって、人生最悪の映画体験の一つと言えるかもしれない。

同じ年のベルリン映画祭に出品された『DAU』シリーズとは、確かに親和性が高い。実際の名前を使ったドキュドラマに、アクセントとして俳優(加瀬亮と本木雅弘)が加わるというコンセプトがそもそも似ているし、嫌になるほど長尺という面でも似ている。比べるなら仕事と呑み会を6時間繰り返す『DAU. Degeneration』が妥当だろう。しかし、何も起こらなくても、何かが起こっても人生は続いていくことを8時間かけて証明した本作品には、『DAU. Degeneration』における"どこにも進めなくなった巨大な虚無"とそれを破壊し尽くす暴力性という強烈なコントラストのような、物語を引っ張るようなもの/指針となるもの/記憶に残るものが存在しなかった。観る前から薄々分かってはいたが、インスタレーションではなく長編映画としての価値はあまり見出だせなかった。8時間必要かは置いといて、長尺にすることには『DAU. Degeneration』と同じ意味があるとは思うが。

私の母方の一家は全員関西出身なんだが、全員東京に出てきてしまっているので、"田舎に帰省"という概念がない。なので、呑み会での一家団欒の風景は、"田舎への帰省"の幻を見ているようで妙に寂しい思いがした。こっちで遊びに行って呑み会になると、だいたいあんな感じ。

追記
ここからは上映環境の悪さに関する文句なのだが、取り敢えず8時間(休憩も入れると正味10時間)もアテネ・フランセ文化センターの固すぎる椅子に座ることは前から知ってたので置いとくとしても、2時間ずつ区切られたスケジュールが実は全く違ったり(順に100/100/135/145だったと思う)、スウェーデン語会話に英語字幕しかついてなかったりと、運営側の適当さが目に余った。11時に会場に着いた時、関係者のタグを首からかけてる人しかいなかったので嫌な予感がしたのだが、バッチリ全部当たってしまった。そんな能力いらん。
yuling

yulingの感想・評価

5.0
編んでるのに編んでないみたいな編集でよかった

タイトル、過去いちでぐっときた
LALA

LALAの感想・評価

3.8
ウィーン国際映画祭にて

思ったこと、覚えておきたいことを並べておく。

"におい"と"懐かしさ"。

夜明け、湿ったアスファルト、雨に濡れた畑、朝の畑、昼の畑、夕方の畑、鳥のいる部屋、車の中、山の中、風呂場、台所、おばあちゃんの家の冷蔵庫…のにおい

美しい映像と音
鳥・虫・カエルの鳴き声、風に鳴らされた稲・草・山の声、雨、川、水、車、トラック、バス、畑に貼られたビニールの音…
全ての情報が私に"におい"を感じさせた。

上映後の登壇で監督も音に拘ったと言及してたけど、Intermissionも含めて、綺麗だった。

"懐かしさ"。
地元、日本を離れて暮らしてるからっていうのも確かにある。
でもそれ以上に、子どもでなくなることにつれて、
聞こえなくなった音、見えなくなったもの、感じることを忘れてしまったにおいを大画面大音量で体験しているからなのか。

監督の一人、Anders Edströmの義理の母である塩尻たよこさんの周辺のお話。

たよこさんの大学の話。進学したかったが親に反対され、断念。昔から両親や近所の大人の喜ぶ顔を見るのが好きだった。だから反対を押し切ってまで自分のやりたいことを目指す気にはなれなかった。兄は東京へ。当時の「女は大学には行かなくていい。着物が縫えて、料理ができればいい。」という考え。何度も言っていた、たよこさんの「悔しい」という言葉が印象に残る。

2台のカメラとマイク。ドキュメンタリー映画なのか?と思わされる。同じように感じた人は少なくないらしく、監督へ質問している人がいた。
「かなりリアルに近いドキュメンタリーの様に感じた。しかし分類はフィクション。その点どの様な撮り方だったのか。」
C. W. Winter監督が躊躇いながら答えたのは
「フィクション的な会話にドキュメンタリー的なリアクションをする…といったようにドキュメンタリーとフィクションは共存しうる。見ているあなたがそれほどリアルに感じてくれたなら嬉しい。」

また、登場人物のほとんどが実際に村に住む住人であることについて
「俳優としてuntrainedな人々と作品を作るのが好きだ。一つ大変だったことといえば、名前。皆、自身や相手のフィクションの名前を忘れがちで、撮影中に名前への反応が遅れることだ」
と話して、会場を笑わせた。

8時間、480分で私はとても美しい村の一年間を見た。
私はその1年間をあと何回生きられるのか。あと何回、美しい季節の移り変わりを見れるのか。
帰り道、風に揺れる木々の音がいつもよりはっきり聞こえた。