「ここ」と「よそ」 パレスチナで起きている虐殺を眺めている私達と、パレスチナ。 現在にも接続される「ここ」と「よそ」の対比構図は70年代においても「フランス人家族」と「パレスチナ解放」として対比する…
>>続きを読む本作はゴダールのオートバイ事故前に「勝利まで」のためにパレスチナで撮影され、未完成となったことからフッテージを使用し完成された作品。その後に撮影された「6×6」や「パート2」に繋がる要素も含んでおり…
>>続きを読むジャン=リュック・ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルによる、ジガ・ヴェルトフ集団として作った作品。70年の親パレスチナ作品「勝利まで」(ゴダールとジャン=ピエール・ゴラン共同作品)の一部が引用され…
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終始ゴダールの挫折感が漂っていて、政治的な映画でありながら、特定の政治的思想を掲げる映画ではなく、戦争や、地球というひとつの地平で全く交わらない生活を送る我々の関わり合い、映像、記憶、鑑賞すること…
再見。ドゥルーズが語っていたように「and」=「と」で異なるものを繋いでいくことの重要性が70年代ゴダールの到達した一つの回答だろう。他方でストローブについてはどちらかといえば「or」=「か」で異な…
>>続きを読むこことよそについての、ここ+よそ、ここ-よそ、ここ×よそによるゴダール的主張と宣言。
分解によって露見するのは、単なる統合の要素でしかないが、わたしたちが二項について考察すべき意味はあるし、それは義…