ガートルード/ゲアトルーズの作品情報・感想・評価

「ガートルード/ゲアトルーズ」に投稿された感想・評価

あかね

あかねの感想・評価

3.7
これなぜこんな評価高いの笑?
よくありそうな話( ´∀`)!!
これもBOXをお借りした続き🥺🙏!

ドライヤーの遺作らしい。
もともと舞台劇を映画化?
舞台劇だからなんだろうけど
目線が笑笑🤣🤣✨
みんなどこみながらセリフいってるの?
くらいでなかなか面白かった!
まさに唐に愛なんてない目線笑

てかこれも不倫?
ドライヤー作品今んとこ不倫なんだが笑
でもこの主人公なら
不倫じゃないわ、愛なのよ
言われそうでうざい笑笑😂😂

主人公がブスよりなのに
何故かもてもてでじらすわ
男三人に色々いわれるわ
だけどいい女風が鼻につく笑!!

他の唇を求める唇
夢のようだ!
がツボに入りすぎて新喜劇みてる
かのようだった笑笑🤣🤣🌸

これが愛っていわれてもな笑笑!
旦那さんいるじゃん!!
旦那いてもな気持ちくらいは
わかるけどさ...
みんな終始一方通行で
まぁ女性に集中してるが🤣(可愛くない)

だけども、たまに映る湖とか
あの鏡とかアンティークがすきで
そこら辺はあいかわらずすきなお方!
重厚感のある格調高き映像美。ドライヤー監督の品格に満ちた長回しが本作でも圧巻。どっしりとゆったりと構え、一定のテンポで進む、その静の美しさは鳥肌モノ。ひとりの女性の愛と孤独。人生のリアリティがじっくりと描き出されている。満ち溢れる晩年の巨匠の円熟味。元から圧倒的だったその非凡な格調高さが、更なる極みに達した印象。その何事にも動じぬような落ち着いた描写にひたすら圧倒されるばかり。天才映像職人の円熟の境地。只々感動。印象的な台詞メモ「真理に至る良き思想を持つには勇気が必要。自分自身を信じ、他者に迎合しない勇気。」。
代表作『奇跡』からは大きく変わった、ベルイマン『沈黙』にも似た滑らかなカメラワークがなんとも美しい。女の情念を描き続けるだけで作り上げられた作品というのはなんとも敬虔なドライヤー監督作らしくはないが、本作は遺作にして最も実験的だったのだろう。とにかく超越的な映像美である。"光と影を操る"という肩書きは今に至るまで散々使われてきたか、その極致が見られるは本作であり続けているのかもしれない。
オレ様

オレ様の感想・評価

3.3
めちゃめちゃ演劇的
照明の使い方とか綺麗でハッとさせられるものがあったなぁ。セリフも興味深いし。
ただ面白いかと聞かれれば答えはノーだし、映画勉強してる人は見たほうが良いと思うけど別に難しいこと考えたくなーい映画は楽しむもんっしょー!って人は見なくていいかなぁ、と。
はぁでももうなんか大竹しのぶかにしか見えやんくてなんやコイツー思っちゃいましたわい(大竹しのぶ様の演技は大好きです)
Tyga

Tygaの感想・評価

4.2
愛していると言ったその瞬間、相手に気持ちが通じた瞬間から、愛は次第に自分から離れていく。
相手に愛は決して届かず雲散霧消とまではいかないが、どこかに消えて取り止めがない。
ならば、心の中で心地よい距離で「愛しているかもしれない」と思い続けながら、人生を全うしようではないか。

目線がとにかく交わらない。
ところどころ、その目線はどこを指しているの?という場面が。

これが遺作ということは、もしかしたらドライヤーも愛に対して沈黙していたのか。
カール・Th・ドライヤー監督遺作。
一人の女性の恋愛遍歴と、その信仰にも似た恋愛観に添い遂げた人生を映した作品です。

互いに視線を交えることが少なく、また一方が説得、他方が頑なに拒むといったシーンの多い室内劇であり会話劇。
この為他人の家の内を覗いている様な、妙な居心地の悪さが終始付き纏う作品でした。

ゲアトルードその人の外面的な恋愛遍歴は当世に在っても凡庸と言えそうですが、内面的に『相手にとって、自分の愛が必要か否か』を進退の秤に掛けている点に、「自由を装っても矢張り当時の女性の立場観に囚われている」と少し憐憫を感じました。

本作は『女性への社会からの役割りの強要、抑制』を描いて来た当監督にあって、初めて『そこからの脱却』を描いた作品でもありますが、自由には孤独と寂寥を伴うと云う警句を発している様にも思えます。

最後のアクセルとの部屋越しの挨拶では、見事な構図に見とれるのと同時に、その距離が彼女と世間との乖離を現している様で侘しさが残ります。

これから色鮮やかなアネモネの花を見る度に、思い出しそうな作品です。
knkne

knkneの感想・評価

5.0
愛に耽溺する女。視線の交錯。中々向き合わない男女。
孤独や空虚さという夜の帳を照らし、精神の炎に薪を焚べ続けることこそが愛だろうか。しかし燃料無しに炎が燃え続けることはないように、それは永遠の形を取ることはない。
僕らは人生における一時的なその愛や情熱の一瞬の火や炎の揺めきに、温度に酔いしれたりするし、深く傷つき痕を残すこともある。それもいつしか記憶の中に存在する、あるいはその存在もしえない燃え殻と化す。
ゲアトルーズの耽溺の果て。
その答えを示すは、それぞれの発する言葉であり、記憶であり、行動であり、思想であり、生き様である。

「愛のむきだし」の有名なワンシーンで、満島ひかりがコリントの信徒への手紙13章を口にするのだが、大まかな答えはそこに出ているような気もする。
ちなみにこの一節に関しては他の映画でも、それぞれ意味合いと訳や文章が変わってくるものの引用されている。例えば押井守の「GHOST IN THE SHELL」やキエシロフスキーの「トリコロール 青の愛」などの作品においても登場する。
また、愛について深く考えたことのない人には、この映画は鳴る銅鑼、響くシンバルなのやもしれない。

遺作にして演劇に回帰するかのような演出、宗教的なエッセンス、完璧とさえ思えるほどの空間。人物の配置は絵画、というよりも彫刻の芸術様式を取っている。そこに澱みはなく、愛を問いかけるというのも個人的には粋である。
鏡の使い方がもはや芸術的である。鏡の中では合う視線と対話。物体同士が向き合えど中々視線は相対することはない。
陰影での説明、外での自然光もまた美しい。
あくまで室内劇に始まり室内劇に終わることが明確に提示されたラストの扉が潔い。鐘の音が豊穣な余韻を連れてくる傑作だ。
カール・テオドア・ドライヤー祭り
1/3

初ドライヤーさんです!
カタパルさんBOX有難うございます!!

モノクロで描かれる金持ちの家の装飾やファッション、お庭の様子は美しい☆

が、肝心のゲアトルーズが微妙だった(笑)
なんかハイジのロッテンマイヤーみたいな骨格なんですよww
しかも中身はウジウジした悲劇のヒロイン風味。

こんなんに男が3人も群がるとか…まじ世界は狂ってるぜ。
1人くらい寄越せ(* ̄∇ ̄)ノ



今度大臣になるんだー!
という夫カニングに、唐突に別れを切り出すゲアトルーズ。

そして向かうは若い作曲家の待つ公園だか森だか庭。
夫に話してきたから一緒に暮らしましょうね、うふふ。

が、今度は元彼ガブリエルがたまたま帰国。
そしてゲアトルーズに好きだったんだーとか言って泣く。

夫カニングなんて、愛人いても良いから別れないでくれとか言う。

あぁ………愛がすべて。
孤独大事、自由大事。
きっとここから愛なんだー

え………………………??



なんつーか………
シェイクスピアの舞台に友人が出てるから仕方なく観に行ったけどやっぱ台詞多いしよく分かんないし眠いな。
って感じになりました(笑)

登場人物がみんな各々を見ず、舞台みたいにこちらを見て喋るんですよ。
拒絶とか孤独とか表してるんだろうけど、とても不自然。

で、膨大な台詞で語られることと言えば"愛"。
あーーー愛ですか、そーですか。

なんか詩的に滔々と語ってるんだけど、もう右から左に…なんなら耳に入らず目の前を通過していくんですよね、私w

しかもそれが、こんなに愛されてるのにわざと拒絶して、孤独に浸って私可哀想…ってやってる女にしか見えなくて。
むかつく(´Д`)

映像は美しいですよ☆
なので、ゲアトルーズさんがもう少し美人ならノレたかも(笑)

あと台詞量、半分でいい。
ダメ押しで幕間に文字でまで押し付けてくるの、ちょっと怖い、重たい。

そんな初ドライヤーでした!
さて、祭りは続きます♪
ENDO

ENDOの感想・評価

4.2
情熱的に大臣になる旦那に離婚を一方的に告げるも愛した相手には裏で罵られ破局。致命的に遅い演出の上で愛の喪失と空虚にのみ生きることを自ら強いる。ゲアトルーズは関係したものを消尽させ灰にしてしまう。生きながら死んでいく。唯一の友人に踏みとどまったアクセルだけが晩年の彼女を久方ぶりに訪れる。全てが事後の話でしかないので幽霊のような登場人物たちの在りし日の白昼夢のような陽光に思いを馳せるしかない。通奏低音に重なる天使の歌声。
犬たちの群れに裸になった自分が追いかけ回されて、犬に追い越されたときにはじめてこの世界には自分とあなたの二人だけしかいないと分かった、とゲアトルーズは恋人に庭園で語る。犬たちとは当然、ゲアトルーズに群がる男たちを指している。だが、なぜ追い越されたときに自分と恋人の二人しかこの世界にいないと分かったのか、そしてまたその恋人ですら犬たちの内の一匹に過ぎなかったのだから、二人とはゲアトルーズと誰を指しているのか判然とはしない。ゲアトルーズがまさに愛を体現しているのだとしたら、もう一人とは誰とは問わなくても何を体現しているのだろうか。夢だろうか、真理だろうか、それとも死だろうか。映画内でインサートされる字幕にそれは示されているが、それは一語には限定されない言葉そのものである。ゲアトルーズと言葉。台詞も字幕も、はたまた抑制され硬直していくような「奇妙」な演技でさえ、そしてゲアトルーズの愛の遍歴でさえ、すべては言葉へと昇華されていくためにあるかのようだ。愛の伴侶は言葉である。言葉は愛を追い越していく。それはまるでゲアトルーズが16歳のときに書いた詩がその後のゲアトルーズの愛の遍歴を決定づけているように。
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