四川のうたの作品情報・感想・評価・動画配信

「四川のうた」に投稿された感想・評価

序盤寝ちゃったけど面白かった。メトロポリスの冒頭と重なる大量の工員の出勤風景とか色々SF感ある規模のでかさ。所々遊び心もあってよき。
上旬

上旬の感想・評価

3.0
第61回カンヌ映画祭のコンペに出品された作品。ドキュメンタリーの形をとった映画で、壊されゆく工場とそこに関わる労働者の人生が並行して語られてゆく。

うーん、ジャ・ジャンクーの作品としては初めて何の感情も湧き上がることなく観終わってしまったな。

構成やそれぞれの話は興味深かったけど、それがドキュメンタリー形式をとることの意味が感じられなかった。

これならまだ本物のドキュメンタリーである『鉄西区』の方がドラマチックだったし感動した。普通にドラマ映画の形式で観たかった。
mira

miraの感想・評価

4.0
絶対見てない!って意気込みながら見始めたんだけど、途中でバッチリ思い出してきて「ダウト!」って叫びたくなった。『鉄西区』とかもそうだけど、でかい工場が日常に溶け込んでるだけで面白いし、それが解体されていったりってなると、視覚的に面白いのもそうなんだけど、中国の長い歴史性みたいなものが勝手にわかった気になったりしてしまうのもいい(いや、よくない)
buccimane

buccimaneの感想・評価

4.0
420工場と言うから大麻プラントかと思ったけど違ったものの飛ぶものには変わりなかった。
インタビュー中の編集部分でしっかり暗転するのが緊張感高まって良かった。
しかし役者も混じってインタビュー受けるスタイルそんなのアリか〜と思いつつもうまくハマってるし本人とツーショットしてるとことかグッとくるものがあるな。
でもみんな最後のチャオタオさんみたく生きていけるわけないじゃんと思ったけど。
白

白の感想・評価

4.0
巨大国営企業の閉鎖と共に世界から消えてしまう世代
始まりもまた「名前」とともにあらんことを

『消えゆくものを携えながらも
生涯私が誇りとするには十分なのだ』
ワン·シャー

『我らがかつて行い 考えていたことは
必然的に散ってゆき 次第に淡くなってゆく
石の上にこぼされた 牛乳のように』
イェイツ
ただ話してるだけなんだけど、ちょいちょい興味を引くエピソードが出てくるので見れる。ハマらなかったが、、
ジャ・ジャンクー監督作品。
四川省成都にある国営軍需工場が、民間不動産会社に土地が売却され、たて壊されようとしていた。その工場で働いていた人たち等の人生が語られていく作品。

基本インタビュー形式で、工場での思い出話をしていく。ドキュメンタリーかと思ったら、話していく人たちが役者だった。

市場経済が導入され、変動していく中国と、それに翻弄される一般の人々という、ジャ・ジャンクーの作品に共通する要素が詰まった作品。この映画で語られていくエピソード一つ一つが映画になりそう。

でかい工場での作業シーンと、解体されていくでかい工場が見てて気持ちいい。
美容室のシーンとローラースケートで遊ぶ少女のシーンが好み。
あとは、働く人のショットとか半分朽ちたような工場のショットが好きだった。
工場のきれいな映像が印象的。

部屋で語っているシーンでも、窓が開け放たれていて外の音が聞こえるところがすごく良かった。
netfilms

netfilmsの感想・評価

3.9
 2007年、中国四川省・成都。巨大国営工場「420工場」の繁栄と共にあったこの街だが、工場は50年あまりにわたる歴史に幕を閉じようとしている。工場内のホールでは、跡地を土地開発企業に引き渡す式典が行なわれていた。かつてこの工場で働いていた労働者たちが、それぞれの思い出をゆっくりと語り始める。50年にわたり中国の基幹工場として栄えた巨大国営工場の閉鎖が、この街に与える影響はあまりにも大きい。3万人の労働者が失業し、その敷地内で暮らした10万人の家族たちの故郷が失われる。まさにここでも「失われた風景」と「失われた生活」にカメラは向けられる。『世界』で試みられたような手持ちカメラによる機動力を生かしたショットや、役者たちの動きに連動するような躍動するカメラの動きはここにはもうない。冒頭、「成友集団」の巨大な赤字のエンブレムが固定カメラで据えられた後、カメラはこの工場の内部をハイ・アングルでゆっくりと切り取っていく。各人のエピソードの一つ一つが実に生々しい。子供を養うために必死で働いていたのに、突然解雇されてしまった修理工の中年女性。成都に向かう船の中で子供とはぐれてしまった中年女性。過ぎ去った青春に思いを馳せる成発グループ社長室副主任の男。職場の花として男性労働者に大人気だったが、初恋の同僚がテスト飛行時に事故死し、その思いを引きずる中年女性。彼女たちの年輪が、420工場を巡る時代の大きなうねりの中でゆっくりと炙り出される時、激動の時代を生きる中国の人々の苦しみや悲しさ、残酷さが滲む。

 今作はドキュメンタリーの体裁を取っているものの、フィクションとドキュメンタリーはごちゃ混ぜになり、
これまでのジャ・ジャンクー作品とは違うまったく新しいスタイルを提示する。思えばこれまでのジャ・ジャンクーのフィルモグラフィにおいて、ある中国の現実に対して、そこに出て来る役者たちが演じるのはもっともらしいフィクションであった。彼ら彼女らの演じる物語は、ある図式化された物語に過ぎず、それはその土地で過ごした人物たちの真にリアルな造形描写ではなかった。それが今作ではいわゆるフェイク・ドキュメンタリーの手法で、ジャンクーは420工場を巡るおよそ50年にも及ぶ歴史を浮き彫りにしようと試みるのである。この映画をクランク・アップするまでに、当然監督には綿密なリサーチがあり、そのリサーチの過程で何十人何百人もの人間の証言を聞いたはずである。ただその中の取捨選択や語り手のチョイスは監督であるジャ・ジャンクーの判断でしかない。フィクションとドキュメンタリーの曖昧な領域の中で、時に山口百恵の歌やイギリスの作家イェイツの詩や成都を詠う古典詩が引用されることで、映画は大胆にもフィクションとドキュメンタリーの垣根を越えていく。ここにあるのはジャンルとしてではなく、スタイルとしてのフェイク・ドキュメンタリーであり、「失われた風景」をエディットする作業に他ならない。