土地=共同体の歴史を撮った『阿賀に生きる』とは異なり、個人的な時間そのものを撮影した続編。時間が主題なので長回しが必然的に選択され、何の変哲も無いような画面で確実に経過する時間が圧縮される。土手上か…
>>続きを読む12年前に撮った自分の作品を追体験していく、ドキュメンタリーについてのドキュメンタリー。撮影者≒キャメラの人称性が薄れ、失われた時間を求めて彷徨する動きは確かに人間のそれではない。フィルムには「瞬間…
>>続きを読む 素晴らしい傑作
『SELF AND OTHER』の後だから佐藤真は一つの作家性「不在」を完璧に描いている。
『阿賀に生きる』から10年。またこの集落を訪れた撮影チーム。
前作では方言で伝わ…
住民が話す言葉に字幕がないことから、前作とは全く違う目的で作られたことが分かる。何を話していたのかはどうでもよくて、言葉を発する/発しないが存在の問題に関わっている。抽象的な映画についての映画。前作…
>>続きを読むまだ微かに息をしている阿賀。これが2002年なら、真さんと同時に静かに息を引き取ってしまわれたのではと想像したり...
アホがカラスと坊主を間違えたという微笑ましい昔話。おじいちゃん、ちょっと聞き…
「阿賀に生きる」とは
明らかに異なるベクトルで
制作されていて正直こちらの方が好き。
阿賀を通した映画という記憶についての考察。
冒頭から車窓カメラと声という
この監督独特の映像言語でアガる。
この…
ドキュメンタリーとフィクションの狭間、つっても“ドキュメンタリー”と“フィクション”の狭間に明快な境界線なんてモンはそもそも存在しないから、あらゆる映画は、スペクトルみたいな曖昧な狭間で、各々のやり…
>>続きを読む「阿賀に生きる」とはアプローチが違い、だいぶアート的。これ単体で見ていたらしんどかったかもしれないが、連続で見たことで涙が出た。
さっきまで画面に映っていた人も風景も変わっていく儚さ。記憶媒体として…