ザ・デッド/「ダブリン市民」よりの作品情報・感想・評価

「ザ・デッド/「ダブリン市民」より」に投稿された感想・評価

No.772[ ]

見た時期が悪いと思いたいが何の感情も湧かなかった。自分でも不思議なくらい、頭が内容を跳ね返したらしい。退屈ではなかったが、もう二度と見ないだろうから、手元にあるジョイスの原作を読んでそっ閉じしようと思う。

多分そんなことは無いだろうけど、感情が湧いてきたら更新するかも。
mk

mkの感想・評価

3.5
この繊細で優雅な感じ、ジェームズジョイスの原作まんまです!
でもコンコンと降り積もる雪のなか、耳にするアイルランド音楽、訛りは本作でしか味わえないもの。
R

Rの感想・評価

5.0
すごく好きな映画なので時々見てしまいます、ひさびさの6回目。舞台はアイルランドのダブリン。静かに雪の降るクリスマスの夜。元音楽教師の老姉妹が毎年開いてる親族のパーティーに、今年もみんな集まってくる。終盤までは、パーティーでの人々の立ち振る舞いが、実に手際よく緻密に描かれていく。ピアノに合わせてみんなで踊って、老姉妹の娘がお上手なピアノを披露し、詩の朗読があり、老姉が歌を披露し、みんなで食事をして、昔を懐かしみ…とそれぞれがお互いを思いやりやがら、和やかに、お行儀よく、パーティーが進行していく。政治ネタなどぶつかり合いそうな話題はできるだけ避け、飲みすぎな男たちをうまくまとめて、つつがなくパーティーを終わらせられるようみんなで心を砕く。けれど、実はそれぞれ心に掛かってる心配事があったりする。息子が飲みすぎてハメ外さないかハラハラしたり、食後のスピーチをうまくやるためソワソワ何度も確認したり、なぜか浮かない表情の奥さんがいたり。とはいえ、全体としては、アイルランド伝統のあたたかいおもてなし精神があふれてて、その微笑ましいこと、嬉しいこと。前半はホントそれだけなのに、何なんでしょ、この行間から溢れ出す香り高さ。そんな豊かな団欒が、心の琴線に触れる涙あふるるピークを過ぎ、潮時を迎え、お別れの時間に。別れ間際、テノール歌手が甘い甘いとろけるような美声で、悲しい恋歌を歌いあげ……ここからがスゴいんす! これまでの全てが、実は最後の夫婦の会話と、ラストのモノローグへの伏線となっていたことが明らかになる。妻の吐露する過去の情熱と悲劇に、一転して、自らの存在の意味と、生と死の実相に対峙させられる夫。自分とは何者で、何を為し、何を生きながら死に向かっているのか。思いを馳せると、ほのぼのハッピーだったクリスマスパーティーの隅々に、人生の無常が、はかなさが、染み込んでいた。ひとりひとり順番に、確実に、老いへと、死へと、世界の終わりへと押し流されている。彼らは一体何を感じ、考えながら、生をすり減らしているのか。人間として生きる我々の存在とは一体何なのか。我々は何のために生きるのか。その答えを、本作は提示しません。ひらひらと静かに舞う雪を見つめながら、我々ひとりひとりがそれを考えなければならない。答えを出さなければならない。それとも、彼らと同じように、何もはっきりと分からないまま、ただ時が来るのを待つのみとするか。……と、そんな感じで、最後は前半からは想像もつかない、非常に厳しい終わり方をします。驚きです。素晴らしい。大好きな作品がいくつかあるジョンヒューストン監督の、これが遺作らしい。公開を待たずに亡くなったんだとか。監督は、逝ってしまう前に、自分の人生の答えを見つけたのだろうか。それが、毎度見てて一番気になります。また見ます。
ys

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4.0
第2回東京国際映画祭で鑑賞。
渋谷パンテオン
半券はある。
記憶は無い。
巨匠ジョンヒューストン✖︎アンジェリカヒューストン。
トニーヒューストンって誰?
前作、男と女の名誉🎬が好きでこれを選んだんだろうな。
有名な小説。それ以上のことは分かりません。笑
ジョンヒューストン 享年81
野際陽子、夏木陽介も。
年代の混ざった親戚友人のクリスマスのパーティの様子がただただ淡々と描かれる。地味ながらそれぞれの人となりがわかってくる。特に派手なハプニングは起こらないが、帰り際に階上から聴こえてくるピアノにアンジェリカ・ヒューストンが耳を傾ける。映画はそこから一気に、静かにみえてとても激しくこちらのエモーションを揺さぶってくる。詩の朗読や雪に重ねたナレーションはまた何度も何度も繰り返しみたくなると思う。
地味〜に心に染み込んでくる感じ。階段越しに偶然聞くあの歌がヤバい。年始にぴったりの映画でした。
自分の死を予見してたとしか思えない、ヒューストンの遺作めいた遺作。
spacegomi

spacegomiの感想・評価

4.3
ラストの雪をバックにしたナレーションがあまりにも心地よすぎて、エモすぎて、何度も繰り返し見ていた。詩の朗読、ピアノ演奏、ダンス、晩餐会、などドラマティックな出来事はさして起こらずたわいもない場面が続くが、その一つ一つがじつに繊細で哀愁たっぷりであり、作品全体に通底する死生観や無常観も浮き彫りとなる。老練、円熟っぷりに惚れ惚れする。
『雪が宇宙のなかをしんしんと降りそそぐのを、そして、すべての生者たちと死者たちの上に、最後のときが到来したかのように、しんしんと降りそそぐのを耳にしながら、彼の魂はゆっくりと意識を失っていった。』(ジェイムズ・ジョイス「ダブリンの人びと ― 死者たち」米本義孝 訳)

ジョン・ヒューストンは、酸素マスクをつけてまで撮らなければならなかった最後の監督作品に、なぜジェイムズ・ジョイスの「ザ・デッド」を選んだのでしょうか。映画の冒頭に<ダブリン 1904年>のテロップが流れます。日付は1月6日、カトリック教会暦の公現祭(顕現祭)の祝日になります。現在では1月2日~8日の主日に祝われています。
アーヴィング・シンガーは、このテロップによって、映画は「物語世界を最初から過去のものとしてノスタルジックに提示してしまう」と批判的に書いています(『ジョイスの罠 ― 「ダブリナーズ」に嵌る方法』金井嘉彦・吉川信編 言叢社2016年)
ヒューストンのノスタルジックな過去とは何でしょう?父親への想いなのでしょうか?(俳優であった父はアイルランドの出身です)自分が純粋なアイルランド人の気質を受け継いでいる者と意識しているからなのでしょうか?
「死者たち」は1907年イタリアのトリエステで書かれ、ダブリンを遠く離れ、異国の地で放浪生活をするジョイスには、愛と憎しみの祖国アイルランドにたいするひとつの解答であり、コスモポリタンとして生きるジョイスの決意とも宣言とも受けとれる作品です。それから数ヵ月後の1904年6月16日は、「ブルームの日」として、永遠にのこる一日になります。それはヒューストンにとっても永遠の一日となりました。
まもなく死が訪れます。これはアイルランドの亡霊たちへの追悼なのでしょうか?亡霊たち ― 「ザ・デッド」は「亡霊たちの物語(スタニスロース)」と言われています。「すでに死んだ者」「死に近づいている者」「生きているが死んでいると同然の者」たちの亡霊の物語です。また、おのれの死の物語です。「他者の死を思い出し弔うとき、人は必然的に、自らの死を予期し弔うことになる ― ノウリ・ガーナ(同書)」のだからです。またこれは、アンジェリカ・ヒューストン(主演)とトニー・ヒューストン(脚本)にたいする「遺言」という可能性もあります。ヒューストンの「ザ・デッド」は、ジョイスの作品にもまして、不思議な謎を秘めた作品です。
物語もなかばにさしかかったところで、原作には登場しないミスター・グレイスという人物が一遍の詩を朗読します。勿論、原作にはない場面です。<破られた誓い>というアイルランドの古い歌謡で、ゲール語の詩を、グレゴリー夫人が英訳したものです。
♪ あなたは私から 東を奪い去り 私から西を奪い去った/あなたは私の前にあるものと 私の背後にあるものを奪った/あなたは私から 月を奪い太陽を奪い去った/やがて 私の恐れは 恐怖となる あなたは私から 神さえ奪い去った♪
ここに、この映画の秘密を解く鍵がありそうです。「ザ・デッド」は神の慈悲と赦しを請うヒューストンの祈りであるのかもしれません。
『そうです、わたしたちは冷たく青白い影、/地上で愛した美女(ノーラ、グレタ、モリー)も勇者(ジョイス)も死にました。/けれども、たとえこうして死んでいても、/若い日に戯れた野原や花畑の/生の吐息は香ばしく、/運命の命ずるままに/ヘクラの雪の中で凍てりつく前に/しばしその香を味わい、もう一度生きていると思いたい!』<おお、汝、死せる者たち> アイルランド歌謡集
rienwagner

rienwagnerの感想・評価

5.0
アンジェリカヒューストンがオーリムの乙女に耳を傾ける姿は信じられないほど美しい。

また、むかし尊敬する先生が、女はそうではないが、男は選ばれる必要があると言っていたことを思い出した。

これ程の傑作を最後に遺してくれたことにただただ感謝するしかない。
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