オスロ、8月31日の作品情報・感想・評価

オスロ、8月31日2011年製作の映画)

Oslo, 31. august

製作国:

上映時間:95分

ジャンル:

3.9

「オスロ、8月31日」に投稿された感想・評価

このレビューはネタバレを含みます

★字幕:英語

☆街のロングショットから始まるモノローグ入りのオスロ(ノルウェー)のモンタージュ→"I remember…"→三輪車を漕ぐ子どもの横移動、乗り物のマッチカット→プール(終盤に登場)、「もう会わなくなった…」→倒壊する建物のショット→タイトル

☆音と映像のズレ(旧友との別れ際に交わす台詞が起点?)

☆元カノ(冒頭の病院個室の鏡に貼られた写真(?)、ノルウェーにはいない)(?)に連絡し続ける→最後まで連絡こず

☆水辺での自殺未遂→クリーンな状態から薬を打つラスト

☆病院から街へ移動するタクシー:トンネルを抜ける際の音楽の音量変化

☆旧友を訪ねる→プルーストの引用、子どもがいて理想的な生活に見えるが、全然そうじゃないことの述懐

☆雑誌の仕事の面接→空白の経歴を尋ねられ、受け入れられそうだが、その場を去る

☆喫茶店の会話を聞く、その人物達の生活を想起させるイメージのショット→『シルビアのいる街で』?→横移動の退出ショット(音)

☆バーで連絡を待つ女性の男友達に会う→罵られる

☆消化器を撒き散らす男が先行する自転車2人乗り(相米『セーラー服と機関銃』?)、神経科医志望の女性の後ろに乗る主人公

☆8月30日の朝→8月31日の朝までの時間軸

☆プールに入るよう誘われるが、入らない(その後のシーンの先行挿入)、入水自殺未遂の呼応あり?

☆『甘い生活』、逆『捜索者』のラストシーン(閉じられた空間)

☆実際にピアノ弾く→薬を打つ、のラストの長回し

☆ジブリ的に映画に出てきたシーンの人がいないショットの映画の時間軸を反転させた連なり→最初のホテルの窓で暗転

★主人公がジェシー・アイゼンバーグ似→『母の残像』?

★おっぱい:冒頭で1シーンあり
t

tの感想・評価

4.5
ヤク中束の間の休息。カフェで周りの会話断片に聞き耳立てたり、歩く人の人生を勝手に妄想したり、パーティで求められたパンチラインをうまく話せなかったりは全面的に共感。明け方男女ペア×2で自転車に乗りながら消火器を放つシーンは『少女暴行事件 赤い靴』だ。プール間際で白けて我に返る辺りリアリティがある。何より主人公の顔が良い。
chi

chiの感想・評価

-
飾らない雰囲気とオスロの街がぴったり合ってる。女の子がカフェで将来やりたいことを永遠並べて語ってるシーンが好き。
自転車乗って意味もなく消化器ぶっ放すのちょっとたのしそう🙃
そして大好きなテルマと同じ監督と知ってびっくりアンド納得。
スクリーンで観たい!!
フォントリアーよりいいw
夜にfucked upした人たちに捧げる。
全く不毛な夜をそして帰ることのないあの時間を。
消化器の完璧な使い方。
そして、最後に残る空白。
また、あの時間に戻ろうとしてしまう、一度死ぬこと捨てることを諦められない。
あの夜を思い出したいのだろう。
なんとも切ない。
主人公の悩む姿も歩く姿も
見飽きないから不思議だ
オスロの風景がそうさせているのか、
でも彼が出ている映画って、
ずっと彼の歩く姿を見せられてると思うんだ
NEMO

NEMOの感想・評価

-
オンスクリーンとオントラックの境界に関して覚え書き

ドライブシーンにおけるカセットテープやラジオから流れる音楽は、オンスクリーン(画面に映っている音、観客が見えている音)からオントラック(観客とキャラクターが聴く音)へ移り変わるギミックとして頻繁に使用される。
またこのギミックは、キャラクターが持つ日常的背景や世界観の裏付けとしても機能するため、多くの場合は脚本に詳細に記されている。
本作においてもいくつかのシークエンスにこの機能が見られたが、ひとつ特筆すべき点として、シーンの三次元的ノリづけとでも呼ぶべき技法が採用されている。

主人公が招かれた少し疎外感のあるホームパーティー。背景音として4-5曲の音楽(contemporary French Popsとでもいうか…)が流れているが、どれも冷めた感情との温度差を表現する。
シークエンスのラストカット。
離れたベッドルームへ一人で居る主人公。遠くからはこもった音楽(Acid house風)が聴こえる。
突然開け放たれるドア。緊張感と共に音楽のボリュームが上げられ、逃げるように去る主人公。ドライブシーンへと音楽はそのままでワンカット移行。

環境音は消え去り、観客は確かにオントラックとして音楽を聴くが、実際にはカーステレオから流れる曲としても捉えられる。
キャラクターの心境、日常的背景音、オンスクリーン。三次元的な意味の融合が監督の意図したところなのだろう。
さらにこのトラックは以降のシークエンスへの予備、掛留音としての役割も兼任しており、その後に連続するドラッギーな場面展開を見事に暗示させる。
fwhite

fwhiteの感想・評価

-

このレビューはネタバレを含みます

ノルウェー出身の映画監督ヨアキム・トリアーの長編第2作。日本ではトーキョーノーザンライツフェスティバル2015で公開された。アップリンク吉祥寺の「見逃した映画特集2019」にて鑑賞。
麻薬依存の治療のため施設に入っていたアンデシュ。仕事の面接のために外出許可を得た彼は、オスロの街を回りながら旧友らを訪ねる。
アンデシュの24時間を静かに追った作品(音楽も劇中曲以外は使用されていなかったはず…)。麻薬に人生を滅ぼされた人間の苦悩の物語と片付けてしまうにはあまりに彩り豊かで味わい深い。不安定過ぎる存在意義を探し求める旅であり、傷つけた恋人や家族と向き合う挑戦であり、はたまた(面接やパーティのシーンでは)偶発的に他者の心に刺激を与えたり、癒したり…まさにオスロという街の中に彼が息衝いた時間が刻まれている。
冒頭に流れる、フィルム撮影されたオスロの街並を繋ぎ合わせた映像と、街と自身の思い出を語る人々の声。全てが終わった後、映画はアンデシュが辿った旅路の風景を遡るように映し出していく。それがたとえ無人の風景であっても、街が全てを見聞きしていたように、私たちはそのひとつひとつにドラマがあったことを知っている。
カフェでアンデシュが周囲の人々の会話を部分的にキャッチしていくシークエンスが素晴らしい。やがて外を歩く若い男性や買い物帰りの女性をカメラが追い、最終的に物憂げな佇まいに行き着く。他者の人生をつまみ食いする細やかな歓びと、その奥に広がる決して理解されない心。
トーマスと妻の前で、アンデシュは施設で経験したロールプレイング型リハビリについて語る。それは、別の患者がトーマスの役になって、アンデシュにドラッグを勧めるというもの。さらに、トーマスは妻と「バトルフィールド」をプレイした話を語るが、後にヘロインの売人の部屋で再び「バトルフィールド」が登場する。トーマスはアンデシュを薬物中毒の道へ引き込み、自身はそれなりの幸せを掴んでしまったということなのだろうか(それが申し訳なくて妻との不仲を語っているようにも取れる)。
映画の冒頭でアンデシュは入水自殺を図って失敗する。終盤で共に飲み明かした陽気な3人が、こぞってプールへと入っていく中、アンデシュは一人立ち去る。偶然かもしれないが、水のイメージが重ねられているように見える。
原作はピエール・ドリュ=ラ=ロシェルが1931年に発表した小説「ゆらめく炎(Will O' the Wisp)」で、ルイ・マルが1963年に『鬼火』として映画化している。
kyoko

kyokoの感想・評価

4.0
気づいたらずいぶんと遠いところに来て戻れなくなっていた。かつての友は空虚な言葉を繰り返すばかり、街中に氾濫する会話は自分などまるで存在しないかのようにとりとめがなく、刹那の享楽を傍らに置いたまま、彼はゆっくり静かに孤独の沼に沈んでゆく。

彼が話したいと願った人がみな現れてくれていたら、せめて一度でも電話がつながっていたら、何かが違っていただろうか。

アンデルシュ・ダニエルセン・リーの柔らかな笑みが苦しい。

年の瀬に観るべきではなかったかな。

このレビューはネタバレを含みます

薬物依存症の治療が終了する2週間前に外出許可が下りた主人公男性。

薬物依存症であったという事実と自分の年齢(30代)から自分にはもう将来はないと思っている。

久々に会う友人と自分の人生を比較し、仕事の面接を受けて社会にはもう受け入れられない存在であると感じ、さらに落ち込んでいく。

カフェに一人で座り、周りの人の話を聴いて、微笑む様子が孤独を感じさせる。

学生が理想の人生のレポートを読み上げるシーンがあるが、彼の人生においてもう何一つとして成し遂げられようがないと強調をしているようで辛くなる。

パーティーで出会った女性がプールに入り、一緒に泳ぎましょうと誘われるが、微笑み返すだけ。そのときの目は上の空でどこか遠くに行ってしまっているよう。

自分には将来性がない、居場所がないということを改めて感じてしまったことで、最後あのような結末になったんだと思う。

自分の人生に対する失望感から主人公が静かに落ち込んでいく様がとてもリアルだったと思う。

思ったより暗い映画で少し辛かった。
mingo

mingoの感想・評価

4.4
傑作「サマーフィーリング」が記憶に新しいアンデルシュダニエルセンリーが救われない主人公なだけにかなり身構えたが、もうゴリゴリに打ちのめされた。。。前者を「陽」とすると、圧倒的に「隠」の映画。ラースフォントリアーの甥っこヨアキム、才能途轍もない。トリアー以上の鬱映画。絵作り、台詞回し、モチーフ、そして場所における魅せ方の最善、何よりシンプルながらにズシっとくる脚本が素晴らしい。ルイマルの鬼火と原作は一緒らしいが鬼火以上の救われなさに幸福度ランキングフィンランドデンマークに次いで3位のノルウェー首都オスロから東京へお届けする絶望映画の大傑作と認定するしかない。34歳、愛する人とは連絡が取れない、自分と全く同じ状態の主人公に同情。タバコの煙だけが虚しく空へ舞う。主人公とは正反対の平和な家庭を築く友人、一過性のどんちゃん騒ぎに身に委ねそうになる主人公、そして抜け出したはずの麻薬にまた手を染めてしまい向かえるラストは。救われないはずなのに、切り取られたオスロの街の風景と主人公の眼差しが忘れられない。記憶に残る北欧映画の一本。2010年代のベスト鬱映画
>|