Noise ノイズの作品情報・感想・評価

Noise ノイズ2018年製作の映画)

上映日:2019年03月01日

製作国:

上映時間:115分

3.7

あらすじ

「Noise ノイズ」に投稿された感想・評価

ひかり

ひかりの感想・評価

5.0
全てが本物だった。
物凄い映画だ。
日本でももっとこういう映画が増えてほしい。

電話のシーンの会話までが、今まで見た事ない生々しさで衝撃だった。

本当にすごい。
全ての登場人物が完全に役者さんと役が溶けきっていて、写っている全てが本物だった。
秋葉原殺傷事件と映画のはざまに
2021年1月3日に日本でレビュー済み
2008年6月8日の昼時。一台の2tトラックが赤信号を無視して交差点に突っ込み、横断中の歩行者を次々と跳ね飛ばし、対向車線のタクシーに突っ込んで停止した。誰もが交通事故だと思った。しかし、トラックを運転していた25歳の男は、路上に降り立つと救護に集まった歩行者や警察官を次々とナイフで刺した。7人が死亡し10人が重軽傷を負った秋葉原無差別殺傷事件の始まりだった。

そのニュース映像は瞬く間に全国に配信された。まだ十代だった松本優作はその映像に見入っていた。死にゆく人々とその救護をする人々。殺す側と殺される側が、秋葉原という街で交錯する阿鼻叫喚を見つめながら、彼が思い出していたのは親友の自殺だった。まだ15歳という若さで逝ってしまった親友と、見ず知らずの人々の生き死にの間際の曖昧な線引きとが松本優作の中でなぜか響き合い奇妙な音色を奏でた。

なぜ、25歳の加藤智大は多くの人を殺さなければならなかったのか。なぜ15歳のあの日、親友は自分自身を殺さなければならなかったのか。殺す側でも殺される側でもかまわない。自分がそのどちらかに立っていなかった理由が松本優作にははっきりとは分からなかったのではないだろうか。いや、松本優作だけではない。いま、この国に生きていて、あのような事件の当事者に決してならない、と言い切れる人間がいったい何人いるだろうか。なぜ生きているのか。なぜ生きなければならないのか。誰もが明確な答えを持たない時代に立っている。

映画『Noise』は秋葉原無差別殺傷事件を克明に描いた作品ではない。むしろ、それはテレビのニュースやセリフで数回触れられるだけに止められている。しかし、この作品の真ん中に置かれている秋葉原という街は、現代を生きる人々の心の真ん中にぽっかりとあいた空洞のようだ。それは絶望と呼ばれたり希望と呼ばれたりしながら、驚くほど大きく口を開けたかと思うと、息ができないくらいに堅く口を閉ざしていたりする空洞だ。

その空洞は現代を生きるすべての人々の心の中にありながら、油断すると外側から一人残らず引きずり込もうと手ぐすねを引いている。25歳の加藤智大は、そんな空洞に首根っこをつかまれ、それを希望と思い込み積極的に加担した者に過ぎない。映画『Noise』の監督、松本優作は用心深く事件を取り込みながら、決して秋葉原という空洞に取り込まれないように演出を仕掛けていく。その手腕こそが、この作品の見るべき点であり、松本優作という次世代の監督の特長なのだと言えるだろう。

空洞の淵を歩くことは、現代を意識的に生きることだが、淵を意識すればするほど、人の生き様は不安定になり、その不安定さを描くときに、松本優作の演出は冴えを見せる。この作品の脚本で最も優れているのは、主人公の「美沙」を地下アイドルでありながらJKリフレ店で働いている、という設定にしたことだろう。

母を事件で亡くした美沙は地下アイドルとして活動しながら、「アイドルをしていれば、母に会えるかもしれない」という真っ直ぐで歪んだ気持ちを持ち続けている。そんな彼女に、いわゆる一般的な意味での希望はない。地下アイドルにしがみついていても、JKリフレでアルバイトをしていても、身体に纏わり付くのはどうしようもない嫌悪だけだ。

それでも、アイドルとしての名前を呼ばれることで美沙は生きている。オタクと呼ばれる男たちは、その名前を必死で叫ぶことで自分の存在をかろうじて認められ生きている。そして、彼らが「どんな世界にも笑顔があり、救いがあり、希望があるんだ」と思い込もうとすることで、世界の崩壊へのスピードは加速していく。実際の世界はそんなオタクたちの叫び声とはまったく無関係の正反対のベクトルへと動いているからだ。そんな黙示録のようなものを、映画『Noise』は僕たちに突きつけているのかもしれない。
私も昔月2位で東京で遊んでた。
秋葉原で待ち合わせてぐだぐだすることが多かった。
出てくる金髪の子が友達と重なって、なんか複雑な気持ちになってしまった。
今でも定期的に起きる通り魔事件
命を奪う者と奪われた者と残された者
この映画には生き辛い人ばかり出てくる。
実際問題、加害者が叩かれるのは仕方のない事ではあると思う。
でもそのz
こういう世の中が悪いんだと言ったところで社会の仕組みが簡単に変わるようにも思えない。
家庭問題だって片親や金銭面、自分の精神を病むことだってある。
全部クリーンに、なんて出来ない事は分かってるからこそ世知辛い。
日本人特有の問題でもなく、現代社会においての普通という枠に当て嵌まらない人間の息苦しさを感じた。
のうのうと何も考えずに生きられたらいいのに。
役割的に競合する登場人物が何組か、整理しようと思えば出来るそれをしない上で以て群像劇として見せようという事は、詰まり、物語を語らないという試みだと捉えまして。

結果。

きみらそれ20年前から同じハナシしてるな、という内容のエピソードの羅列を散漫な形で浴びせられた、と感じまして。

それで緊張感なんか生み出せる訳ないじゃないですか、と思ってしまいまして。

感想はただこの一言、詰まんね、と。
QTaka

QTakaの感想・評価

2.9
舞台が秋葉原。これがこの映画の全てかもしれない。
そこは、人波と喧騒の渦巻く華やかさと、深い闇の混在する街。
溺れるものも居れば、はい上がって生き延びるものも居る。
.
松本優作監督の2作『Noise』と『日本製造/メイド・イン・ジャパン』を見た。
その『Noise』。
秋葉原という、まさにカオスの街が舞台。
全てが有って、全てが間違っているかもしれない場所。
何もかもがそこに有って、何も得られない場所。
でも、そこにみんなが集まってくる。
そこで、みんなが生きようとしている。
だから、そこを描く事にしたのだろう。
.
三人の登場人物
彼らが秋葉原に求めていたのは、生きる場所、生きる希望。
映画は、その彼らの日常を追う。
その日常は、喧騒の中にある。
その喧騒は、彼らにとってなんの意味もない。
その無意味な日常。
その不毛な毎日。
聞こえているのは、ノイズ。
その音が、ノイズが止んだ時。
本当に生きている実感を手にすることができるのだろう。
.
喧騒の中を、這うように、泳ぐように、毎日を生きている。
そんな姿に、自らの姿を見たような気がする。
自分は、どんな日常を生きているのだろう?
.
秋葉の風景に、かつてそこで仕事をしていた頃を思い返してみようしたが、面影も無かった。
電気街だった秋葉の姿は、もう昔話でしかない。
そこにある喧騒も、かつてのものとは全然違う。
でも、そこに秋葉という場所の特殊性がそこにある。
あっという間に変化して、あっという間に多くを飲み込む。
飲み込まれた者には、居心地の良い場所になっていくのかもしれない。
でも、外から見ると、それはやはり異様な場所でしかない。
秋葉原という特異な現象をこのように舞台にしてしまう松本監督の視点はとても興味深い。
sn

snの感想・評価

3.7
気になってた作品やっと鑑賞できた。元から難しい作品だとは思って覚悟はしていたが...かなり読み手に依存する作品だと思った。ラストまでの長いトンネルを観るような映画でその道中は良かったが、トンネルを我慢したからこそのご褒美的なものが足りなかったと思うのは不粋なのだろうか。
ただ劇的な結末がないからこそ普遍的なストーリーとして捉えられ、秋葉原という街の不安定さが身近に感じられた。
松本監督の舞台挨拶付き「Noise」鑑賞。観終わってドキドキが止まらない。どうしようもなく塞がっていく道、受話器から聞こえる「あなたにも良いことはあります」という声。私の人生にシンクロしないけれど、なぜか共感するところもある。映画の中で生きている人が愛おしかった。

都内で観損ねてションボリしていたら横浜まで南下してきた。
ヽ( ´¬`)ノ
勇んで行ってきました!

最近のアイドルは距離が近いんだね。
手が届いてしまうモノをアイドルと呼んでいいんだろうかね?
                  (●´艸`)

サランラップ越しのチュウは実によく考えられたサービスですな。
          '`,、('∀`) '`,、
感触なんてほぼ本番でしょうね。
だが
よく温泉旅館などの宴会で芸者さんとかコンパニオンとさ、
ポッキー両側から齧って、唇に触れる遊び(正式名称は知らず)するのは、
一瞬、微かに触れたのでゎ!?
と思えるからで
その辺のワビサビがこの手のお遊びのスパイスであろうに・・・。
ラップでは何やらありがたみも薄い。


知る限り、
現代日本はかつてのインドよろしく、とても細かく分かれた階級社会になった
実に曖昧な基準の上に成り立つカースト制度である。

アイドルだけでも、もの凄い数の階級があってさ、
私の知り合いは
●売れないアイドル
 (アイドルなんだけど売れないのか?”売れないアイドル”という職業があるのか?)
●自称アイドル
 これがこの世で最も多い人種。この世界にはなんと「自称」な皆さんが多いことか・・・?中にはアイドルという一般的な定義にもそぐわない者もいる。
●多くの人は知らないが、一部で大変活躍しているアイドル。
 この職業の方々は、本来の使命を全うしている方たち。

と、この3階級に属する人々である。

それぞれ、
どこがゴールなのか?
着地点は見えているのか知りませんが、皆さん頑張ってください。
何をどう頑張るのかは答えられませんがね。

そういえば秋葉原通り魔事件当日に関西から秋葉原へ来ていた知人は
何をしてるだろう?
元気ですか?
遠巻きにでもあの場に居て、その後の考え方変わったのかな?

本作の監督はあの事件を通し、何を見たのだろう?
答えを知りたくて足を運んだが、私はわからなかった。








20019.6.21   横浜シネマ ジャック&ベティ
yuiho

yuihoの感想・評価

4.5
自分が足を踏み入れそうになった世界を見た
頭が痛くなる
ヲタクの私はつらくなっちゃった

上映後に松本監督と田中俊介のトークショー
sci

sciの感想・評価

4.0
掲示板のグループで馬鹿にされたことを恨み、秋葉原の交差点で車を通行人に体当たりさせナイフで切りつけた秋葉原無差別殺人事件。加藤智大の生い立ちやネットの恨みゆえ起こるかもしれない出来事を象徴しており衝撃を受けた。
監督は秋葉原無差別殺人事件と同時期の友人の自殺をきっかけに映画でしか自分の思いを表現できないと8年かけて完成させた作品という。その執念を感じた。

一時期もてはやされた地下アイドルも、メイド喫茶も消費されるだけの存在となり誰もがなれるものに。そこから一段上に這い上がれるか、というのがテーマのひとつになっているが美沙もJKリフレの店長もすぐ上にいる人に踏みつけられていて、この国が実は階級社会になっていることを見せつける。

殺人事件で母を奪われた美沙がなぜ秋葉原で働きたかった思いがぼんやりしていることとか、3組の親子の関係が有機的に働かないところに話の弱さがあり、悲惨な状況にいる人たちを描いているだけになりかねないが、都会ではつながりなんてないのかも。

それでも事件現場で美沙と健が出会うこと、ラストの食事の場面など本当に微かだが希望を感じた。

どん底にいる登場人物たちに光を当てているが出てくる女の子たちが可愛いので、良いのか悪いのかワンクッションになっているな、と。そして一番愛情を受けたかったであろう健を演じる鈴木宏侑が醸し出す哀しさが心に残る。
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