少女は夜明けに夢をみる/ 夜明けの夢の作品情報・感想・評価

少女は夜明けに夢をみる/ 夜明けの夢2016年製作の映画)

Starless Dreams

上映日:2019年11月02日

製作国:

上映時間:76分

3.9

あらすじ

「少女は夜明けに夢をみる/ 夜明けの夢」に投稿された感想・評価

このレビューはネタバレを含みます

高い堀に囲まれたイランの少女更生施設。強盗、殺人、薬物、売春といった罪で捕らえられた少女たち。貧困や虐待を生き抜く同志として共に笑い、泣く少女たちの心の嗚咽が問いかける祈りのようなドキュメンタリー。

ということで、どんな作品かとUPLINKへ観に行ったのだが、どうもドキュメンタリーはあまり性に合わないらしく前半気づいたらちょっと寝てしまっていた。更生施設には、罪の重さ関係なく一緒の場所で同じ時間を過ごすことになる。不思議といじめは起きないらしい。不思議な絆で彼女たちは結ばれているのかもしれない。

最初更生施設にきた少女は、夢は何かと聞かれたときに「死ぬこと」と答えていたのに、更生施設出るときには「生きること」といっていたのが衝撃的だった。日本はよほど平和な国で、彼女たちのように必死に生きている人たちはどれだけいるのだろうか。人の命の価値の重さみたいなものを考えさせられた。それと、男尊女卑の問題もなかなか根深い。
momo

momoの感想・評価

4.1
イランのドキュメンタリーだけど、イランに限った話じゃない、日本も含め世界中の子どもたちが直面してる問題だと思った。
犯した犯罪の背景はどの子もやむを得ない選択であったり、家庭環境が生んでしまった習慣であったりして、虚しかった。現実の厳しさ、解決の難しさをただただ思い知らされた。
イランのドキュメンタリー。。
イランで…こんなドキュメンタリー撮ることできるんだね。イラン刑務所での死刑執行は夜明けに行われるらしい。だから…収監されている彼女たちが 心落ち着いて眠ることができるのは「朝」らしい。。(彼女たちは死刑囚ではないけれど)
知らない世界を知ること…ドキュメンタリーのすべて。。
kinalien

kinalienの感想・評価

3.0
イラン 映画じゃなくても描けるでしょうと思った。
イランの検閲を掻い潜って写した作品として世界的な舞台で取り上げられるものは結局世界中至る所に共通するテーマのものばかりだよなー。
作り込まれたドキュメンタリー“風”な感じもそんなに好きじゃないかな。
KENT

KENTの感想・評価

4.1

このレビューはネタバレを含みます

ドキュメンタリー2作品目
ほとんど同じタイミングで見た作品とは対称的に、静かな作品だった。
ま

まの感想・評価

-
2020/3/8 10:10〜
ユジク阿佐ヶ谷

生まれてくる赤ちゃんが、女だったら殺す。男なら殺す。って当たり前のように言っていた。
みんな瞳がすごく綺麗なの
本当にみんな目が綺麗
人種の特徴によるものも大きいかもと思うけど本当にみんな瞳のハイライトが強く見えて綺麗

なんで君はここにいるの?育児が大変過ぎて
なんで育児が大変なの?旦那がいないから
なんで旦那がいないの?入院してるから
なんで入院してるの?事故にあったから
なんで事故にあったの?飲酒運転
😨
前提条件が今の自分とあまりにも違すぎてどこからなにを言えばいいのか全く分からない
でももっと見たい 見続けても分からないだろうけどもっと見たいと思った とても美しいし
エイ

エイの感想・評価

-
入っては出ていく連続の中で恣意的に視点をとっているだけで、現実には起承転結などというものはないが、その視点の取り方についても自覚的なのが良かった
いや…ほんと…これは…
この厳しい現実を、映画として消費してしまってることに罪悪感を受ける。

物語と登場人物がいる以上、それがフィクションであれノンフィクションであれ、それらは確かに存在していて不幸も絶望も幸福とか全部リアルだと思ってるけど。

この映画の結論のなさというか、解決のしようのなさというか、そこがすごく現実的でしんどいし、イランにおける今まさに現実ってのも、やっぱりしんどい。

これはドキュメンタリーで、私と世界は繋がってて、何かしようと思えば何かできるかもしれないのに、何もできないなあ私は。親を求める子供心は、世界共通で、私もよく分かるのにね。
Chimpsha

Chimpshaの感想・評価

3.9
登場人物がカメラを意識し、カメラに向かって演技しながら、そのことによって演技の向こうに現実が透けて映しだされる。カメラの外側から語りかけられる監督の口調は穏やかだが、若年女性の厚生施設に異物として──唯一の男性として、社会的に安定した層として──入り込んでいるという情報によって、鑑賞者は常に緊張した関係を映画から読み取り続けることになる。その意味でこれはイランの女性たち、若年女性たちの抑圧された状況を人権問題として訴える映画であるが故に、若年女性ではない監督が、イランから遠く離れた私たちが異物として問題に関わることの限界を映す映画でもあり、しかもそのような二重性を映画に見ること自体がテーマである女性たちの問題を曖昧にしてしまうという意味で、二重性自体もまた二重に問題になってしまうだろうし、このレビュー自体もどうしようもない異物としてここに綴られることになってしまう。隠すことのできない異物感。しかし、カメラとして遍在するこの異物感は映画において、登場人物たちの演技を、演技ではあるが魂のこもった嘘偽りない演技を引き出していく。
不安な面持ちで壁の前に立つ演技、パペットを愛する男の名で呼ぶ演技、赤ちゃんに笑顔で話しかける演技、歌う演技、泣く演技、インタビューを受ける演技、インタビューを受ける演技に合わせてインタビューをする演技。登場人物たちは日常に溢れているささやかな演技を用いつつ、ありふれてはいるが解決することが極めて困難な社会問題──貧困、性的虐待、薬物依存などを被害者として、もしくは被害者故に加害者になった者として、ベッドに腰掛けながら(もしくはテーブルの上に腰掛け雪だるまを作りながら)語る。そして登場人物たちはそれぞれのありふれた物語によって共感しあい、傷を癒やしながら、あるいは癒されることのない傷を抱えながら再び家族と社会から成る外のコミュニティへと旅立っていく。果たして登場人物たちはこのようなささやかな演技を厚生施設のフェンスの外側でも、映画の外でも続けていくことができるのだろうか? まるで分からない。生まれてくる子供が男の子か女の子か分からないように、だ。女の子だったら殺す。あるいは男の子だったら殺す。
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