自由を我等にの作品情報・感想・評価

自由を我等に1931年製作の映画)

A NOUS LA LIBERTE

製作国:

上映時間:86分

ジャンル:

3.7

「自由を我等に」に投稿された感想・評価

KAYUPAN

KAYUPANの感想・評価

4.0
脱獄犯が資本家になって過去をゆすられる。金と機械に翻弄される人間を喜劇的に描き、自由と友情をミュージカルの手法で美化している。「労働を機械に任せる」というような、成熟した資本主義社会が共産主義社会へと繋がるユートピアを示唆する表現もあり、ドタバタコメディの様相を持ちながらも風刺的な作品。
いろいろな自由が「解放」という形で描かれる。

刑務所に閉じ込められることからの解放、機械に従わせられることからの解放、地位や名誉に縛られることからの解放、上流社会の複雑な人間関係からの解放、金儲けの欲望からの解放……

自由とはいったい何なんだろう。どういう状態のことを言うのだろう。
抑圧があるから自由が存在するのだろうか?
すごく考えさせられる。
iori

ioriの感想・評価

4.5
“働けば自由になれる”
何度観ても1931年にこれは凄い
笑いあり涙あり、
風刺も現実の厳しさも全部乗せ!
こーれ

こーれの感想・評価

3.5
チャップリン映画を連想させる演出、基本無音映画だけどときどきセリフが入ったりミュージカルになったり、、、面白い構成でした。

ストーリーは男の友情と工業化への皮肉を描いています。つっこみどころは多いですが楽しく見れました。題名でもある自由を我等に!がセリフとしてや歌の歌詞として何度も出てきます。どんな人も自由ではない、と思わせられます。
取り敢えずって感じのテンションでメインテーマ歌いまくり。無声映画を思わせる台詞の少なさにより歌の陽気さが際立つ。懐メロ歌ったら金も地位もどうでもよくなってしまたー、という最高にごきげんなフィクション。
撮影所の無機質なセット好きだ。
そりゃ誰だって「自由」になりたいと絶えず願ってるし、この映画が作られた時代(戦前)からすでに人間が人間ではなく労働力=モノみたいに扱われてきた事実がちゃんと証明されてる。

当時はブルジョワ対労働者、あるいは無産階級といった対立軸が明確だったが、現代社会に於いてはそれがクッキリ見えにくくなっており(状況は依然として当時のままだが)いま自由を我等に!と叫ぶ事自体がなんだか錯誤的に感じられてしまうのも確かである。

むしろ「いまが楽しければそれでいいじゃない?」といったライトな感覚の方が現代的なのかも知れないが、私としては現代に生きていてちっとも楽しくないのでやはりこの映画のように何にも縛られず人生を謳歌したいと思うのである。

この映画からヒントを得たチャップリンの「モダン・タイムス」同様、人生の指南書のような作品であります。奥が深い。
kiyonaga

kiyonagaの感想・評価

4.2
有産階級と無産階級が描く友情劇。カネのことしか頭にない無機質な中産階級へのイロニカルな描写が何とも言えぬ感慨をもたらした。
アヌ、アヌ、ラ、リベルテ!
二兵

二兵の感想・評価

3.8
ルネ・クレール監督作。

大量生産の時代に生きる事の窮屈さ、生き辛さを皮肉り『自由』を得ようとする人々を描いた作品。

トーキーではありますが、役者の演技や演出はサイレントのコメディー映画のそれ。人々がいきなり歌い出したりするのには面食らいましたが、そういえば『巴里の屋根の下』の監督でもあったな。

そして散々言われていますが、ベルトコンベアーの流れ作業の描写やドタバタ劇、ラストの野原の場面など、チャップリンの『モダン・タイムス』にパクられたのではないかと言われる作品。Wikipedia見たら、実際に訴訟騒ぎになってるんですね。ただ、個人的にチャップリンの方が映画としては面白かったような…。というかパッケージの左のルイの姿、気のせいかチャップリンにソックリだな…。

寧ろ、今作は(当時でいう)近未来的な世界観、オートメーション化された工場の描写などが、独特の雰囲気があるし、レトロフューチャー的表現として面白いなと思いました。何人か指摘されていますが、ジャック・タチの『プレイタイム』なども彷彿とさせます。

それにしても、最後『機械に仕事をさせる事ができた、自分たちは自由だ!』と歌う人々の姿は、当時としてはハッピーエンドだったのかもしれませんが、今観ると皮肉にしか見えない…。
三四郎

三四郎の感想・評価

3.2
さあ自由を我らに!
閉じ込められていたり、縛られていたり、制限があったり、それよりも外に出て太陽を浴びて青空の下で自由に生きよう!平凡な日常生活こそが「自由」なのだ。
しかしこの映画は単純ではない。人によっては解釈が違うのではなかろうか。
私は、この映画から、貧富の差関係なく、労働者であろうと経営者であろうと、有閑階級であろうと、成金の妻であろうと、人々はそれぞれにそれぞれの事情で束縛されているのだというメッセージを受け取った。それでいて、自由に思いついたままに何も考えず行動しているエミールを「よし」としているわけではない。彼は自由なあまり他人に迷惑をかけ、秩序を乱し、風船のようで、本人が気づかぬうちに周りをかき回しているのである。しかし、それでも「自由を我らに」と叫び、ある意味近代文明へのイロニーと「人間あるがままの姿が一番ではないか!?」と訴えているように思える。
軍隊のような、機械のような集団行動と流れ作業、そして映画前半の
「働くことは人間の義務である 働くことで初めて自由が手に入れられる」
という歌から映画後半は
「機械に全てを任せておけるなら ずっと遊んでいようじゃないか 青空の下で幸せな運命をかみしめて そして楽しく歌を歌おう この無限の喜びを心から楽しもう 始めるのはとても簡単なこと 身体中から元気が溢れ出してくるだろう 優しい鼓動を感じてみよう」
という歌へ。
これが近代文明へのイロニーだと私が思うところである。
産業革命と共に「近代」が幕を開け、
「働くことは人間の義務である 働くことで初めて自由が手に入れられる」
と信じられていた。しかし、近代文明がさらに発達すると「機械に全てを任せておけるなら ずっと遊んでいようじゃないか」となる。
人間は近代以前に戻るということではなかろうか。
紳士諸君が飛ぶ御札を追いかけ回るのは滑稽であり哀れだ。

しかし、クレール監督作品は、ほんとにセリフが少ない。最少限度の必要な言葉だけが使われ、あとは追いかけっこなどサイレント映画を見ているようだ。
No.52[ジャック・タチと「モダン・タイムス」の原点] 59点

「モダン・タイムス」が本作品の完全なパクリとして訴えられたのも分かるくらいそのものである。裁判はクレールの"チャップリンが真似してくれるなんて光栄じゃないか"という一言によって公開差し止め手前でチャップリンが勝訴しているが、現在ではそうもいかないだろう。一応違いと言えばチャップリンが"機械化社会への批判"を扱ったのに対して、本作品は"機械化社会の生き難さ"を描いている。そのためメッセージは若干ヌルい。否、ヌルい。

冒頭、なんでもないシーンで突然歌い始めたせいで胸を刺された様な気分になった。「ル・ミリオン」もそれが生理的に無理だったんだよね。ミュージカルシーン以外はサイレント的なスラップスティックコメディに徹している。ジャック・タチも大いに参考にしたことだろう。しかし、コメディシーンも一辺倒で悲しい。先に「モダン・タイムス」を見たせいもあるんだろう。チャップリンめ、パクリの方が優秀だわ。

工場の外にレコードプレイヤーを天日干しするシーンは意味不明すぎて笑った。でも、どうしてもチャップリンやタチなんかと比べてしまうし、比べるとやっぱり微妙。

ちなみに、タチが「モダン・タイムス」を作ったら本作品みたいになるんじゃないかと思ったけど「ぼくの伯父さん」という大傑作を作ってたわ。あのソーセージみたいなゴムホースを大量生産しちゃうとことか大好きなんだよね。
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