アイダよ、何処へ?のネタバレレビュー・内容・結末

「アイダよ、何処へ?」に投稿されたネタバレ・内容・結末

衝撃的。無力感と絶望感。アイダの行動を「自己中」と少しでも感じてしまうのは、平和な環境から第3者目線で見ているからだろう。あの場にいて何ができるだろうか。

月並みな感想だけど「戦争はダメだ」と痛感させられる。
この悲惨な状況の中で新たな命が生まれる瞬間に中盤ながら涙が流れた。
ひどい虐殺は第二次世界大戦で
終わったものだと思っていたけれど。

自分が生まれたころ、
つい最近に起こっていたことに驚き。

東ヨーロッパに行った時は、
街や人の雰囲気から、何だかどんよりした歴史があるんだろうなと感じて、知りたい気もしつつ踏み込んでは行けない雰囲気を感じていて。
この映画でその背景を知る機会になりました。これは知らなきゃいけない。
凄まじい映画を観てしまった。
後で知ったけど、賞取りまくったのも納得。サラエボの花の監督やったんや!!

冒頭のシーンから漂う緊迫感。
東部ボスニアの町スレブレニツァ。
無線の声
「安全地帯ではなかったのか」
「セルビア人への空爆は必ず行われるのか」
市民を守るために必死に詰め寄る市長と、翌日は国連軍が空爆してくれるから大丈夫だとたかを括り、自分はただのピアニストだと無責任な国連軍(オランダ人部隊)の大佐。そして間で通訳するアイダ。
翌日、国連軍の空爆は無く、将軍に侵攻され、市長は一瞬で殺された。

アイダの目線からボスニア紛争(1992〜1995戦後ヨーロッパ最悪の紛争20万人の死者、200万人以上の難民)の現場がリアルに描かれていて、ドキュメンタリーみたいに臨場感があって観ているこちらもハラハラする。
アイダが家族を探しに国連施設の外へ出て高所に登った時に、画面を覆い尽くす難民の数の多さに息を飲んだ。20,000人以上のボシャニク人(イスラム教徒)
いつセルビア人勢力が来るか分からない緊迫感。こんな時、国連軍は中には入れてくれないんだ。中にいてもトイレは行けないし、食料もない過酷な状況。
教え子や隣人が敵となる現実。

アイダは国連職員通訳なので、身柄は守られる。でも家族は難民扱いされて守られない。
私もアイダの立場なら、愛する家族を守るために同じ行動を取ると思う。
守らなければ、殺されるのだ。
他の人たちは殺されるから、自分の家族も同じように殺されなければならないのか?
2人が殺されたら他の2人の市民が助かるとかそんな話しじゃないだろう。
皆んなは救えない。
このような無法地帯、混乱状況の中で、国際正義を待っていられない。頼れるものは自分だけであり、状況に甘んじて守れなければ死を意味する。後からいくら嘆いても家族は帰ってこないのだ。
実際に「必ず助かる。保証する」と発言した大佐。その直後、夫も息子たちも殺された。小学校の体育館で。誰もことの責任は取ってくれないのだ。

スレブレニツァの虐殺
1995年、8000人のボシャニク人が殺された。旧ユーゴ国際戦犯法廷でジェノサイドと認定された。
国連軍との交渉‥移送と騙した処刑‥
虐殺を隠すために遺体の隠蔽工作まで行われた。

規則だからと、夫しか助けようとしない大佐。たった2人も助けようとしない。
規則規則と言いながらも、規則を背いて武器を持った兵士を国連施設内に入れたのはなぜか。
杉原千畝の話もそうだし、ホテルルワンダもそうだし、人民の命を救うという使命の前に、どんな規則が優先されるのだろう。
現場のトップの脇の甘さに加え、国連本部から何の指示もないことに対するオランダ兵幹部の苛立ちも描かれていた。
ホテルルワンダのときも国連保護軍は本当に無力だった。
組織的な欠陥もあるけれど、何もできないから何もしない、で良いのだろうか。
オランダの裁判所はオランダ政府にも責任を認め、賠償金の支払いを命じた。この事件での対応を契機に内閣は総辞職に追い込まれたそう。オランダ国民の意識の高さがすごい。

ダンスを楽しむアイダと側で見守る夫。
ドクターに嬉しそうに息子たちの話しをするアイダの笑顔。
学校の先生に戻りたいわ。本当に楽しくて幸せだった。
望んだのはそんなささやかな日常だった。

最後、小学校へ教師として戻ったアイダの目にセルビア人武装勢力の子供が映っていた。アイダの気持ちを思うと、私はあのシーンに希望を見出せなかった。アイダの苦しみはずっと続く。傷なんて癒えない。
でも、子供たちの教育を通して社会を変えていこうというアイダの決意、覚悟は伝わってきた。やはり幼少期からの教育が肝心なのだ。

記録を残すということ
歴史専門家のアイダの夫は3年半の紛争の記録を残したい(セルビア人武装勢力にみつかると危ないからとアイダに燃やされたけど)
記録を残すという行為自体が、危険な行為なのだ。知られたくないものたちにとってはそれだけ怖い。すぐには何もできなくても、知るということだけでもパワーを持つのだ。ペンは剣よりも強し
書いてどうなるのか?何が変わるのか?
現状は変わらないのに。直視したくないのに。
裁判でもメモや日記が証拠になる。
記録には伝えることと同時に、証拠にもなる。
セルビア系の歴史教科書には虐殺の記述は一切触れられていない。
映画も記録だ。
監督が世界中の人に忘れて欲しくないこと、伝えたいことがある。
もう2度と起きてほしくないから。
人の思いやり、判断、組織の欠陥
一体どこに過ちがあり、どこをどうすれば良かったのか。

今年6月に、ハーグ国際刑事裁判所でムラディッチ将軍の終身刑が確定した。
ボスニア政府にはスレブレニツァでの虐殺をいまだに否定する右派の政治家が多いらしい。集団虐殺に当たるとしたハーグ国際刑事裁判所の判決を否定している。
セルビアでは英雄として評価されているムラディッチ将軍を演じたボリス(アイダ役ヤスナの実の夫!!)は、出演後母国では大きな政治的な圧力を受けているのだそう。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年、国連で通訳の仕事をする主人公が家族を守ろうとする話。

週初めに観る内容の映画じゃなかったかもしれない。直接的な描写や残虐なシーンがあるわけではないけど、悲しすぎて救いがなさすぎて気持ちが参ってしまった。

スレブレニツァの人々は安全地帯だと信じていたはず。国連の管理下にありながら、最悪の事態を招いてしまったオランダ人指揮官の罪は重いだろう。国連が駐留しているにも関わらず虐殺を止められなかったという構図がルワンダ紛争とも重なる。
世界から見放され、孤独の中で死んでいった人たちは最後に何を思ったのだろうか。

恐ろしかったのはセルビア軍側にアイダの元教え子や息子の同級生が普通に紛れていたこと。数年前まで同じ教室で過ごしていた友達に虐殺されるという状況に言葉も出ない。
地面に膝をつきながら「兄弟どちらか1人だけでも」と必死に乞うアイダの姿と、その横で悲痛な面持ちでいる息子2人の姿が辛すぎる。

1995年って本当につい最近だし、第二次世界大戦で国際社会からあれだけ非難されたホロコーストの悲劇があったにも関わらず、同じようなことを繰り返してしまうなんてやるせなさすぎる。
ボスニア紛争について知らなければいけないと思わされたし、このような虐殺が行われていたという事実に気付けるのも映画の役割の一つだと思った。

映画の中のセルビア軍は悪者として描かれているけど、この争いの背景に何があったのかは分からない。最近セルビア軍のリーダーに有罪判決が下ったそうだけど、それで解決する問題でもないと思う。本質的にはどちらが正しいというのはないと思うけど、戦争だけは何があってもやってはいけないし、二度と同じ悲劇を繰り返さないためにも、それを何度も繰り返し伝えていくしかないと思った。
ヤスミラ・ジュバニッチ監督作品!

ボスニア紛争の悲劇
「スレブレニッァ・ジェノサイド」

監督は十代の時期にこの紛争を経験して全作ボスニア紛争を題材に作り続けてるんですね。

昨日まで普通に過ごしてた同じ街・隣人同士で行われた虐殺…

主人公の母親アイダは元教師をしていて今は国連の通訳をしているのですがある日避難所に殺到する人々の施設の外と内で行われたジェノサイドの数日間を描いてます。

敵軍には教え子達や同じ仲間達もいるのだが容赦ない迫害と全く機能しない敵軍の思うがままに避難阻止されてしまう国連軍…

数日間で行われた悲劇…

後半の展開が更に恐ろしい…

無邪気に笑う子供達とアイダのあの表情に
本来の希望は霞んでいき悲しみが更に浮かび上がる…

良か映画!
 扱うテーマが重要である事と映画の出来は別に考えなければ成らないし、残酷な事象を突きつけられたショックと感動はまた別だと認識しなければ成らない・・・なぜなら、この作品はドキュメンタリーではなく劇映画だから。
 そう考えると・・・西欧諸国や米国が作った、軽薄で偽善的な旧ユーゴ内戦の映画とは、勿論一線を画すのだが・・・作品としては凡庸。残念ながら。

 ドキュメンタリー風なのか、内証的な映画なのか、『ホテル・ルワンダ』の様なサスペンスなのか・・・総てが中途半端。それは監督の力量なのか、作風と合わなかったのか、心の整理が付いていなかったのか、取り巻く社会のせいなのか・・・恐らく全部なのだろう。
 ラストの被害者や加害者(同時に加害者であり被害者でもあるのだが)が混在する現在のスレブニツァでのシーンも夢想的な描き方で、今ひとつ迫ってこないし、人が死ぬシーンを決して直接は映さないのも何処か中途半端で説得力が無い。
 ボスニア・ヘルツェコビナの人に取っては正視できないからかも知れないが・・・戦争から間もない頃に作られたユーゴスラビア映画の方が(当時のミロシェヴィッチ大統領に対する映画人のプロテストという側面があったにせよ)寓話的だとしてもグロテスクでブルータルな映画を送り出していた事を考えると・・・戦争は遠く成りにけりなんだろうな。それはこの場合、良い事なのだろう。

 とはいえ、見るべきシーンもあって・・・歴史の教師だった夫が戦争中に欠かさず付けていた日記を燃やすシーンは胸に迫ったし(歴史家の記録を燃やす行為は死にも等しいからね)、国連や政府に見捨てられて総てを現場に押しつけられたオランダ軍人たちのパニックや若い兵士が恐怖にむせび泣くシーンは見ていて辛かった。
 そこは、とても良いシーンでした。
凄く良く作られていた。2時間近く隙も一切ない。

「民族浄化」と、虐殺のその後の話。
ボスニア紛争下のスレブレニツァの虐殺を描いた本作、家族を守ろうと奔走するアイダが終始人間性に満ちている。

この虐殺の後、残された女性は憎しみを連鎖させないよう「共存の道」を選んだんだけど、アイダは本当に納得しているのだろうか…

「殺されるのにはお前たちに理由がある(直訳)」というセルビア軍の言葉。
紛争を知らない世代に向けられる彼女の眼差しに、ラストシーンはとにかく胸が締め付けられた。




しっかし、観る映画すべて国連軍頑張れていないのだけど…実際はそうでないと信じたい。

5歳の時の話。
・国連の無力感
・どうすればよかったのか
・その後の共存

勉強せんと。
最後自分の家に戻るところはガッサンカナファーニーの「ハイファに戻って」を思い出した。
 アクション映画とすら言える主人公を捉えるカメラの素晴らしさと画面の流動性をもたらす演出力をカットが的確に切り取ってくれるので、身を任せられた。家族のシーンにおける長回しと視線の交錯による合意/一方通行といった古典的な演出も非常に良い。特に数年後の後半の場面における、くたびれた男達と行き場のなさの象徴でもあるはずのタバコ、虐殺の場面にも出てきた路上のスポーツの反復には痺れる。主人公を特別な人間ではなく、市井の人として強調するように移される多くの人々も功を奏していたように思う。
 移民問題や家族と国の衝突・矛盾、武力闘争という近々さらに目にするであろう事柄は他人事には感じられなかった。コンテストや子供の夢にはアメリカ、グローバリゼーションの仄めかしがある。テーマやドキュメンタリータッチなスタイルも「ゼロ・ダーク・サーティ」や「レ・ミゼラブル」とどこか重ねて見ていた。本作も忘れがたい作品になった。
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