編笠権八の作品情報・感想・評価

編笠権八1956年製作の映画)

製作国:

上映時間:65分

ジャンル:

3.5

「編笠権八」に投稿された感想・評価

思いがけぬ事故で仇人になってしまい江戸から上方へ逃れる権八、それを追う馴染みの兄妹、そして仇を探す姉妹と助っ人たち
そんな追いかけっこの中でお互いに素性を知らず恋に落ちる仇人権八と討人姉妹の妹露路、恋の行方と仇討の結末はいかに、、、

短い作品ながら良作、いかにも作りものな展開なんだけど、報われぬ恋、好きな人を斬らなばならない近藤美恵子、好きな人になら斬られても良いという市川雷蔵、この辺の葛藤が良かった

「権八郎はかたきの汚名で死ぬのではない 恋のために死ぬのだ」

こんなこと真顔で言っちゃうんだよ雷蔵さん、惚れちゃうよ!
オチはご都合的で綺麗になりすぎる気もする、おそらくあんな粋で済ませられることはなく、死体の検分とか本当に本懐を遂げたのか調査が厳格だろうと思う

でも!映画だからって言っちゃそれまでだけどそれでいいの!って思えちゃう、これでバッドエンドなんか見たくないし、観客が見たいラスト、こう来なくっちゃって思えるから良し!
h

hの感想・評価

4.0
濃淡の効いた夜空の照明と、シンプルな宿場の美術が非常に素晴らしい。水墨画では絶対に抽出できない現実と人工の間に浮遊する濃淡である。何度も書くが、三隅の映画では剣は空中を飛び交うためにある。なぜなら、通常、剣は手から離して使うための武具ではないからである。だからこそ飛び道具として使うのだ。雷蔵が常に静かで落ち着いたトーンの声を出してるのは、大声を出すためである。近藤に雷蔵が画面外から剣を投げこむ視覚的な意外性、続いて剣を抜こうとした近藤にピントが合い、雷蔵ボケのショットで雷蔵が大声をいきなり出す音響の意外性(ここでは雷蔵がオフで処理されてないところがミソ)を組み合わせたあのシークエンスの流麗さに拍手喝采!意外性を意外性で覆していくことでしか演出は発生しない!そして産まれる謎の必殺の構え(スペシウム光線のように両腕をクロスして刀を相手に向ける)。剣に心を宿らせる者と、笛の音に心を宿らせる者の愛。途中で、剣士である雷蔵が笛を吹きだし、笛の持ち主である近藤が剣の会得に励み出す。この互いの属性がクロスする瞬間こそが愛が産まれる瞬間である。当たり前だが映画では愛が産まれる瞬間はあくまで視覚的に、演出的に、「見えなければならない」。パンショットがふと止まって障子を開けると、そこには夜の光に揺らめく美しい池が臨める。キャラクターになんの関係もないのだが、それ故に三隅のビジュアリストとしての側面がわかりやすくでているショットだ。三隅が近藤を助けた後に近藤が画面外から障子を引くと画面がすべて障子で隠されてしまう。「突然画面が覆われる」という視覚的サプライズをなんでもないところでなんでもないように入れる三隅と、これ見よがしに「どうです?隠してるでしょう?これが演出なんですよ?」と隠すオフュルス、さて映画としてはどっちが優れてるでしょう。答えは私もわからないが、わたしは三隅のほうが「思想として、人間として」好きである。結局映画が好きというのは、作者の人間性が好き、と同義だと常々わたしが唱えてるのはこういう理由である。編笠は切り込みを入れられるために、枝は切り落とされるために、その切り落とされた枝は武器になるために、鼻緒は千切れるために、千切れるのは着物を千切って代用させるために、切り傷はサラシをまくために、サラシを巻くのは身体的距離を近づけるために、木製のドアは死体が寄っ掛かり鈍い音を立てるために、障子は破られるために、映画の中にしかるべき位置で配置される。それがそのままショットに映るキャラクターの魅力を「象徴」する(言語的な「説明」ではなく視覚的な「象徴」である。映像という具体で語ると、意味は抽象性を強めて映画は深みを増す)。近藤が雷蔵に惚れてると自白した後のショット、座り込みながら姉を見上げる近藤が画面奥に配置され、画面手前に姉が配置されるが、姉は近藤に背を向けて画面外にいるさらに体格のでかい侍を見あげている。視線で無理矢理画面外を絡めたかなり特殊なトリオの構図から、姉と近藤の間にカメラを置き直した切り返しで事態はさらに複雑な様相を呈してくる。一見何気ないシークエンスだが、このレイアウト感覚は完全に素晴らしい。はっきりいって本作は三隅の中ではレイアウトが弱い方だが、結局細部に優れたレイアウト感覚は出てしまう。剣の稽古は意地でも超ロングショット、三隅は、普通のチャンバラを普通の距離で撮ることが何より嫌いであった人=映画至上主義。彼の剣術には数々の優れた「省略」が隠されていて、スピードと急激な距離の圧縮に誤魔化されないように頑張って目を凝らしてみるとそこには学ぶべき演出が無数にある。三隅の映画ではよく立場の異なるものが垂直的にすれ違う。雷蔵の着物が黒ならば近藤の着物は白でなければならない。近藤の入浴シーンがあるならば雷蔵の入浴シーンもなければならない。細川も映画の中では入浴してるらしいが、入浴してるショットは省略されて、湯上りに日本酒を飲んでるショットから始まる。そして、彼が日本酒を突き出すとカメラが垂直にパンすることで、平八と細川の対立関係をカメラワークで「象徴する」。着物の色からして当て役であることが宿命づけられた角梨枝子は本作における儲け役だ。平八が雷蔵に仇討ちを頼んで近藤に諌められた直後、言いたいことをぐっとこらえてあらぬ方向を見つめている表情が非常に素晴らしい。あそこまでが演技に堕落しないぎりぎりのラインの肉体なのだろう。
エーコ

エーコの感想・評価

3.0
ちょっと真っ当すぎる。人を立たせるだけで張りの出るところもあるが。
なんというベタ王道ラブストーリー!!コーチ!私はあなたを愛してしまったの!でもあなたは私の父の仇…!
特訓シーンが切なすぎて泣いた。いきなり笛を吹き始めたり「恋のために死ぬのだ」とか言い出しちゃう雷蔵コーチが微笑ましい。
市川雷蔵のスターとしての魅力が存分に開花している…三隅の60年代の名作のモチーフが遍在している…なるほど確かにそれらも重要だが、そんなことより、ラスト、三田登喜子が「しばらく!」と言って歩き出すと(分かってはいるんだけど)スーッとキャメラが右に移動し始めるあの瞬間、ああこれが見たくて映画見てるんだなぁと思う。
原作は川口松太郎、監督は三隅研次。雷さま25歳の作品。

とにかく雷さまが若い。線が細いし、台詞回しも朴訥。後の眠狂四郎のスタイルは完全に出来上がっているが、雷さま独特の言葉の粘り強さがないもんだからどうも不安定に見える。

眠狂四郎はニヒルでちょっと卑怯なキャラクターだけれど、こちらは正攻法。真っすぐで卑怯なことが大嫌い。従って、作品も真っ当すぎて物足りず。

全編65分という短さということもあるかも知れないが、プロットよりサブ・キャラクターのイベントが豊富なのでそれなりには見れるドラマには仕上がってはいるけれどちと消化不良。興味が持続する理由は、脚本というより、この時代の日本人の所作や口舌が面白いからなのだろう。逆に言えば、今居なくなっている日本人を見て感動するということか。

三隅研次は毎度のことながら、美術は完璧。飾り障子や文台から小物まで美しいし、ロケーション、セットとも作り込みが見事。エンドの東山南禅寺ロケも素晴らしい。

エンドで主人公の権八郎曰く“恋のために死ぬのだ”には思わず笑ってしまったが、これを雷さまが言うと全く厭味がない。ここらへんが雷さまの凄いところなのだ。