クレーン・ランタンの作品情報・感想・評価

「クレーン・ランタン」に投稿された感想・評価

第34回東京国際映画にて。

ひたすらに画。
映画の無駄を限りなく削ぎ落とし、「生と死」「正義と悪」を直接的に訴えかけてくるよう。

だからこそ、伝えたいことはかなりシンプル。

我々が見る「生と死」は自然的か。
我々が思う「正義と悪」は必然的か。

創作することで生きながらえてきた人類の、その反自然的な生き方に疑問を投げかけてくるように、画は常に自然とモノが映し出される。

それは時に、砂漠とナイキのスニーカー。
それは時に、なだらかな丘と自動車。
それは時に……ヒトとクレーンランタン。

我々が信じるその灯りは、炎か、電気か。

正直眠くなる1本だが、映画の画は圧倒的。
女性を誘拐した罪で服役している男と法学生。こだわりの構図で、罪と罰、生と死などのテーマで語られてゆく。
芸術に言葉は要らねェ……✋て感じ。
現代アートを見ているかのよう。
意味があるようで、分からない。

旅行中に訪れた美術館でセリフなし映像流されてたらうっとり眺めてその後の予定狂っちゃいそう(褒めてる)

何かを感じ取れる人だけ感じれば良い。それがアート。
haru

haruの感想・評価

-
まじで序盤から何言ってるか不明だった。確かに映像は綺麗だけど、監督のQAでシナリオや脚本は書かずにロケハン中にその場で書くって言ってて、あぁなるほどね…って思ってしまった。
鬱々したポエジースタイル健在
不穏な重さと美しさを兼ね備えたショットが
最高でスクリーンから重力を感じた😄
役者とオブジェクトの線引きが独特で
デュラスやペドロ・コスタを思わせる
backpacker

backpackerの感想・評価

3.0
第34回 東京国際映画祭 鑑賞9作目

「私は人間。そのことに奇妙さは覚えない」

これは……今回の映画祭で鑑賞した中でも一際難解な作品でした。
私の理解力や洞察力が足りないだけかもしれませんが、内容は終始右から左へ通り抜け、頭の中へ留まることはありませんでした。
代わりにと言うと語弊がありますが、作品の画力、コレが非常に印象的で、その鮮やかさ、静かさ、美しさはとても記憶に残ります。

まず風景、これがもういちいち美しい。
清涼な森林はどこか日本的雰囲気があり親近感を覚えたり。
強烈に明瞭な陰影をつけた画面構成も多用され、人物のバストショットやアメリカンクローズアップでは、壁の反面は真っ暗なんてシーンが頻繁にありましたが、これもまた美しい。

人物、特に女性たちの動作の少なさも印象的です。
女性を画面中央に直立不動で配置し、動きは風と周囲の音と男だけが作り出す。
画面内に収まる人数は多くて3人程度で、殆どが2人(対話者同士)だけなので、この動きのなさは頭にこびりつきます。
人物といえば、彼らの服装もいんしょあですね。
派手なものではなく、どちらかといえば地味で目立たない服なのですが、周囲(色彩豊かな森林でも、乾いた砂地でも、油田でも、雪原でも)から浮き上がるような色の服を着ていることが多く、とても目立ちます。
ラストシーンの、吹雪でホワイトアウトした中に立つ主人公ムサとダヴ(4人の女性を誘拐した罪で収監されている)の対話は、二人が着る黒ずくめの格好の力で、神秘性すら感じます。

この徹底的にこだわった画作りが、ある種の荘厳さや高貴さを生み出しております。
失礼な言い方かもしれませんが、超美しいスクリーンセーバーみたいな感じです。

残念ながら内容はホントにまったく頭に残りませんでしたが、この素晴らしいスクリーンセーバー画のことだけは、忘れず心に留めておきます。
mmntmr

mmntmrの感想・評価

4.8
鑑賞から一ヶ月、語り難いと思っていた本作の評をようやく書く。

「ランタンの光に、道を示されたと勘違いした鳥を、猟師は撃ち落とすのだ。僕は、自分が撃たれたのかどうか分からない。」

女性を誘拐した罪で服役している男と、誘拐されながらも拒むことなく受け入れた女性たちの謎に興味を持った法学生は、男を連れて女たちの元を訪れる。彼らの対話が美しい風景の中で展開される本作は、非常に詩性の高く、全てにおいて美を伴わせた唯美主義を感じさせる素晴らしい作品であった。

本作は確かなかなかの長回しが幾つかあったが、しかしパンによる動的なショットは殆どと言ってよい程に無かったと思われる。
僕は長回しのショットが好みなのだけれど、映画には立体的な構造がなければ映画たり得ないと考えていたため、前提としてパンやティルトによる動的なショットの美しさが必要だと感じていた。

しかし、本作のロングショットは全く静的で写真的な、少し趣の異なる異和を生じた美しさとして眼に映った。当然、違和による不快感が全くなかったわけではない、だが美しいと感じたことも事実であり、そして思い返すと“僅かに、かつ非常に”映画的な、動画でしか成せない引力が働いていたことに気づいた。それは“ゆらめき”と“気配”である。

静的なショットに完全配置された役者、そして陶酔の雰囲気と詩的な言葉は、幾つもの次元でゆらめき、視覚や聴覚に美的な感覚をもたらしていた。

その映像は静的でありながらも確かに動画であり、人や、木々、空、水、油、廃墟、クレーン、さらには音までが、僅かにゆらめき、呼吸をしている。独特な美を孕んでいた。それをロングショットで魅せられていた僕は、映像の中に“気配”を感じざるを得なかった。彼が一歩を踏み出す気配、こちらを振り向く気配、鳥の鳴く気配、何かが横切る気配、ノスタルジアに襲われる気配。これは映画にしか成せない、所謂メディウムスペシフィシティと呼ばれる特別な要素だと感じた。

「自然、会話の終わるところ」という呟きのとおり、彼らは集っておきながら、殆ど言葉を交わさない。それぞれが思索に耽っているようではあるが、空虚な無を凝視めているようにもみえ、豊満な自然に身を委ねているようにもみえる。

こういった彼らの陶酔は独特な臭気を孕んでいるため、観るものによっては嫌気さえ感じるかもしれない。しかしその異常性というか、約束されているひとつの世界観は、語りの詩性を高め、映像の美しさを保ち、儚い追憶を目覚めさせる術のように感じられた。

我々傍観者がその様に感じるという意味でも重要な要素であるが、きっとそれ以上に、スクリーンに存在している彼ら自身が、そうありたいと願い、そうあることを了解し、成しているのだろうと思う。改めると、彼らは人生に詩性を宿したいし、美しい景色に同化していたい,自然と一体で居たいし、過去のあの感情を取りこぼさずに掴んでいたい。そんなことを願い、それを死生学上のひとつの哲学、唯美主義として抱いているのだろうと捉えた。

そう、静的なショットの中でも、人物の明確な動きは一応あった。しかし、その動きは日常の人間的生活範疇を越えたものというか、逸脱しているものであった。特筆すると、例えば躊躇いなく川に半身を沈め、生が途絶えたかの様に水面に倒れこんだり、太い木の幹にゆっくりと手を、足を伸ばし抱き込み、頬を当て、何処となく宙を見つめたりといった具合である。

これも観るものによっては嫌気のさす要素かもしれないが、(映画自体に興味を持っている人間はこういうところでむしろ前のめりに鑑賞できるから、映画が楽しいのだろう。関係のない話だが。)上に記したように、彼らのひとつの願望、“自然と一体でありたい”という事を前提とすると理解可能である。

「僕は人間、そのことに奇妙さは覚えない」
そう何度も繰り返し呟く彼らに反して、僕はなんだか人間には見えないな、という感想を持っていた。この奇妙さを唯物論として考え直すと、身体を優先して捉えるので、“自然物としての身体を尊重し、後から生じる精神の方は陶酔によって廃することで自然と一体となる”ということも一応成り立つ。

「感情は外から与えられる」という台詞はその意味で決定的だろう。

人間としての意識を廃し、身体を必然に委ねる。美を追求した上での唯物論と取れるその陶酔感は、やはり本作の空気を形成するうえで必須のことであるように思う。(そういう宗派でもあるのではないかと思わせられる。)

作中、誰かが「バハールは、あれは後から考えると可笑しな事を言っていた風に思う。だけれど、その時は、納得してしまう空気がそこにはあった。」というような台詞があるのだが、これは本作全体に流れる空気でもあったように思う。人物の朦朧としたような眼つき、ゆらめくような動作、詩性に富んだ発言、美を求めて立つその場所、光、影、水、火、森、廃墟...その全てによって我々は、その全てに納得してしまうのだろうと。

そんな彼らを追っているわけだから、イマージュに富んだ現象も多く見られ、美しく、見応えがあった。

静的なショットが多いから、自然と音に意識が向かう。澄んだ空気を想起させる環境音や、ノスタルジックな鳥の鳴き声、羽ばたく音、電車の走行音など、美しくも、普通にありそうな音なのだが、それが稀に可笑しなシーンで聴こえてくるのである。雪山を登る二人に、やけに緊迫感を感じると思ったら、そこにいつのまにか電車の走行音が聴こえていて、段々とゆっくり騒音になってゆく、といった具合に。

一応の本題である、四人の女性が誘拐を受け入れ、男と共にいることを選んだ理由も、ぼんやりとわかる気がした。

芸術面に於いて余す事なく完成度が高く、クレーン・ランタンという題も非常にうまく作用しており、芸術性の高い、非常に好みな作品であった。

「あの二人を見ろ、彼らは自分が苦しんでいると信じてる。だが、世界で最も幸せだ。」
メラ

メラの感想・評価

3.3
【追憶で進む道】【東京国際映画祭】
女性を誘拐して服役した男と法学部の学生との対話を描いたヒューマンドラマ映画。

一言でまとめるならば映像の詩集って感じはしました。ノリ的にはタルコフスキー「鏡」のようなものだと思う。
美しい映像を見る映画は好きですし、アート映画もそれなりに見てきたつもりです。個人的には本作はあまり没入感を感じる事は出来ませんでした…

まず映像は前評判・予告編から分かるくらいに美しいです。ストーカーや鏡と微妙に既視感があるので、そこは人次第ってところはあるかもだけど予告編で映像に惹かれた人にとってそれなりの満足感を与えてくれると思う。

それ以外は…ぶっちゃけ勿体ぶった映画で微妙でした。
タルコフスキー「鏡」もストーリーがかなり難解というか、話の成立性がほぼないように見える作品ではあるもののこっちは映像自体に草原✗雨✗燃えた家…やベッド✗廃れた建物✗宙に浮く女性と映像の新鮮味があるし、この作品が後続作品に活かされているというので評価してます。


クレーン・ランタンは主題に対して、尺が引き伸ばされてる感が凄くて「これ2,30分くらいの短編で良くない?」感が凄いです。
服役中の男と法学生のやり取りに追憶する中で惹かれる強いエピソードがあれば、スローペースでもOKだけど道を外すと終わる…とか周りの期待通りに…とかのよくあるテーマを引き伸ばしたのは見るのしんどかったです。

映像は美しくて要所要所がカッコ良かったものの、退廃的な建物・水溜り・森…などが繰返し使われたり要所要所で昼寝したり眺めるシーンが多くて、途中飽きました。

多分、この映画でも何らかのシンボルがあってそれを紐解く楽しさはあるんだろうと思う。でも、意味不明な描写が多くてそのシンボル読み解きをしようという気力が湧かないです。。

ただ単に美しい映像が観たい、独創的で変な映画が好きという人にはお勧めします。
個人的には映像が綺麗…とか変わっているというだけでは好きになれません。
映像もブレードランナーやタルコフスキー作品みたいな新鮮味あるものとは言えず、既視感と繰返し使用の胃もたれ感があるし、好きとはまた別です。
独創的であること以外に魅力がないと見づらいです。

映像は非常に美しくかっこいいのに映画の内容がスカスカで必要以上に気取っていて残念でした。
視聴者が頭を捻って映画の中身を見出さなきゃいけないよりは
もう少し中身があればもう一度観る気になれた気がします。 
s

sの感想・評価

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繰り返されるもの。私には難しかったけれど、映る景色が美しくてどういう場所で撮影したのか気になる
東京国際映画祭にて
人間って自分の想像の範疇におさまるものしか評価できないんだなぁ。この作品には点数がつけられなかった。
アゼルバイジャンの森林、広大な原野、先も見えない雪原、廃墟から望む街、そして油井と向こうにそびえるビル群。たびたび繰り返される、詩的な会話(もはや会話の体をなしていないことのほうが多く見えたが)。
高度に抽象化されすぎていて、もはや何を伝えたいかも観客にとっては判らない。劇中の会話でもあったが、もはや考えることをしないで感じたほうがいいのかもしれない。
観客に解釈をすべてぶん投げているという批評はごく自然なものだろう。しかしながら話者の瞳を超クローズアップショットで抜くフレーミング。効果的に使われるツル(クレーン)の鳴き声。窓や扉から向こう側を覗くようなショット、水や油泥を鏡のように利用したショットなどメタファー自体は至るところに散りばめられていたのではないか、というのが私感。といっても一片たりとも掬えなかったけれど。
冒頭の油井に備え付けられているクレーンとツル(クレーン)がアナロジーなのは言わずもがなだが、繰り返される機械的な動作がどこか空虚さを感じさせて本作の退廃的な雰囲気と符合していた。
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