蜂蜜の作品情報・感想・評価

「蜂蜜」に投稿された感想・評価

junka

junkaの感想・評価

4.3
主人公の少年の瞳に吸い込まれてしまい
同じ時間を過ごしているような気分になった。
演技なのか
寂しさが自然と伝わってきた。大切な作品。
Taku

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4.0
セミフ・カプランオールによるユスフ三部作の最終作。劇伴は無く種々の自然音が響き渡る。台詞を最小限に抑えた少年目線の内省的な語り口が良い。幼年期の体験を描きながら、彼の人生という旅路の終着点(原点)を感じさせる作りに、未来から過去へと物語を綴った監督の意図が伺える。好き。
akubi

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4.4
バケツに浮かぶまんまるの月。海へ出た小舟。ご褒美の赤いバッヂ。あの子の白いリボン。びしょ濡れのノートブック。
語らずとも雄弁な大地とその情景。ユスフの内で紡がれてゆく言葉たちと夢。

ミルクを全部飲みきったぼくの勇姿を、ママはまだ知らない。
ぼくは歩んでゆく。寂しくて理不尽な、大人に。自らの声を畏れない、立派な男に。この頃ぼくが見ていたのは、パパの 夢 だった。
ショウ

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1.3
観る順番を間違えました。というか、三部作であることを今知った
だからなのか、何もかも突然でプツっと終わった感じだった
自然が豊かで綺麗だなってこととお父さん良い人だなってことだけが印象に残った
迂闊な事に、観る順番を間違えました。
カプランオール監督による『ユスフ三部作』の三作目ですが…、最初に観てしまいました。

某『ミツバチの―』のアナ・トレント、そして本作『蜂蜜』のボラ・アルタシュ。
鑑賞後数日を経た今でも忘れられない、真っ直ぐな眼差しをした少年が、ある事件を契機にちょっぴり成長する物語です。

先述した通り、私はミスして三部作の最初に観てしまいましたが、一作目『卵』、二作目『ミルク』を観る事で何故主人公が急に気絶するのか、また主人公が幼少期、母はどの様な人柄で、彼がどの様な少年時代を送って来たのか等を興味を持って見られます。
吃音症や無口さの中で、彼の内面では様々な言葉と感情が反復され、後に詩人となる素地が醸成されていったのでしょう。

本作で彼が成長する契機は、大変深刻なものでは有りますが、抑えられていた感情を現し、ミルクを飲み込んでみせた彼の決意に満ちた表情には、父の『誰が家を守るんだ』の言葉をしっかり守って行こうとする覚悟が見えた様に思います。

小さな少年の健気さといじけ無さにほろりとさせられる作品でした。
くれお

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4.5
ユスフ三部作
卵→ミルク→本作

ユスフくん少年期
さらに時間が濃密になっていく印象
出来事の全てが少年に影響を及ぼしていくのが分かる

ユスフくんの将来を知ってから時間を遡って行く手法は知り合いの幼少期を垣間見ているような錯覚を覚える
こんな子だったのかーと愛着が湧くという効果があった

お母さんが心細く泣いている目の前で
嫌いなミルクを飲み干してみせるユスフくんに
すっかり近所のおばさん目線で涙
トルコとドイツの合作。ドイツには、トルコ移民も多く、トルコとの関係も密接だ。この話は、昔の話かと思いきや09年の現代の話なのは、少し驚く。養蜂家の父と過ごすのが好きな少年は、父の失踪を気に言葉も以前より少なくなっていく。静謐な中で話は進む。音楽は、一切ないが飽きることはない。時間が少年を癒していく感じで終わる。少年の学校での行動なんかは、共感するところがあって懐かしい気持ちにさせられた。
「卵」「ミルク」とともにユスフ3部作のうちの1作品。

森の中で父親からいろんな事を学ぶユスフは父親が大好き。父親も幼いユスフを温かく見守る。ユスフには気がかりな症状があり小学校での音読に苦戦するが、唯一小声で問題なく話せるのが父親だった。養蜂を生業とする父親は蜜蜂の激減により新たな巣箱の置き場所を探すため家を出るが...。「夢を人に聞かれちゃダメだ」という父親と軽々しく見た夢の話をする母親の対比が印象的でラストに繋がっているように感じた。

幕開けから“難解作品”ムードが漂い静けさで瞼が閉じてしまう危険性があったが、難解レベルは低くノスタルジックな映像での未知の生活圏に魅せられ眠くなるどころではなかった。布モノが可愛かったり女性のスカーフが色鮮やかなところは「馬を放つ」を想起させた。映像に堪能。

このレビューはネタバレを含みます

『卵』『ミルク』ときて、『蜂蜜』である。我々は鳥から牛から蜂から、あるいは無数の他の生き物たちから収奪し自らの糧とする。そして自らも自然のうちに還ってゆく。そのうちの一部分に人間の物語が存し、そこに詩がありうる。

ユスフ3部作のうち、この作品は比較的ストーリーが定まった作品であった(そのこと自体はこの作品の良し悪しを左右するものではないとは思うが)。少年ユスフが飲めなかったミルクを飲み干すシーンなどは明からさまだが、しかし、この3部作全体のうちで唯一の明からさまであると言ってもよいのではないかと思うほどに、珍しい心地がした。

少年ユスフもやはり寡黙だし、授業で音読することも上手くできない。だが、彼は多くを見つめ、その内に膨大な思考の言葉を溜め込んでいるのだろう。表現する方法、それが後の詩なのだろうが、それを知らない彼は、ただ自らのうちに溜め込むしかないのである。

音楽のほぼ無いこの3部作において、しかし、静かで大胆な環境音はずっと流れ続けていた。美しき物音がこれらの映画を彩っており、それ以上は余計であるように思う。

最後までユスフという人のことは分からなかった。ただ淡々と彼の人生の一部分が描き出される。とはいえ、これらの映画自体がユスフの詩なのではないかと、私は思う。彼の言葉にならない言葉がこの映画全体を覆っている。
決して幸福なばかりではなかったはずなのに、幼い頃というのはどこか安らかな調和のなかにあったように思われる。(ユーミンの唄、「小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた」の世界だ。)
菓子を作ってくれるのだという母親、テーブルの上に置かれた卵。その肌理のすべらかなこと。それは子どもの肌だ。
ことばは硬い殻の内側ではね返りくぐもる。箱のなか、蜜蜂の羽音のざわめき。まだ何もかもが秩序立っているわけではない。あの美しい鏡面の波もきっとそうだ。掬い取ることのできない月の不可思議。銀色の円が揺れる、かき混ぜられる。混沌、宇宙卵ーー。
大木を覆う苔を湿らせているのは、少年の眼に膜を張る涙だ。それは根で吸い上げられ、あるいは霧となり霊気となり樹上へと到達する。そこはあの崇高さを湛えた寡黙な父と、蜂箱とのあるところだった。眠りの殻がひらくには、まだ少し時間がかかる。



薄い膜越しの視覚は、私たちとは違っている。夜目のきく、あのハイタカはどうだろうか。少年は白いリボンで目隠しをし、夢と現との間を通り抜ける。
昼光のもと顕らかなものだけで世界が成る必要はないのだ。(大人になっても、それはふと「やさしい気持で」目を開くことのできた朝にはきっと、昨日とは違うものの姿を光の中にみとめることができる。)



メモ
「詩の根幹的機能のひとつは、事物の裏面や、日常にひそむ驚異ーー非現実ではなく、世界の奇跡的な現実ーーを見せ示すことだ」(オクタビオ・パス『泥の子供たち』) (野谷文昭『エリセの聖なる映画』より孫引き)



なんとなくいま必要としている気がして鑑賞。
確か昨年か一昨年もこのくらいのときに観ていたし、きっとそういう時期なんだろう。

この前の年末、冬の林にバードウォッチングに行ったとき。
はじめは双眼鏡を覗いてつい鳥の姿を探してしまうものだけれど、そのうち立ち止まり、周囲の音に耳を澄ますようになる。
そうすると、それまで聞こえていなかった音が徐々に聞こえ始める。

当たり前っちゃ当たり前なんだけれど、そうだと思い出すまでは本当に忘れているから、ときどき思い出すための時間をもつことを心がけたいと思う。



オールタイム・ベストをつくるなら、間違いなく入ってくるであろう一本。
映画を観始めた大学一年の頃、はじめて一人でミニシアターに行ったのがこの作品だったと思う。
シネコンとは違う、暗闇の中でもその色が分かる真紅の椅子。
そういった経験もあり、特別の印象が残っている。
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