大いなる幻影 Barren Illusionの作品情報・感想・評価

大いなる幻影 Barren Illusion1999年製作の映画)

製作国:

上映時間:95分

ジャンル:

3.5

「大いなる幻影 Barren Illusion」に投稿された感想・評価

G

Gの感想・評価

3.8
初期作よりはうまくいってるヌーベルヴァーグ。
cureと回路の断片ってところもある。
登場人物はほぼ喋らない。

ストーリーもよく分からないし意味を感じないような描写が多いけど引き込まれる映像。
冒頭、深夜の金庫泥棒たちから「消えてちょうだい。消えて!」と言われた男が、本当に消えたりする不思議さは見られるものの、全体的に何を言わんとしているのか判らない映画だった。
サ

サの感想・評価

5.0
映画にはストーリーがあるとか、俳優には台詞があるとか、そんなの誰が決めたのだろう。
美しいものは、喋りすぎる僕を黙らせてくれる。黙るために、美しいものを見る。
傑作。最初のショットからただならぬムードがただよっている。すぐれた映画に必要なのはよくできたプロットや気のきいた脚本ではなく、ナチュラルでうつくしく、力強いショット(のつらなり)なのだと黒沢清版『大いなる幻影』はいう。

本作の制作は映画美学校(の 1 期生)の実習を兼ねているのだという。黒沢は美学校の講師をするなかで、シナリオの書きかた、シナリオをいかに書くかということに終始してしまった自身の講義を反省した。それゆえ、『大いなる幻影』はシンプルで余白の多い、セリフのほぼないシナリオ、そして実験的かつ即興的な撮影/演出方法によって、意図的に反プロフェッショナル/反商業映画的な、学生自主制作映画的な手法をとったのだと。それがどうだろう。結果として、『 CURE 』や『カリスマ』を経て、『回路』を撮るにいたる黒沢のキャリアにおいて、ある種の洗練や円熟が感じられるとともに、わかわかしさやみずみずしさのあふれるフィルムとなっている。それには武田真治と唯野未歩子という 2 人の俳優の演技や存在感もおおいに関係しているだろう。

『気狂いピエロ』が黒沢版『大いなる幻影』のひきあいにだされるのもよくわかるが、『大いなる幻影』はどちらかといえば、エドワード・ヤンが撮った『勝手にしやがれ』といったふうである。『恐怖分子』が本作におおきな影響をあたえていることは火をみるよりもあきらかだ。

それにしても、どうしてこんなにすぐれたフィルムを撮れるひとがあんなに駄作をたくさんつくってしまうのだろうかと不思議におもうが、それが黒沢清なのだろう。そういった感慨をいだかせるという点においても、『大いなる幻影』は黒沢の膨大なフィルモグラフィーにおいて(とはいえ、その全貌をまだつかんではいないが、)まばゆい光を放つ出色のフィルムである。
netfilms

netfilmsの感想・評価

4.0
 2階の商業スペースから金庫を盗み出す3人組の若者たち。あまりにも堅牢で重たいその金庫を2階から投げ落とす。2005年の近未来(当時)、友人と音楽制作会社を経営しているハル(武田真治)は、未来の自分に漠然とした不安を抱いていた。夜のクラブ、所在無さげに周りを見回す彼の姿に、友人は「早く消えて、どっかに消えて」と暴言を吐く。居場所のなくなったハルは高架下で、自転車を横に置いたまま泥酔するおじさん(諏訪太朗)の脇を通りかかり、その自転車を盗み出す。高架下で先ほどの金庫の中身を山分けする3人組と出会ったハルはボコボコに殴られそうになるが、その中の1人が静止してこう言う「消えて、消えてちょうだい」と。一方、国外宛の郵便を専門に扱う郵便局に勤めているハルの恋人ミチ(唯野未歩子)は、時々小包をくすねては、ここではない何処かのことを夢想していた。そんな2人の関係がギクシャクしだしたのは、1匹の犬を飼いはじめてからだった。会社を畳んだハルは冒頭で金庫を盗んだ3人組の不良仲間と荒れた生活を送るようになり、ミチは国外へ出ることを試みる。

 今作は映画美学校の1期生たちの2年秋に制作された長編劇映画である。プロの役者は武田真治、唯野未歩子、諏訪太朗の僅かに3名のみで、あとは学生たちと黒沢の盟友とも言うべき豪華なメンバーが友情出演している。木造アパートの部屋は明るい光が差し込む空間だが、そこでボーッとするハルの身体はゆっくりと消えていく。この主人公に起きる何らかの予兆のように、今作では黒沢作品に頻繁に見られた幾つものホラー描写が、ホラーとはまったく関係ない使われ方をしている。ハルの恋人であるミチは、国外宛の郵便を専門に扱う郵便局に勤めている。彼女は窓口業務を担当しているが、どういうわけかそれぞれの窓口は半透明カーテンで仕切られ、差出人の顔を見ることは叶わない。薄暗い地下にある部屋でミチはコピーを取ろうと何度も試みるが、一向にコピー出来ない。どうしたものかと途方に暮れていると、彼女の後ろにこれまでいなかった幽霊のような女性が立っている。ミチは彼女を見た瞬間ぎょっとするが、その女はミチに向かってこうつぶやくのである。「どうして誰も何にもしないの」と。浜辺での抱擁、ユーラシア大陸の地図から消えた日本、海の向こうから流れて来る兵士の白骨化した遺体、ここではないどこかを夢想するミチはグローバリズムの過酷な現実を突きつけられる。海の向こうの「ここではないどこか」への思いは打ち消され、大いなる幻影が立ち現れる。
小林

小林の感想・評価

4.1
黒沢監督が言うように、現実と非現実が重なり合うような映画

映画美学校の教材として、それまで教えてきたことをあえて無視して出来上がった脚本をもとに撮影した作品というだけあって、シナリオとして引き込まれるところなんてひとつもないし、アートでも文学でもないのだけど、シークエンスのつながりを意識したために、または物語を破綻させないために生まれる、抑えの部分を徹底的に排除することにつながっていて、そのぶん映像の中に様々なものを詰め込んで封じ込めようとする、足し算的な手法からくる魅力と、画がもつパワーのようなものが存分に引き出されていると感じた
一方で、抑えがない映画がどれだけ疲れるものかというのもわかった

今まで観た黒沢作品の最高傑作と言ってもいいのですが、それも変な気がするのでいろいろ考慮して二番目くらいです
三角窓

三角窓の感想・評価

5.0
怖っ!
生きるのに動機なんていらないし、世界や社会と同期できない動悸のまま、やるべきこともなく、なるべきものもなく、あるべき方向へとだけ流されていくことの不毛。
存在不安の希薄さの「影が薄い」っていう揶揄をそのまま直喩として消える表現で見せたり、花粉の可視化とか驚くべき分かりやすい提示の仕方をしててコントみたい。
日常的って描写や言葉が現実的であるってことでは置き換えられない形でのスケッチ。
幽霊は幽霊同士を認識できないって何かで見たことがあるけれど、そういう類いのコミュニケーション不全が巻き起こす幽霊的世界の分かり合えなさみたいのが通奏低音としてあって、それでもメロドラマ的な触れ合う瞬間が愛の形として提出される。けど、愛はひとつの不幸でもある。

カラフルなゴミ袋とかゴミ袋があれば散らかすとかダンボールが積み重なってたら突っ込むとか人が人を引っ張るとか鉄パイプや金槌とかそれを引きずって擦れる音とかそれで人を殴る音とか相変わらずの描写が多いし、抜群のロケーションが不安と不穏を増大してて退屈なのに飽きない。
公園での風船を割るシークエンスの長回しとか飛び降り自殺をした後にトースターから吐き出される食パンとか異常な緊張感。

何がどうとか誰にこうとか説明する気も起きないぐらい思わせ振りに何か起きてるようで何も起こらない退屈さなのに素晴らしくて目が離せなかった。

ねえ、どうして誰も何もしないの?
中庭

中庭の感想・評価

3.4
曲折した歩道を楽団の一座が練り歩く、なんとも間の抜けた長回しの実験が、映像と音楽、物語の連関の持続力を自ら試すかのように垂れ流される。『しあわせの渦巻』における思想集団の分散と集合のシークエンスを想起せずにはいられない。
riekon

riekonの感想・評価

3.0
ふわふわと…危うくて消えちゃいそうなふたり。
武田真治と唯野未歩子の自然な演技がこの映画にとても合っていました。
武田真治の住んでいる部屋もいいですね。大きな窓や洒落っ気の無い台所や畳にテーブルとか。
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