大いなる幻影 Barren Illusionの作品情報・感想・評価

大いなる幻影 Barren Illusion1999年製作の映画)

製作国:

上映時間:95分

ジャンル:

3.5

「大いなる幻影 Barren Illusion」に投稿された感想・評価

このレビューはネタバレを含みます

1999年邦。英題"Barren Illusion"。2005年、外出もままならないほど花粉が舞う東京で、ハルは生殖機能が失われる可能性があることを知りながら花粉症特効薬の試験台となる。極端に台詞が少ない映画だが、「消えてよ」という言葉が頻出する。唯一感情を剥き出しにした場面での「楽しいからやってたんじゃなかったんだ」という台詞や、恋人に近づく男を追い払ったあとの晴れ晴れとした表情など、この映画の武田真治は魅力的だ。「若者の日常を淡々と描いた」映画かと思いきや、終盤に暴力描写。血を見せないのは何故か。
エドワード・ヤンからの影響大だが、その同時代感がむしろプラスに働いている。こんな緑緑しい黒沢映画があるとは思わなかった。決して面白い話ではないが、最後まで見せる画の力! 風船で遊ぶカップル! サッカー観戦の時の鼓笛隊! 舞い散る花粉! ただ、音楽には興味ない。
やまだないとの『ero*mala』を連想したけど、この映画の90年代的空気は同時期の表現を芋づる式に連想させる。同時代性ではフィルモグラフィ随一かもしれない。そしてこの空気感はその時代にティーンだった私的にはすごくひびく。
甘味

甘味の感想・評価

4.2
違和感と不安感に満ち溢れた美しい画面のみで構成された95分。即ち黒沢清の芸術性が堪能出来まくる作品。

ヌーヴェルヴァーグやすげ〜〜〜。清すげ〜〜〜。もうゴダールですやんか。
意味不明でストーリーのスの字も無いのに超面白い。1秒たりとも目が離せなかった。始まった瞬間からもう釘付け。はー幸せ。

しかしあのドレミファ娘が14年経つとこうなる訳か…感慨深すぎるな…
dude

dudeの感想・評価

4.3
世紀末自体よりもその先。『回路』や『散歩する侵略者』の少し先と言えるか。失われていく(手放していく)肉体性、物質性?過渡期の不安を前面に出しつつ新たな育みもまた感じさせる。
舞い散る綿毛?とか画面を見て現代ではないなと思えるのがすごい。ポツンとした建造物、壁に寄りかかる唯野未歩子、見落としていただけで他の作品にもアントニオーニ感あったんだろうか...。
熱狂やコミュニケーションは常に「赤」によって断絶させられる。
青を捨てた(と一瞬思われる)主人公は、その下にも薄い青を着ていた。
G

Gの感想・評価

3.8
初期作よりはうまくいってるヌーベルヴァーグ。
cureと回路の断片ってところもある。
登場人物はほぼ喋らない。

ストーリーもよく分からないし意味を感じないような描写が多いけど引き込まれる映像。
冒頭、深夜の金庫泥棒たちから「消えてちょうだい。消えて!」と言われた男が、本当に消えたりする不思議さは見られるものの、全体的に何を言わんとしているのか判らない映画だった。
サ

サの感想・評価

5.0
映画にはストーリーがあるとか、俳優には台詞があるとか、そんなの誰が決めたのだろう。
美しいものは、喋りすぎる僕を黙らせてくれる。黙るために、美しいものを見る。
傑作。最初のショットからただならぬムードがただよっている。すぐれた映画に必要なのはよくできたプロットや気のきいた脚本ではなく、ナチュラルでうつくしく、力強いショット(のつらなり)なのだと黒沢清版『大いなる幻影』はいう。

本作の制作は映画美学校(の 1 期生)の実習を兼ねているのだという。黒沢は美学校の講師をするなかで、シナリオの書きかた、シナリオをいかに書くかということに終始してしまった自身の講義を反省した。それゆえ、『大いなる幻影』はシンプルで余白の多い、セリフのほぼないシナリオ、そして実験的かつ即興的な撮影/演出方法によって、意図的に反プロフェッショナル/反商業映画的な、学生自主制作映画的な手法をとったのだと。それがどうだろう。結果として、『 CURE 』や『カリスマ』を経て、『回路』を撮るにいたる黒沢のキャリアにおいて、ある種の洗練や円熟が感じられるとともに、わかわかしさやみずみずしさのあふれるフィルムとなっている。それには武田真治と唯野未歩子という 2 人の俳優の演技や存在感もおおいに関係しているだろう。

『気狂いピエロ』が黒沢版『大いなる幻影』のひきあいにだされるのもよくわかるが、『大いなる幻影』はどちらかといえば、エドワード・ヤンが撮った『勝手にしやがれ』といったふうである。『恐怖分子』が本作におおきな影響をあたえていることは火をみるよりもあきらかだ。

それにしても、どうしてこんなにすぐれたフィルムを撮れるひとがあんなに駄作をたくさんつくってしまうのだろうかと不思議におもうが、それが黒沢清なのだろう。そういった感慨をいだかせるという点においても、『大いなる幻影』は黒沢の膨大なフィルモグラフィーにおいて(とはいえ、その全貌をまだつかんではいないが、)まばゆい光を放つ出色のフィルムである。