ニッケルオデオンの作品情報・感想・評価・動画配信

「ニッケルオデオン」に投稿された感想・評価

まる

まるの感想・評価

2.0
映画草生期。小さな映画会社で奮闘するクルーたち。
西部の匂いがまだするノスタルジーさ、監督の映画愛は伝わるが、キャストの異様な力の入りが反比例面白くない。群像劇が噛み合わずすべてが中途半端。
『國民の創生』を見るシーンは当時の観客の気持ちがわかるシーンで好き。
Nakao

Nakaoの感想・評価

3.1
ピーター・ボグダノヴィッチ監督作。
「ニッケルオデオン」とは1本5セントで観れる格安大衆映画館の事。

映画産業黎明期、大手映画会社(に雇われた特許会社)と弱小独立映画会社のドタバタ抗争劇を描いた1作。カメラを奪い奪い返され、烏合の衆がはちゃめちゃになりながらもB級映画を作り続ける。監督の映画愛が詰まった一作。

ただストーリーにまとまりが無い上、ちょっとしたギャグがハマってないので失敗作とされるのも納得。ダチョウネタは好きだったけど…テイタム・オニールは相変わらず名演。
Jasminne

Jasminneの感想・評価

3.5
ニッケルオデオン、スポンジボブスクエアパンツじゃない方。アメリカ映画界のネガティブなところをこれでもかと盛り込んでドタバタコメディとしても私好み。

129
DVD(Kadokawa/ 2018年発売)にて鑑賞。じつは近々イタリアの初期映画のことを「映画の夜明け」みたいなタイトルで話すことになっていて、映画の起源のことをいろいろ探っていたのだけど、ふとこの映画のことを思い出して、DVDを取り寄せたというわけ。

タイトルは知っていた。大こけした作品だということもわかっていて、そういうこともあって、なかなかみる気にならなかったのだけど、「ニッケルオデオン」という言葉がずっと頭に残っていたのだ。だから、今は亡き加藤幹郎の『映画館と観客の文化史』(中公新書)を読みながら、あ、これは見なくちゃならないと思ったわけ。

なにしろ加藤さんの本には、それがサイレント映画がアメリカで人気を得るようになるときに次々と建てられた簡易型の常設映画館(きっけるオデオン)だと記されているのだ。ニッケル硬貨一枚(5シリング)で映画を楽しめたことからニッケル・オデオン。オデオンはギリシャ語の劇場のこと。しかも、簡易形だから、衛生状態も悪く、映画の上映の合間には、劇場内に集毒液が巻かれる有様。「下水のような匂いがするな」というバート・レイノルズのセリフは、そういうことなのだ。

しかも、ニッケルオデオンの客は、加藤さんの記すところでは、20世紀の初頭に大量に流入してきた移民労働者たちなどで、なかには英語もろくに話せないものが多かったらしいのだ。なるほど、だから、映画に登場した俳優たちの姿を劇場で見かけた時、もう少し後のスター・システムが確立したころの行儀のよい観客ならサインを求める程度のところが、とんでもないことになる。なんと、彼らの衣服や帽子を引きちぎって、持ち帰ろうとするのだ。いははや、実に面白いのだけど、加藤さんの時代状況の解説を読んで、なるほどそうだったのかと膝を打ってしまった。

まあだから、逆に言えば、解説がなければわならないような設定が多々出てくるということでもあって、だからヒットしなかったのかとも思うのだけど、それはそれ。映画が自らの起源を振り返るという仕草は、今の僕のように、そういう時代を振り返ってみようかなと思うものには、大いに参考になる。

このころの映画と観客の姿を捉えたものには、たとえばマルコ・フェッレーリの遺作『Nitrato d'argento (硝酸銀)』(1996)などがあるけれど、ぼくはまだ一部しか見てなくて、DVDをクリックしたところ。あと気がついたものとしては、エットレ・スコラの『スプレンドール』(1989)が移動映画館のころの思い出を冒頭に持ってきているし、トルナトーレの『シチリア!シチリア!』(2009)がサイレント映画の上映風景を再現してみせくれている。

そんなイタリア映画に比べると、ボクダノヴィッチのこの作品は、なんだろう、より当時のサイレントの雰囲気を作品そのものに再現しようとしている。だから体を張ったドタバタが多いし、ほんとうなら白黒で撮りたかったというし、じっさい白黒のヴァージョンもDVDになっているらしい。

備忘のために記しておくと、ランカスターとオニールで取り合いになるキャサリン・クックは、最初はシヴィル・シェパードを想定していたらしいけど、ボクダノヴィッチとの不倫騒動によってダメになり、シェパードの紹介でジェーン・ヒッチコックが演じることになったようだ。

そのジェーンがなんとも見事なヒロインぶりなのだけど、彼女の映画に出たのはほとんどこれだけ。人気のモデルさんだったらしいけど、映画には出る気がなくて、出て見事な演技をしてみせてくれているけれど、作品は大ゴケで、すっかりやる気をなくしてしまったらしい。すごく残念。ほんとにかわいらしくて素敵なんだけどね。

あと、グリフィスの『国民の創造』(2015)が登場するシーンは、歴史的にはその通りなんだけど、ポリコレ的にはどうなんだろうなという演出。留保あるのだけれど、ちょっと首を傾げたくなってしまうのは、きっとスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』 (2018年)を見たからだ。こうなってくると、いつまでもグリフィスの伝説の映画を未見のままにしておけなくなってきたな。

なにしろ、大傑作を撮ったと自負するグリフィスの鼻をへし折ったのは、イタリア映画の『カビリア』であり、イタリア史劇に負けるかとばかりに挑んだのが『イントレランス』(1916)だったという話は、それこそタヴィアーニ兄弟の『グッドモーニング・バビロン』(1987)なんだけど、まあそれはそれ。

あとひとつだけ、ぼく、ステラ・スティーブンスが大好きなんですよ。『ケーブル・ホーグ』に『ポセイドン・アドベンチャー』ね。『マニトウ』の脇役もよかったよね。なんだろ、ほっとする色気があるんだよね。

このレビューはネタバレを含みます

やはり「国民の創生」の件はモヤるなぁ。上映後のスタンディングオベーションの中で座ったまま微妙な表情のライアンオニールが、グリフィス登壇には立ち上がり拍手するとか、序盤でバートレイノルズがKKKの扮装をさせられるところとか、いろいろ込めようとしてるのはわかるんだけど、伝わりきらない感じで、うーん。
ドタバタやスーツケース取り違えや延々続く殴り合いとか、映画としては好き。
電気羊

電気羊の感想・評価

3.3
「ニッケルオデオン」とは映画創世記の無声映画時代に5セント銅貨で観れた短編映画を上映する映画館を意味する。

「ペーパームーン」に引き続きライアン・オニールとテイタム・オニールの父娘共演もなされている。

当時は短編映画が主流だったが、ラスト付近で映画製作者の主人公とその仲間たちが、他の映画監督のプレミア試写会に招かれ、初の長編映画を観たことから失われつつあった映画製作の情熱を取り戻すと言うところでエンド。

まあ、映画製作の裏側を描いた作品なんだが、最近だと「カメラを止めるな」が秀逸だったね。
Jumblesoul

Jumblesoulの感想・評価

1.5
ライアン・オニールという役者が主演した作品はどんな名監督が作っても凡作になるというイメージがあり、これもそう。青春映画の大傑作『ラスト・ショー』のピーター・ボグダノヴィッチ監督でも同じだった。
映画黎明期の話で、冒頭からこれでもかと続くドタバタに消沈。以下笑えないギャグのオンパレードで、最後の『国民の創生』上映辺りでやっとまともな雰囲気に。
バート・レイノルズは相変わらずのクォリティ。せっかくテイタム・オニールが出ているのに、ほぼチョイ役扱いなのが勿体ない。
hiroki

hirokiの感想・評価

2.9
笑えないドタバタがずーっと続きます。アリス(テイタム・オニール)視点の物語りになってたらもう少し見やすかったかな。アラン・ドワンとラオール・ウォルシュに捧げられてるのにテンポ悪すぎ。国民の創生のプレミア上映のとこは良かった
otomisan

otomisanの感想・評価

4.0
 安かろう悪かろうとは、日本もかつて世界中から叩かれた悪口だが、今も大繁盛のアメリカ映画界も創世期のドタバタぶりは御多分に漏れず。まあこんなもんですよ、という塩梅で。それでも、みなさんニッケル貨を握りしめて駆けつけてくれるわけですよ。
 その「こんなもん」をこんな具合で作ってましたと、無茶連発の撮影を誰が役者で邪魔者(特許会社のスナイパーでバート。ダチョウのランドルフ)でというぐちゃぐちゃでも、暮らしが懸かれば何のそのと乗り越えてしまってたんですな。
 確かに、残ってるアクロバチックな映像が案外、現場も真っ青の大ハプニングで 撮っちゃったというか、結果撮れちゃったなんて、真に受けてしまいそうな。
 労災も労基署もない時代、警察もブン屋も稀な辺境のとんでもないところに今でも百年前の無名の映画屋の墓石が残っているかもしれない。淋しい荒野に埋めないで欲しかったろう、墓碑銘くらい華やかに刻んであげたいところ。だが、オニール親子の撮影隊は幸運120%。映画を地で行くアクロバットと取り違えの妙がぴったり嵌まって、素人監督と素人カウボーイの無手勝流的映画で盛り上がっていく。
 顧客運の悪いオニール弁護士だから三百代言より出任せ映画作りの方が性に合ってるらしいんだが、もともと馬鹿なきっかけでの転身。なんだか土地を求めたフロンティアが消滅して四半世紀、かわってビジネスにフロンティアが転身するような、新しい職に向かって身の軽さというか、根が移民の根無し草気質というのか。他人の離婚の尻押しよりもよっぽど面白いというところ。今でもこんなネタの物語は映画界にごろごろしてるだろう。
 そんな今と変わらぬ生臭に、初期映画業界特有の特許会社による大手寡占体質が生臭、焦げ臭さ、硝煙臭さの上乗せで弱者必滅を仕掛ける辺りが内幕物としても面白い。焼き討ち喰らってオニール隊は面白くないか。ついでに、オニール監督の監督となる経緯たるグリフィス雲隠れも、カネを握ってトンずらしてまんまとあの「國民の創生」を撮り上げたかと思うと可笑しくも生臭い。
 こんなグリフィス独り勝ちの胸クソがけんか別れの社長とオニール隊を調子よくも会同させてしまうが、生臭さ社長の夢の舞い上がりにほだされたか?オニール隊にも憑き物が付いたか?割れた磁石もグリフィスショックが締め付けるのか?口約束ひとつで結局元の鞘と駆け出す途上で見掛けた他人のそら似風景に、もう誰かが後追いやってるよと、オレらも釣られて飛んでくんだなと、馬鹿は飛ばなきゃただの馬鹿だと駆け出す始末にちょっぴり悲しくも夢淡く華やかに飾る上辺の、それでもあの気球を追っかけ、汽車に挑んで、ダチョウも乗りこなす日々の倍増しを期待してしまう。映画屋も馬鹿なら一観衆も馬鹿だなあ。

 たしかにあんな馬鹿ネタつぎはぎの10分だか20分に大笑いして明日なき日々に弾みをつける人たちもいたわけだ。同じころ、東海岸ではルイス・ハインが多くの年少労働者たちを写真に記録している。ハインに促されカメラと面する彼らの無関心気なまなざしを見ると、彼らもたまの休みにニッケル貨をもってほんのいっときただ笑って過ごしたかもしれないと思う。
 おなじくつぎはぎは後年、神父様の検閲でカットを食らった接吻コレクションとなって現代(当時)の映画屋の眼に活気を与える事になる。
 まったく、絵が動くだけの今じゃあたりまえが、とても貴重な目眩ましだったことに思い至る。そんな気晴らしから物語へ乗り出す画期に際して、ならば、ハインの子どもたちも文字に頼らない新しい物語の形式を受け止める心を映画とともに肥やしてゆくのだろうとふと思う。結構な事なのか由々しきことなのか、その人次第には違いないが。
犬

犬の感想・評価

3.3
スーツケース

アメリカの映画草創期に生きた人間たちの映画に託した夢と人生を描くコメディドラマ

特許会社に怯える

それぞれ
ドタバタでした

コントみたいなお笑い
洋服がビリビリです

脚本作り
撮影が大変

時代を感じる作品でもある

役者陣がスゴい
親子共演もあります
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