ブロンド少女は過激に美しくの作品情報・感想・評価

「ブロンド少女は過激に美しく」に投稿された感想・評価

momoyo

momoyoの感想・評価

4.6
あっけない。
でも今まで見た中で、こんなにあっけない映画ってあったっけって感じだし、勉強になりますね。主人公の苦労が

やっとみれた!
ペソアの詩の朗読のシーンで、あっそうかポルトガルかっ、あっそうか映画かって思って一気に冷めた あの詩のショボさまで演出として取り入れてるならもうお手上げ かき揚げみたいな映画で何度もガム噛みたくなったけど、終わってみればあのバサバサギチギチ感に納得
Keny

Kenyの感想・評価

4.3
それは所詮演出された恋。カーテンが、団扇が、ブロンド髪が、制限された関係を美しくする。
目線が合わない人々に心の通わない人間を見る。小川に乗せた人生論も忘れていない。嗚呼、好きだなあ、このなんてことない映画色。
トレパさんの踊りグッド。
印象的な長回しの数々。ショットは完璧なのに捉えどころのない妙なゆるさが同居していてその差異がなんとも不思議で魅了される。

そしてそれまでの少女の存在をすべてひっくり返してしまうようなラストのワンショット。オリヴェイラの魔術にかかり、走り去って行く列車を眺めながらしばし呆然とする。100歳でこんな映画を撮ってしまうなんて!

このレビューはネタバレを含みます

映像がとにかく良い〜
呆気なさが癖になりそう
叔父さんが愛情深いところが結構好き
むずい…原作読めばなにか分かるかと思ったら、日本語訳はないらしい。自力で頑張るしかない…
ubik

ubikの感想・評価

-
ラテン系の女に、目の前でtwerkしてほしい。そういう気持ちが映画を撮らせた。とはいえ、この上ない上品さ。

距離=視線/距離がなくなること
電車での決して交わらない視線
女が片足をあげること
この作品を観るとなぜかものすごい勇気が湧いてくる。その理由はおそらく、オリヴェイラがこの作品でこれまで絶対できないと思われていたことに成功してしまったからだ。
この作品でオリヴェイラが成し遂げたこととは何か。それは現代の、文化的に発展した土地で、社会的弱者を用いずに、おとぎ話のように純粋な古典的な映画を作ったことだ。これまではそのような映画を作るには、心理的発展に乏しい人々や環境を使わなければならないと思われていたと思う。溝口が時代劇を多く作ったのも、ドラマ性を求めたこと以上に、心理的に成長してしまっている現代人よりもそうではない一昔前の人間たちを題材にすることで、作品に純粋性、言い換えれば情動の面での寓話性を導入することができたからであろうし、エリセが子どもを主人公にし続けたのも、フォードが西部劇に固執したのも同じ理由からではないか。
しかしなぜ現代の文化的に発展した土地で社会的弱者を用いずにこのような作品は成り立っているのか、それは一つのカットがあるからである。あの印象的な窓からの主観ショット。このショットが作品に寓話性を導入している。
であるから、一見単純に見えるこの作品はある一つの天才的なショットが無ければ成立しない、紛れも無い傑作である。
短編小説原作の本作を撮影中に100歳の誕生日を迎えたオリヴェイラ監督作品。
妻にも友にも言えないような話は見知らぬ人に話すべし…というプロローグから列車の中で青年が隣の席のご婦人に自らの過去を告白する。
生真面目そうな主演の青年は監督の愛孫のリカルド・トレパ。
向かいの家のブロンドの美女に一目惚れしたのだがと語る彼は浮かない顔で、そのストーリーがあまりハッピーではない事を予感させる。
様式はイソップ童話的教訓作のようで、ラストは呆気ないほどフッと終わる。
にも関わらずオリヴェイラの気配が画面の細部まで行き渡っていて監督にしか撮れないであろう秀麗な作品に仕上がっているのが流石だな〜と思う。
次作のアンジェリカの微笑みもそうだが紙芝居のような正面からの固定のカメラアングルが多くそれらが幾重にも重なって芳しい奥行きを感じられる。
100年生きた映画監督がこういうものを撮るのは驚くと共に感慨深いな〜。

美女の持つアジアンな感じの団扇がかわいい。
老齢という言葉に何の意味があるのか? オリヴェイラ「ブロンド少女は過激に美しく」

オリヴェイラ監督この時100歳超。
主演はお馴染み愛孫息子リカルド・トレパ君。

その半分程度しか生きていない自分が常に嫉妬している、もはや若き日の思い出の中にしか存在しない抑えがたい蟲。
それを100歳の監督がこうもたやすく手繰る事が信じがたい64分でした。
>|