カポーティの作品情報・感想・評価・動画配信

「カポーティ」に投稿された感想・評価

たぐは

たぐはの感想・評価

3.8
先に映画を観てとても落ち込んでしまったので『冷血』を読むのは数年後になってしまう気がする。。
フィリップシーモアホフマンの最期と少し重なってしまい心が痛い。
かおり

かおりの感想・評価

4.5
冷血を読んで、映画の冷血を観て、この映画にたどり着いた。
順番的に正解だったと思う。
冷血を書くまでに6年。この映画ではカポーティを通してペリーを新たにほんの少し知った気がした。
とても悲しい。
カポーティはこの後何も書かなかったし、アルコール依存になってしまったことを思うとどれだけこの小説に身を削って作りあげたのかが分かる。
死の間際に涙を流してくれる人がいた事はペリーはしあわせなんじゃないかと思う。
ゆき

ゆきの感想・評価

3.3

このレビューはネタバレを含みます

作家が殺人犯に事件の話を聞き、それを元に本を出版するというストーリーなんだけど。
普通じゃない犯人の話をいくら聞いても、どこも共感できないし、何も認める所が無い。
それなのにどんどんのめり込んで、最後には自身も病んでしまう。
ただ単純に良い作品を書きたかっただけなのに、作家人生をも狂わせてしまった・・・。
TSUTAYAバイト時代にけっこう借りてく人が多くて、このシンプルなジャケットが妙に気になってた。今回久しぶりに出会い観てみることに。

トルーマン・カポーティ、あの名作の作者だったとは恥ずかしながら全然知らなかった。
彼がなぜこの殺害事件に興味をもったのかがよく分からなかったけど、長い取材期間から「冷血」執筆の紆余曲折、そしてその後…とカポーティの人生において重要な局面を描いた作品。
「冷血」も観てみたいな。

ジャケットに惹かれたように、カポーティ演じるフィリップ・シーモア・ホフマンが素晴らしい役者だということは序盤の社交場で話すシーンでピンと来た。一旦止めてカポーティのことを調べてみたらピンと来たときに感じた彼の生立ちやアイデンティティについてほぼ事実と一致していた。彼を語るうえで重要なポイントとはいえ今作ではそこに重点を置いていないからこそ、それを感じさせるほどリアルにカポーティとしてそこに居たことに脱帽。つくづく役者ってすごいなぁと思う瞬間。

しかし、フィリップ・シーモア・ホフマン自身の人生を知ってしまうとなんだか心がザワつく。
lemmon

lemmonの感想・評価

4.0
15年ぶり。


「ティファニーで朝食を」のトルーマン・カポーティが長編最後の作品「冷血」を完成させまでを描く。

50年、60年代のアメリカ。
「アラバマ物語」の作者ハーパー・リーとの関係と映画の試写会。
惨殺な事件の犯人との交流。
「冷血」を完成させるまで。
などなど。

もうキーワードだけでワクワク(していいのか?😅)する。


自身の作品のため利用する者だったカポーティが、犯人、世間体、作品と、それぞれに対して違う思いがあり、崩壊していく様が複雑。ホフマンの演技に乗っかって魅入ってしまった。


本作はハーパー演じるキャサリンキーナーも素晴らしい。あの豪快な笑いと、カポーティとの掛け合いが作品に楽しさ(わずかなエンタメ性)を生んでいて見やすくなっていた。



見返すと犯人役が、先日観た「サンシャインクリーニング」の、見た目は厳ついが優しさに溢れる掃除道具屋の片腕しかないあんちゃんと同一人物だった😳。役者さんはほんと凄いなあ、別人。

初見満点にしてたが、見返すと長さは感じてしまったかなあ🤔。
yuukite

yuukiteの感想・評価

3.8
以前Blu-rayで。「フォックスキャッチャー」や「マネーボール」のベネットミラー作品。カポーティーが「冷血」を書くまでの過程を描いた映画。カポーティを巧みに演じたフィリップシーモアホフマンの代表作に。個人的には編集デスク役のボブバラバンがいい。犯人を演じた役者はリチャードブルックス作品の方が圧倒的に良かった。
raintree

raintreeの感想・評価

4.0
人の心の孤独について描いた作家や作品は数多く存在しますし、むしろ孤独に触れない作品のほうが非常に少ないはずですが、魂(たましい)の領域の孤独を、映像の質感として浮上させるように濃密に描いた映画監督はそれほど多くはないように思います。

成功であれ挫折であれ、欺瞞(ぎまん)に満ちた状態であれ、人は原理的に孤独な魂の発露としてそれらを手にすることになる。心は1つの状況として表れるいっぽうで、魂は1つの原理として示される。

本作から6年後のブラッド・ピット主演『マネーボール』(2011年)では、メジャーリーグを題材としながらも、プレーヤーではなくマネージメントに焦点をあてることでビジネスパーソンに深く訴える内容となっており、実話を基にした主人公のビリー・ビーンが手にするのは最終的には成功ですが、その間もその後も彼の魂がどのように孤独であったかを冴えた映像の質感としてよく表しています。

また『フォックスキャッチャー』(2014年)では、デュポン財閥のジョン・デュポンが主宰するレスリング・チームへ招聘(しょうへい)されたシュルツ兄弟を描きながら(金メダリストの兄に対する弟のコンプレックス)、次第にデュポンの抱えていた闇へとシフトさせていく構成をとっています。やがてデュポンは金メダリストの兄のほうを殺害することになる(デイヴ・シュルツ殺害事件)。人が挫折するということの機微を、硬質な映像のうちにどこまでも冷ややかに描いています。

そしてこの『カポーティ』では、若き天才作家としてもてはやされたトルーマン・カポーティ(1924-1984年)が自然な才能を発露させていった先で、中年期に入ったのち作家の宿命として現れた障壁を乗り越えていくために、ノンフィクション作品『冷血』を書くまでの姿を描いています。

ベネット・ミラーが真に描こうとしたものは、無垢な才能と欺瞞に満ちた心の揺れ動きだろうと思いますが、そうした彼の姿をノンフィクションタッチで描きながら、カポーティのフィクション世界に流れるあの感覚も見事に表現されていました。

たとえばオードリー・ヘップバーン主演『ティファニーで朝食を』(1961年)を観ても、カポーティが同名小説で描いたホリー・ゴライトリーという女性がどういう存在だったのかは今ひとつつかめませんが、この『カポーティ』を観ることで、フィリップ・シーモア・ホフマン演じるカポーティから演繹(えんえき)されるように、ホリー・ゴライトリーの像が浮かび上がるような印象があります。

カポーティ作品が1本の糸を通すように全体として持つテーマや魅力は、ホリー・ゴライトリーに象徴される「無垢の行方(むくのゆくえ)」だろうと思います。無垢であるということは、しばしば世間一般に薄く広く浸透している道徳とは真逆の倫理に生きることを意味します。その倫理とは、やはり無反省に道徳を振りかざす人が口にする「純粋」であることと、正反対に振る舞うことを意味してもいます。

欺瞞とは、そうした深い意味での倫理を道徳的に糾弾することから生まれます。その裏側にある動機はほとんどの場合、小さく惨めな自分を少しでも大きくみせようともがく悪足掻(わるあが)きであるにも関わらず。カポーティ作品のなかに表れる欺瞞は、無垢がその力を失った先の着地点として様々に描かれていますが、慣習であれ暴力であれ人間社会がもつ宿命的な大きな力と抽象的に言い表すこともできるかと思います。

そうした作品を生み出したカポーティ自身が、初期作品から『ティファニーで朝食を』に到るまでを無垢の力で書きながら、やがて華やかな社交生活のなかで欺瞞に染まっていき、そこから脱しようと企図した『冷血』によってナイーブにそして卑俗に揺れ動く姿が本作には描き出されています。

作者とその作品世界がこれほど美しく融和した伝記映画を僕は他に知りませんし、監督ベネット・ミラーの手腕だろうと思います。通奏低音のように流れる薄氷を踏むような感触は、名作とされる小説を読んだ読後感とまったく同じです。

絶品という言葉は、こういう作品のためにあるだろうと思います。
Shizka

Shizkaの感想・評価

2.3

このレビューはネタバレを含みます

空港に行く途中、飛行機の中で、切れ切れに、まどろみながら見ていたからか、なんにも響くものがなかった。

フィリップ・シーモア・ホフマンのカポーティぶりは頑張っていたけれど、そこまで魅力的な人物として描かれていなかった。クセや表層を真似てはいたけど、そこにばかり注力してない? 

それに、犯罪者に情がうつる理由がわからなかった。そこまで苦しむほど入れ込むかね? 最初から職業として接していたでしょう。しかも犯人役も深入りしたいと思わせるような人物像でもなくない?

興味を持つ、観察する、それはいい。でも2人が特段親しくなったキッカケはないように見えたし、親しくなるような人種でもないように見えた。

結局は自分の小説を完成させるために弁護士を探さなかった。芸術家はかくあるべしだが、新米の新聞記者でも、なりたての神父でもおんなじ映画が作れたことだろう。

カポーティは優しい人柄で、いろんな人に情を移す、人の死を見てショックで小説が書けなくなってしまう、そのためだけにこの映画を作成したのだとしたら、カポーティというキャラクターを追いかけすぎて肝心の感情を置き忘れて作られている。

訴えるものがなにもない。
torakoa

torakoaの感想・評価

4.8
一家4人が殺害された事件に興味を持ち取材に乗り出した著名な作家・カポーティがノンフィクション小説という新たな形体で『冷血(原題:IN COLD BLOOD)』という本を書き上げる過程の話。実話ベース。

1959年11月15日 事件発生
1960年1月6日 犯人逮捕
1966年 出版

非常にクオリティの高いクレバーな作品という印象を受けた。
人に勧めたい度、私の評価基準であるまた観たい度、好き度で言ったら決して高くはないものの、高評価せざるを得ない。
原作・カポーティ関連作品未読未見。

だいぶ前にhuluか何かで観たはずだがほとんど憶えてなくて、クリス・クーパー出演作ゆえ再鑑賞。自分の見どころ・捉え方の変化が興味深くもあった。
何となく動画配信サービスで観たものは記憶に残りにくい傾向があるような気がしている。

差し挟まれる景観が場面の説明や場面転換というばかりではなく、対比や暗喩といった意味を兼ねていたりする。というのは珍しいことではないだろうが、俳優陣の演技、音楽、映像面すべてにおいて地味ながら良質なものを揃え、それらが積み重ることでより深い意味を感じさせられたように思う。

このように一つ一つを見たら非凡という程でもない、と判じられたとしても、総合的に非凡な作品になっていると私は感じた。

補足と蛇足
「地味」というのは突出して目立ちはしない、ということで、「地味」「目立たない」理由は優れていないからではなく、目立とうとしていないからだと思った時にこういう褒め方をしている。私が度々使ってしまっている「個の主張がない」と同義。
「控えめ」「抑えた演技」といった褒め言葉向きの言い方もあれど、出力不足、出し惜しみ、みたいなニュアンスを感じられそうな気がしてあまり使っていない。
蛇足↓
調和を重んじたような目立たないクオリティの高さを感じる演技などを観るにつけ、ガラスの仮面の北島マヤ的なのは自分は評価しづらいかなあと思う。舞台あらしとかいうエピソードでその辺に言及してたっけかな。

閑話休題。

話の内容的にも映像的にもあまり動きのない作品。カメラの余計な揺れもほぼない。彩度低めのくすんだ色味で目に優しめ地味なトーンの映像。音楽もあまり使われていない。
動より静の印象が強く、それが作品世界、登場人物に集中させ引き込む要素になってると思う。
退屈に感じてしまうところでもあるのは否定しない。何にでも長短あるし。

音楽は和音の羅列と言ってもあながち間違ってもないような、旋律らしい旋律をほぼ持たないものが時折使われるだけで、感情を押しつけてくることはない。
こう思え的なものがないのは好きに捉えていいと言われてるようで、観客を信用して作ってる感じに好感持ったし、余計なことを考えずに済み、演者の一挙手一投足に集中して観れてしまった。

音楽も使い方もクレバーだなという印象を序盤で持って鑑賞できたのは大きかったと思う。
で、エンドクレジットで旋律を持った音楽が流れてきて、劇中の音楽は完結させたいのに書き終えられない滞った状態、行き詰まった状態の表現でもあったのかと思い至り、凄いセンスだなと感嘆した。脱帽する他ない感。
美しい旋律やエモーショナルなものばかりが優れた映画音楽ではない、というのは『メッセージ』でも思ったが、これはまた。ほとんど旋律のないものに音楽賞はやりづらいかもなとは思うけど、これは賞獲ってもいいと思う。
何てよく考えられ練られた作品なんだろう、と感心しながら観終えた。

そしてそのテンションのままこれ書き始めたので、すげー長い。

メイン俳優陣もクオリティ高い。
演者の芝居も動より静で地味めな訳だが、おおーと思う演技がいくつもあった。
演技に興味がある人は見どころ多いと思う。ソロとは違う、アンサンブルの良さを感じられるのではないかな。

クリス・クーパーが少ない出番で地味にクオリティ高い演技を見せてくれてたのがまず嬉しかった。ナチュラルな佇まいで場に溶け込んでる演技を見せてくれるとこ本当に好きだ。こう演じようとして動いてる、といった役者の意志・意図・作為が見えない感じが凄いなあと思う。何気なさが絶妙。樹木希林だったかの「ジュリー」みたいな気分になる。ク、クリスー。
友人が被害者となった事件の終焉に立合い、様々な思いが去来してるであろうことをほんの2秒ぐらいの間に、内に秘めたもの感をしっかり残し節度ある人物であることもさらっと表現していたのも痺れた。ああもう、クリスー。
少ない出番に真摯に取り組み臨んだことが窺える演技も、そういう役者も、観ると嬉しくなる。
妻役の人もよかった。

そして主人公の友人女性で作家でもあるネル(『アラバマ物語』で一躍脚光を浴びたらしい描写もある著名人)の人が地味に巧くて、おおおお !?てなった。
そういう人が実在してるだけにしか見えないナチュラルな演技、芝居してる役者であることを失念させるような佇まい。更に知性があり、それを当然のものとして生きている人という感じの何でもなさが秀逸。
知性を表現したければ利口そうに見せようとしそうなところを、当たり前に持って生きてきた人だからわざわざそうする必要がない、みたいなのが目からウロコだった。それがまた聡明な人であるという表現になってたというか。
この方は多分、他の作品で観ても気づかないか印象に残らないだろう。それが彼女の凄さ、作品に溶け込む能力の高い役者ではないかなと思うので。地味ではあっても凡庸ではない役者だと思う。
キャサリン・キーナーさんφ(.. )

後でWikipedia見たらアカデミー助演女優賞ノミネートされてたようで物凄く頷ける。こういう演技、こういう役者は評価されてほしい。

犯人役二人の気負いのなさもいい。別の人がやってたらこうはならなかったかもと思わせる演技だった。

出番少ないほうの犯人の人が終盤で軽口言うとこ。力みのなさナチュラルさで、ふわっと温かみがあって、主人公への配慮かもしれないと思わせるあたり。死刑確定の凶悪犯ながら、無邪気さや愛嬌といった面も持ち合わせていて、大きく踏み外すことがなければ、歯止めとなる良縁に恵まれていれば、どこかで誰かの愛すべき隣人として生を全うしたかもしれないと思わせるあたり。人は多面的で、いいところが一つもない人はいないのだという表現にもなっていたと思うし、少ない出番で素晴らしい演技を見せていたと思う。
マーク・ペルグリノさんφ(.. )

メインのほうも保安官住宅だかでの見られてること・撮影されていることを全く意識してないような佇まいや、人を信用していなくて懐かない猫科動物みたいな雰囲気醸し出してるのもよかった。この方も、こういう役でよくぞまあ、と言いたくなる力みのなさ、演技してます感のなさで、この人じゃなかったらこの作品の核になる部分の何かが成立しなかったかもと思った。
クリフトン・コリンズ・Jr.さんφ(.. )

個の主張なく作品世界に馴染んでそこでずっと生きてきた人みたいな感じがあったこの方々のおかげで作品全体の印象が名作と言われても納得してしまうような域に押し上げられていると思う。
俳優陣が各々の演技をリスペクトし相互に影響を及ぼし合って高みに向かった、ケミストリーとかいうやつではないかなとも思った。
この誰もが助演男優賞、助演女優賞にノミネートされても納得いくし、アンサンブル演技賞みたいなの受賞するに相応しいのはまさにこういうのではないかと思う。

そして、彼らを印象的に引き立てたのはほぼ動きのない映像とこれといった意味を持たせていない音楽等、ノイズのなさだと思う。バランス感覚の妙、引き算の美みたいな、総合的なクオリティの高さを感じる。

彼らの良演技なくして主演男優賞はなかったであろうことはフィリップ・シーモア・ホフマンもわかっていただろう。彼単独で観たら正直私はそこまでピンとこなかったかもしれない。特徴的に作ってる割に芝居してる役者感が薄めで、役を演じようとしてる素の役者部分をほぼ見せない、力の抜けた演技は全編でよかったし、受賞が不思議な訳ではないが。
著名な人気作家だからそんなに面白くなくても盛り上がって貰えてるんだろうなと思ってたら、カポーティ本人のことを「話術が巧みで人を惹き付ける魅力的な人物だった」とか言ってて、それは表現しきれてなかったかもなーとか、そういうの。

終盤のシーンは、リハーサルでは割と冷静に演じていて監督からそれでいくのかと言われ、感情的になれというのか?そうはしない、するつもりはないとか言っていて本番でああなったのだそうで。
そう演じようとしたのではない、溢れ出たものである演技が観られる。

話は架空の物語の主人公としてならまず受け容れられないはずの言動が散見する。結構嫌な気分になる話。
犯人との交流に虚飾や欺瞞、エゴが感じられるからだろう。真摯ではない。見下してる感じ、時に小馬鹿にしたような感じや傲慢さも見える。
それらは表に出すか出さないかの差は大きいにしろ正直な感情であり、リアルだと思う。とはいえ、たとえ己にある感情であろうとも見たくない・見せられたくないという感情もある訳で。

取材に野次馬根性的なものがあること、仕事のために接触し仕事に利用すること、自分の生活や人間関係が大事であること、収監されている罪人より自由の身である人のほうが上だと思うこと。
主人公の感情は殊更に非難されるほどのものでもないと思う。嫌われたくない・失望させたくない・関係を壊したくないから嘘で誤魔化そうとするのも憶えのある人は多いのではないか。

興味を持った事件の記事や書籍などを読んだことがある自分に彼を責められるところはあるのか?と考えてみたらほぼなかった。
ただ、傍観者としては、もう少し相手に寄り添った言動をしてくれてもと思うのも無理からぬことだと思う。古来、人が物語に望むものは何かしらの気持ちよさだろうから。

主人公は他者にも自分にもシニカルな視点があって、それゆえの個性で評価されたところもある人なんだろうし、それゆえにしたい気持ちがあってもすべきでないと思うことも、罪悪感がありながらもすべきと思うこともあり、シンプルに行動することは困難だったんだろう。
こうしたい気持ち、こうありたい自分、他者からの評価視点でこうあるべき自分、といったものの間で思い悩むことは誰しもあるだろうし、著名人ならもっと煩悶があるんだろう。

嘘を吐いてはいるが、多分主人公の感情には何ら嘘はない。力になりたい気持ちにも、早く終わらせたい気持ちにも、喪いたくない気持ちにも、後悔の念にも。その場その場の感情は本当にそうであっても、喉元過ぎれば熱さを忘れる的になって真摯に向き合ってるとは言えないものになってるとこもあるのではないか。

不遇な家庭環境だったという共鳴するものがあり、親愛の情もあるが、目的のために繋がっている関係であり、目的のためには応えられないことがあり、彼らに完全に寄り添うことはできない。どっちつかずのようになっていることへの苛立ちや煩悶、自己嫌悪感もあって、それが非情にも感じる言動、早く終わって欲しいと希うことに繋がっているのだろう。
どうしたらいいかわからない、という気持ちもあったろうけど、そう正直に弱さを出せる人ではなかったのではないか。

何が何でも終わらせたいとまでは思わないけど、いっそ終わってしまえば楽かもと考えることなんて多分誰にでもあると思う。仕事とか絶対辞める強固な意志まではいかないけど辞めたら楽かなーとか。人の生死が関わってて同列にできないこととしても、そういう気持ちの延長線上にあると思えば何となくわかるんだよなー。人でなしな考えだという自覚があるから精神的に参っていく訳で。

暗く狭く重苦しさを感じる刑務所内の場面と、地平線が見えるような広大な景観は主人公の心情も表していて、好意は確かにあるにしろ圧迫感を抱いてもいて、離れると開放感がある。ってのも正直なところなんじゃないかなー。

彼が露悪的な言い方をしたりしていて、それも本音ではあるにしろ一面であり、別の面には別の本心もあることを聡明なネルは多分察している。しょうがない人だなあとかは思っても追求しないあたりにも長年の友人関係らしさが出ていると思った。説明は少ないけど表現はしてる、いい匙加減。
本音は一つしか存在しない訳でもないと思うんだよね。人は多面的、多層的で、そうシンプルではないだろうから。

殺人事件に第三者として関わって何かを失う人は多いのかもしれない。最近観た『ゾディアック』『マン・ハント:ユナボマー』もそうだった。

脚本は監督と12歳から交友関係のある俳優ダン・ファターマン(またはダン・フッターマン)さんだそうで、何か憶えがある名前だなと思ったら『バードケージ』で息子役やってた、たまにリーヴ・シュレイバーやや似な彼だった。脚本家専業となってもう俳優業はやってないらしい。リーヴと家族役やってみてほしかったなー。初めて脚本書いたというこの作品から光るセンスがありそうで、専業になったのもわかるけども。

吹替・英語字幕入。
映像特典はセル版のみかもしれない。メイキングドキュメンタリー集、監督とフィリップ・シーモア・ホフマンによるコメンタリー。
コメンタリーは映画製作に興味ある方にも興味深いところがある内容だと思う。
クリス・クーパーのシーンはどれも見応えあるとかフィリップ・シーモア・ホフマンが言ってて結構嬉しかった。そうなんだよーちょっとしたとこでもこれ見よがしでない巧さが絶妙なんだよー。
良演技が多かったので心の中で相槌打ちまくり、ちょっと会話に参加したくなるコメンタリーだった。
この監督の他の作品も観てみようと思う。

字幕・吹替翻訳:松崎広幸
難解そうかなーと思ってたが普通にすんなり話が入ってくる字幕で、会話も普通に成立してて、普通に観れた。この前に観たやつの字幕がアレだったので、普通っていいなあとしみじみ思った。ありがたいことです。
字幕と吹替を別の人にしてもらえてたら尚ありがたかったけど、どちらかというと吹替翻訳のほうが多い方っぽいのかな。
MarySue

MarySueの感想・評価

3.9
結局、カポーティは「冷血」を書くために死刑囚への取材中に何を感じていたのか。

カポーティが作品中に自分の思いを吐露するシーンは少なく、死刑囚に作品はまだ書いていないと嘘をつく理由も、作品の題材に利用する道具として考えているから手の内を明かさないだけなのか、焦燥感を煽って早く取材をしたいだけなのか。

取材を進めていく上で友情が芽生えてくる作品と捉えるのか、そもそも全ては作品を書き上げるために行ったカポーティの演技に過ぎないのか。

話はそこまで複雑ではないにせよ、どこか難しい作品でした。フィリップ・シーモア・ホフマンの演技は静かながらも力強さがあり、淡々と進む今作と親和性を感じました。ある意味この映画も「冷血」なのかも。
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