童年往事 時の流れの作品情報・感想・評価

「童年往事 時の流れ」に投稿された感想・評価

さすが台湾ニューシネマ、人間を描きながら、彼ら彼女たちが生きる空間や時代を雰囲気として描きとる力量たるや、圧巻である。この作品に描かれた、1947年から10年ほどの時間、台南の空気感というものは、もはや演出によって生み出されるものなどではなく、「確かにそこに存在している」という確固不抜の事実によって裏打ちされた絶対的な真理なのだとわかる。

その中で、まさしく時代という根本的な軸、あるいは国家という基盤的な存在が揺らいでいくその最中、そこに生きる主人公たちは「生きる」「死ぬ」という絶対的な時空間の狭間で悩み生きていく。その「空気」そのものを描ききった傑作であり、同監督の『悲情城市』やエドワード・ヤンの『クーリンチェ少年殺人事件』に一脈相通じる色合いが、正しくこの作品を綾なしていたのであった。
p2

p2の感想・評価

5.0
どれだけ悲劇的な事件が起こっても、カメラを被写体に寄せてその表情を説明したりはしない。
窓から屋内に差し込む光、夜景で屋内から漏れるオレンジ色の灯り、木の葉や布や煙を通過する透過光など、様々な光線によって抽象化された陰と陽のスペースが感動的な引き画を生成している。
侯孝賢監督作品。素晴らしいですね。ほとんど日本と変わらないといってもいい風景で、家の中や草木溢れる自然の映像など、日本の田舎を観ているみたいでした。田舎を一番上手く撮る監督かもしれないですね。雨が降ってくる描写もよかったです。侯孝賢監督は主に少年を主人公として田舎を舞台にしている作品が多いので、観ているだけでなんか懐かしいなぁという気持ちになる。普段はそうは思わないんですが、こうして映像として切り取って観ると自然って人工では勝てない美しさがあるんだなと思いますね。日常を上手く映画にする監督は全員凄いですね。侯孝賢監督は素晴らしい監督の一人です。
帽子

帽子の感想・評価

4.1
これを見て、侯孝賢作品が日本の小津安二郎っぽいと言われる所以がわかった気がする。意図せずとも、冒頭の家屋の扉越しに座る父親の姿は『晩春』(1949)の笠智衆の姿を想起させる。
全体を通してあまり映画っぽくない、長回し撮影の影響もあるかと思うが誰かの記憶の中を覗き見ているような感覚になる。
その点自分自身の原風景との類似点が見つけやすく、観客が映画世界に入り込める。
侯孝賢は、子供時代の思い出を描くことに非常に長けている作家だと思う。
Ryoma

Ryomaの感想・評価

4.0
安易な結び付けかもしれないが、例えば「となりのトトロ」に通じる、アジア人の心の奥底に眠る「心象風景」を刺激する映画だと思う。
土に照り付ける陽光のギラギラ、蒸された大地の匂い、青草の不吉なざわめき、雨の気配・・・木造の汗染みついた家屋、通り抜ける夏の風の青いかたまり・・・おばあちゃんの無償の包容力、目頭の皺皺、おとうさんの病気の記憶、底なしの恐ろしさ・・・あいつの足裏の汚れ、あの娘の火照った存在・・・等々の彼方にぼんやりと浮かんでは消えるあのイメージのような・・・
一人旅

一人旅の感想・評価

4.0
ホウ・シャオシェン監督作。

中国本土から台湾に移住した家族の日常を描いた作品。

台湾の近代史を振り返るというよりは、息子阿孝の少年期から青年期までの出来事を中心に描いている。
台湾は日本に統治されていた影響もあって、町の風景が日本の田舎町を彷彿とさせる。映像だけ見れば日本映画と勘違いしてしまいそうだ。
その中で特に印象的だったのは、一家が住む家が非常に日本的であったこと。ふすま、畳、障子、縁側のある純和風の家だ。日本的ではあるが、一方で台湾らしさはまるで感じられない。日本による統治終焉後、今度は本土から中国人(外省人)の台湾への移住が始まってしまった。台湾独自の文化が形成される暇なく外部によって支配され続ける悲劇。“台湾”と聞いて具体的イメージやワードがパッと浮かびにくいのはそうした歴史的背景が関係しているのかもしれない。
ホウシャオシェン監督の自伝的映画。
成長するにつれて大人が次々に死んでいく。
家と死からは逃れられないから、仕方なく不良しながら家事をする。
父の死に母が嗚咽している所に衝撃を受ける場面が印象的。
男と女の自由さと肝心な時の対応力の差がちょうど対称になっていた。
死ぬ時に残すものも、父は自伝で祖母はあの世で使えるお金、と実用の差。
毱

毱の感想・評価

-
侯孝賢自らの声によるオープニングのナレーション。
主人公のアハの成長を描く作品。
お金を、家の前の道に隠したもののそれを盗まれた小学生の頃のアハ。
当然ではあるものの怒られた彼が申し訳なさそうにご飯を食べ、贖罪のようにお皿を洗う姿と、その姿に「大丈夫だよ」という祖母の姿が印象に残っている。
父、母、そして祖母の死……。年齢的な順番で訪れるわけではない三者三様の死(書いた順番で訪れている)。その死を弔う人々のグラデーション。父の死には母が咽び泣き、咽頭癌におかされた母の死にはアハ(だったと思う)が静かに泣いている。老衰で——すなわち天寿を全うしたとも言える祖母の死は、一般的にイメージされる「穏やかな死」とはかけ離れている。先の二者とは異なり、その屍には蠅(?)がたかり、身体はただれている。これだけ「死」が描かれる映画であろうと、その「死」は、どれとして同じでない。そこにある差異は、対象(死者)への愛情の違いではなく、その年代の「死」への隔たりだと不思議と思える理由を、この映画を再見してまた確認してみたいと思う。

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・鳥殺し=運命を変える?
・やや低めからの小津的ショット
デニロ

デニロの感想・評価

3.0
1985年製作。脚本朱天文、侯孝賢。侯孝賢監督作品。

侯孝賢自らの幼い頃の記憶を映像化したのかとも思うけれど、彼特有の遠景撮影はここからすでに始まっているのかと思う。全体を見ながらもどこかあやふやで、取り留めのない日常を描く手法として選択したのだろうか。

そして本作の後にもしばしば描かれる台湾と大陸との関係。日本ではある日を境に中華民国が台湾になり、中共が中国になった。これを国際政治力学とでもいうのだろうか。本作では主人公のお祖母ちゃんの大陸への望郷の念が作品全体を覆っているのだが、それは今もあるのだろうか。それとも、いや、それはその国の為政者を選択する国民の思案だ。

さてわたしは、辛樹芬(シン・シューフェン)を見つけてきたというだけで侯孝賢という人を評価いたします。

K's cinema 台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集 にて

このレビューはネタバレを含みます

邦題に "時の流れ" って付いてるのいいな。苦しさが混じった余韻が残る映画だった

お金を埋めるくだりで、埋めるときは木にアハの影が映っていてそのあとのシーンでは影はなくてそれで時間の経過がわかるの良い。ミニ時の流れ。あと何のシーンか失念したがアハが家に帰ってくるところ。塀を乗り越えてやってくる気配はあるのだが、しばらくアハは画面上にいなくてただ庭が映ってる様子が好きだった。定点観測のような

牛乳好きの三男アチュウ(名前うろ覚え)が美文字
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