世界の果ての通学路の作品情報・感想・評価・動画配信

「世界の果ての通学路」に投稿された感想・評価

【希望と覚悟】

新型コロナウイルスの影響で学校が休校となって2ヶ月以上。
めでたく今年から小学校一年生になったうちの息子にとっては「学校が休み」という感覚がわからないようだった。無理もない。入学式の数日後から休校となっていたんだし。

「学校行けなくて寂しい?」
「ん~~~~~わかんない。だって、学校がまだどんなとこかも知らないもん」

そうなんだ・・・そうだよね。

で、自分も思ったんです。
(僕はどうして学校に行ってたんだろう?)って。

小学校、中学校、高校、大学・・・
「義務教育」なんて言葉は後々知ることになるとして、安直に「学校に行く年になったから」、ただそれだけの理由しかなかった。
子供にとっては「学校に行く義務」、親にとっては「学校に行かせる義務」。

でも(何のために学校に行くの?)っていう理由は「義務教育」という言葉の中にはない。
「勉強するため?」嫌々勉強させられても身に付かないのに?
「人間関係を学ぶため?」ん~~・・・だとしたら人間関係で疲弊することのほうが多い学校は行かなくても良いってことになる。

つまり「制度」として国民の教養や文化レベルを押し上げるという点では一定の効果はあるのだと思う。日本の識字率は世界中でもトップクラスだし、ゲルニカをみれば「ピカソだね」と言えるのは、そういう普段のなんとも思わないレベルの知識。
だけど、私たちが当たり前と思っている知識や文化の水準は、世界から見れば当たり前とは言い切れない。

この作品に出て来る子供たちは、どの子もキラキラと輝くきれいな目をしている。
学校に行けることが嬉しくて仕方ないのだ。
だから、学校に行くために野生動物が沢山いる危険なサバンナを横断しなければならなくても、殆ど道とは言えないような崖の合間を縫うように何時間も歩いたとしても、体に障害がある兄弟を乗せたボロボロの車椅子を押しながら道なき道を進んでいったとしても、みんな笑顔なのだ。

「学校へ行きたい」

子供たちは未来に夢を馳せる。
ある子供は「医者になりたい」と願う。ある子供は「人の為になりたい」と願う。
ある子供は「飛行機に乗って世界を見てみたい」と願う。
だから、彼らは片道4時間かかろうとも、道すがら象の群れを避けるために1km遠回りしたとしても、車椅子のタイヤが外れてこれ以上前に進めないよ!となっても決して諦めない。
今までだってそうしてきたし、明日からも同じように「何があっても」学校に通うため。

そして、そんな子供たちの未来を繋ぐために、親はあえて学校へ通わせる。
決して当たり前なんかじゃないし義務でもない。経済的な事情だってあるだろう。
だけど、未来を見つめる子供たちの真剣な目と、それ以上に「命懸け」で学校へ通わせる親の心の中にだって「希望」と同じだけの「覚悟」がある。

親という字は「木の上に立って見る」と書く。
一旦子供を送り出したら、後は子供が自分の力で生き抜いてくれるのをただ信じる事しかできない。
だから子供が未来に向かって一歩一歩歩んでいく様を、ずっとずっと見えなくなるまで木の上に立って見守る事しかできない。だから遠くから子供たちの無事を祈り続ける。小さなお守りを持たせて少しでも子供を勇気付ける。全ては「明日を自分で生き抜く子供」を見守るため。


別に日本の事情と比べる必要はないと思う。
「ほら、こんなに大変な道を通って学校に行ってる子だっているんだよ。あんたも頑張んなさい!」
それはちょっとポイントが違う気もする。
彼らは自分たちの境遇を不幸だとは感じていないし、毎日「決意」を持って学校に通っているだけだから。

「日本」という単位で比べてしまえば「制度」が先にある以上、どうしようもないのかもしれないけど、自分自身に置き換えてみた時、学校に通うことに「決意」を持ったことはなかった。
だからといって無駄な時間を過ごしたとは思わないけど、それでも同じ世界の違う場所では、「1歩」「1分」「1m」の意味がこんなに違うものかと考えさせられた。


惜しいのは、ドキュメントという体を取っていながらもカメラワークが作為的というか、カット割や偶発的な出来事の撮り方が的確すぎて、若干「演出的な匂い」すら感じてしまった。
もっと、さり気ない素朴な映像でも充分伝わったのにな・・・と思えただけに、ちょっと蛇足に思えた部分でもあった。
AE35UNIT

AE35UNITの感想・評価

3.2
辺境と呼ばれるような4カ国の子供の登下校を追うドキュメンタリー。演出されていると思われる箇所がほとんどだが、それぞれの生活の過酷さを世界に伝える目的に忠実なので、さほど問題ではないかと思う。
NHK番組「カラフル!」とか好きだったので、そうした世界の子供の日常を覗き見る感覚の面白さがあった。
過酷な道のりを数時間かけて20km先の学校へと毎日通学する世界各地の少年少女たちのドキュメンタリー。危険な野生動物のいるサバンナを抜ける。友らと山脈を越えてひた歩く。車椅子の兄を弟二人が押して進む。平原を馬で駆ける。彼らは一様にそれを苦にするところがない。それが皆の当たり前なのだ。学習を志す子供たちのキラキラした目が印象的。本当にみんな可愛らしい。
ただ。過酷な道行きを更に過酷に見せようとする数々の演出が頂けない。多分そこにいない象から逃げさせられ、トラックはいかにも都合悪く道を塞ぎ、普段は通らない川で立ち往生し、車椅子のタイヤは外れる。乗せてくれたトラックの運転手が途中で祈りを捧げているのを、遅刻しそうな少女らが見下ろしている演出は如何なものか。作り手側の対象への敬意のなさが其処此処に垣間見えて嫌な気分にさせられる。せっかくの着眼の良さを台無しにしている。
deenity

deenityの感想・評価

3.5
職場の方からお借りした作品。世界各国の子供たちが学校に通う姿を映したドキュメンタリーのような映画。まあそれだけと言えばそれだけなのだが、実際その過酷さを目の当たりにしたら退屈には感じられなかった。

例えば単純に通学時間だけ切り取ってもいろいろある。自分なんかは高校の時こそ自転車で6Kmの道のりを30分くらいかけていたが、それだけでも大変だと感じた。
しかし、世界には小学生ですら4時間かけて通ったり、22Kmの山道を歩いたり、車椅子の兄弟を連れたり、野生動物に細心の注意を払って登校したりしている子どもがたくさんいる。

今の日本にはそういう境遇の子はなかなかいない。いかに自分たちが恵まれているかということがよくわかる。

印象的だったのは子どもたちを送り出す親だ。みんな祈りを捧げたり見送りをしたりして子どもの無事を願っている。
学校に行って帰ってくる。それだけのことなのに、生きて帰ってくる保証もない。何事もないことがいかに幸せなことか、というのを改めて実感させられた。

そんな思いまでして学校に通うのは学びたい気持ちがあるからだ。何で学びたいかというと、叶えたい夢があるからだ。
ラストシーンで子どもたちは生き生きと夢を語っていた。今日本の子どもたちは自信を持って夢を語れる子がどれだけいるだろう。惰性で学校に行き、授業中に寝るような学習意欲の低い現状ではいけない。恵まれ過ぎるからこその弊害なのかもしれない。
子供たちのかわいらしさ、
そして何より勇敢さに
終始号泣しながら見てました笑

私は本当に恵まれています。
是非色んな子供達に見てほしい。
CISVの集合場所へ行く前に朝一で映画館へ。世界には、こんなにも大変な道を通り学校へ通っている子もいるんだ…それを見てほしかった。
当時小学6年生。友達みんなが持ってるから、携帯がほしくてほしくてたまらない時期だった。
だから何度も何度も言い争いになった。

見終わった後に、代々木オリンピックセンターの食堂で伝えたことは…
1.君を信頼している。
2.君自身の五感を大切に磨いてほしい。携帯が守ってくれる訳じゃなく、本能で察知した危険に対し、咄嗟に判断できる力が君を助けることになると思うから。
3.この映画を思い出してほしい。彼らはどんなふうに学校へ行こうとしているか…

なぜ、息子さんは携帯を持たなくても平気なのですか?と面談で担任の先生から聞かれたときに伝えたエピソード。
担任の先生も自分の子に対し悩んでいたようで、
霧が晴れた笑顔で「使わせてください!」と仰った。

正直、息子は平気じゃなかったと思う。
喉から手が出るほどほしかったはず。それでも
この後数年ほど言い出さなかったのは、彼なりに
「伝えた言葉、映画に込めた想い」を理解したからなのではないかと。
この映画のおかげで、豆腐のような信念でも貫けた思い出深い作品。
sunaimai

sunaimaiの感想・評価

1.5
映像は美しく、子ども達の姿は生き生き。が、あまりに過剰な演出の連続。ヒッチハイク、水溜まり、行く手をふさぐトラックなどが次々と登場し、川口浩探検隊を観ている気分でした。 ふざけていない分、醜悪さを感じた。
ライオンに食べられるかもしれない通学路を通う子供たち、満員の東横線に押し込まれる通勤のわたし。
世界は広い。
フランス語の授業で見た映画。

同じ時代なんだよね、
ただ生まれた国が違うだけで
こんなにも生活が違う

私たちにできることがあるはずだよなあ、
tulip

tulipの感想・評価

3.6
世界にはいろんな通学路があって
そこには危険な通学路や悪路を
長時間歩いて学校にいく姿に感動

わたしが小学生の時は
勉強したくない学校行きたくない
って思っていたけれど
学校になんの危険もなく
普通にいけるということを
もっと感謝しなければいけないなと思った。
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