どん底の作品情報・感想・評価・動画配信

「どん底」に投稿された感想・評価

た

たの感想・評価

3.8
This is どん底
ベルイマンみたいな1セットで撮られている感じ
どん底でも笑うし、普通に生活してるし、生活レベル(クオリティオブライフ的な)が下がるだけだよってことかなと思った。
超絶傑作『蜘蛛巣城』と『隠し砦の三悪人』の間に撮られた地味作って印象でほとんど覚えてなかったけど、観直してみりゃ地味なりにビシッと見応え。特筆すべきは映画史上最強って感じの超絶ボロ家。ガリガリ博士並みに斜めってる。このセットだけで当時の撮影所システムの底力が判る。底無し絶望感を印影で表す照明もカメラも凄い。そのボロ家の中だけで名優群が一丸となって哀しきダメ人間を演じ、世界の三船もここでは一丸の1人。あえて主役はといえば左卜全だったかも。三好栄子の壮絶死にかけ演技も映画史レベル。『どですかでん』の原型とも見えるしテンツクテンで最高のミュージカルだったとも言いたい。あそこは北野武版『座頭市』に影響与えてるんじゃないかな?
風神

風神の感想・評価

3.2
ゴーリキーの戯曲を時代劇に!

三船敏郎さんの主役感は薄いです。

みんなで踊る
馬鹿囃子が大好きです!
hikkiman

hikkimanの感想・評価

1.1

このレビューはネタバレを含みます

何を言ってんのかが、聞き取れない・・
でもまあ、話の流れはだいたいわかる。
その上で、心に何も残らず。
古い日本映画は字幕つけてほしいわ。
AyuAyu15

AyuAyu15の感想・評価

4.8
『どん底』という言葉はほんとに重みのある言葉。
ゴーリキーの原作は読んでないけど、この世で貧困とか性質、性格、強く出ると障害、とか、しがらみとか。
そんなものが絡み合って、一度落ちたらどんなにもがいても這い上がれない『掃き溜め』の世界。今もなお続いていてどこかに必ずあるそんな世界を描く映画の元祖的な黒澤作品。

一番印象に残ったのは口三味線で歌い踊るロクデナシたちのパワー。カッコいい‼️
日本人はなんでこんなにカッコいい芸能を手放したのかな。
例えばラップに通ずるパワーを感じたな。ラップよりパワフルかも。

左卜全のお遍路さん、急にやって来て色々口出してまた急に去って行ったけど、自分は河原の石で削られて削られてまぁるくなったかも知れないけど、だからと言ってどん底を救うことは人1人の力では出来ないよねぇ。。。
遣る瀬無いねぇ。。。
ジョウ

ジョウの感想・評価

4.3
まさしくどん底の社会層で生きる人達にフォーカスしているけど、非常に楽しい作品。
人間関係も皮肉も踊りもどれもが面白おかしく、ほとんどのキャラクターが人生に諦めているため自虐的でもある。
左卜全さんの雰囲気好きです。
木久扇師匠に似てる。

このレビューはネタバレを含みます

https://umemomoliwu.com/the-lower-depths
黒澤明監督作品。
崖下の崩れかけの長屋に人生どん底状態な人々が暮らしている。ある日新しく巡礼の嘉平が長屋に訪れるが・・・という話。

長屋を中心とした会話劇。ゴーリキーの「どん底」が原作でありながら、江戸町民のユーモアであまり暗くなく、けっこう笑え、そして時折しゅんとさせる。

会話劇でありながら、黒澤組役者達の演技合戦により楽しく観れた。
山田五十鈴が一番存在感を出していた。中村鴈治郎がメイクで鴈治郎に見えない。いつも志村喬がやりそうな役を左卜全が演じていた。
女にベタぼれの三船敏郎がかわいい。
梶岡

梶岡の感想・評価

3.9
※またもやレビューしてません。笑⚠️

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

深く暗く、変に気の抜けた海底に、彼は永遠に立ち尽くすに違いない。


産声をあげる間もなく、へその緒を錨に結び付けられたその胎児は、古代の海神から名をとって「バクナワ」と名づけられることになっていた。
彼は、海水が羊水の代わりとして機能することを自ら念入りに確認した後、安らかに、実に安らかに、光のない"どん底"へと沈みこんでいった。

この計画の概要は、凡そ2世紀半をかけて「ハイパー・アース」の最深部である「ダルヴァザ」へと彼を投下して、十分なデータと精神的な成熟をもって回収し、地上の環境への適正を検査するという至ってシンプルなものだった。

地上での生存は大変難しいと言われる新現代に、彼が水の中に落とされていった理由は大きく二つ。

ひとつは、進化論に沿ってヒトから水棲生物へと分化した「ケイネアス」と、未だ灼熱の地面に古臭く這い回る「サピエンス」のハイブリッドとしての生存能力の最終チェック。
そしてひとつは、近年では家庭向けに実用化されつつある「脳機能イメージング技術」のデータ採集が目的であった。

そして、今や富裕層がその98%を独占している莫大な「人間性」を投じて造られた、そのジーン・リッチな"デザイナー・ベイビー"の一挙手一投足に、当然世界中の人々が目を見張り、どのチャンネルも彼が沈みゆく様子を256 Kフル-ビジョンで映し出していた。

彼が感じたことや考えたことは、大脳に直接繋がれた幾本ものパイプ・センサーによって漏れなく水素信号に変換され、光速を超えて我々の星のデータベースへ転送される。

新現代人の多くがそうであるように、あらゆる技術を用いて生物としての基本的な欲求を完全に満たしている状態は勿論保たれていたものの、彼から送られてくる思案の大半は、大衆の横暴な予想に反して、西暦幾千年の歴史において知り尽くされた常識の範疇を出なかった。

しかし、中には人類の胸の奥に密やかに眠る原始的な感覚を呼び覚ますような興味深いものもちらほら見受けられ、それらは大変ピュアで、且つ副産的な哲学を帯びていた。

例えば、「どこからどこまでが"自分"という領域に属しているのか」などがそれにあたる。
生まれてこの方、黒い海水に包まれ続けていた彼には、"触れる","触れられる" という関係式を知ることは出来なかったのだから、自身の輪郭というのをハッキリさせる術などが無かったのは誰の目にも自明であるし、そうする必要もまるでなかったように思われる。

傍から見ると彼はこのように、「他者」を通した"自分"との絶え間ない対話を溺愛する我々には、決して真似出来ない"究極の客観性"を獲得しているように思われたようで、ないものねだりの強欲な囚人達が、せっせと"それ"を商業主義に結びつけていく様は甚だ滑稽だった。


そんな具合に、概ね順調に進んでいたこの動物実験であったが、ある時荒唐無稽に、彼に搭載された「統合的意思伝達システム(ICS)」に重大なマシン・トラブルが確認され、このプロジェクトは、彼が海底に到達する当初の見積もりよりも50年も早く"引き揚げ"ることが頭首大会で決定した。


彼を見守ることに矛先のない母性を注いできた婦人達や、画面越しに彼と青春時代を共有してきた少年少女、自動化の功名で浅く広く神格化されたマス・メディア界や、嫌に利己的な科学者達にとって「観察の終了」はとても名残惜しい事ではあったが、この悲劇の超生物"バクナワ"にも半分は我々と同じ血脈が刻まれている以上、人権保障も少なくとも半分は為されるべきであったわけだし、政治機関からしても一部の過激な擁護団体への対処が億劫になってきたというのが本音だったようだ。

然して、表向きには、「バクナワはとうとうめでたく成体になり、実験は見事に成功した」との祝報が拡散され、遂に彼へ「海面への上昇許可」がおりたのだった。




しかし、その場にいた誰もが見落としていたのは、彼が「上」という概念をてんで理解していないという事実だった。


静まり返った底なしの海には、行けども行けども「下」しかなく、「上」というのは底を初めて認識するまで想像することも出来ない代物なのだ。

彼には、たった一人でその星の全てと一体化して、名前のない方向へ真っ直ぐに、一秒後の自分の影を通過していくことの他に、できることは何も無い。

その後の半世紀間、彼は「上昇」という言葉の意味を考え続けたが、遂にはその答えを知ることはなかった。


そして、本日。

予定通りの潜水速度を彼が律儀に保っていたのならば、おそらくバクナワは海底に着地し、人間たちがすべからく苛まれる「相対性」の愚かさを知って今頃は絶望しているはずなのだ。

ただでさえ膨大な水圧に上乗せされた、彼の胸の苦しみを思うと、私如きが悩まされている能動的なニヒリズムなどは、本当は「作為」と「嫉妬」から生まれた"天邪鬼"に過ぎないことに、否が応でも気がついてしまう。


彼は「上」の存在を知って、やはり海上を目指し踵を返すのだろうか?


それとも、長い旅路の中で唯一の友人だったであろう「中立」の価値を再認識して、海底で一生を終える心算をしているのだろうか?



私が思うに、彼は、そんな妙に気にかかる海底に、永遠に立ち尽くすに違いない。


なぜなら、我々が目指すべき「上」とは、水平にゆらめく「底」にこそあって、地上には本物の"どん底"の他には、何もないのだから。



『上底』梶岡
2020/8/17
イシ

イシの感想・評価

3.2
よかった。あまり過剰な感じがしなくて。
ときどき、や、そんなに叫ぶなよと思ったけど、邦画あるあるやしなー。
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