ミス・マルクスの作品情報・感想・評価(ネタバレなし)

『ミス・マルクス』に投稿された感想・評価

RIO

RIOの感想・評価

3.6
19世紀のロンドン
社会主義とフェニミズム

フェミニストの先駆けともいえるエリノアの目は苦しんでる人にまっすぐに向けられている
長きに渡る圧力からマルクスの流れに逆らっているようだけれど
フェミニストの立場からいえばたとえ未完であったとしても大きな1歩を進めてる

マルクスの天才的な能力を著作へ向けたイェニーに宛てた手紙が良かった
この2人の同志にも似た強い絆をよく知っていたエリノア
父親と生き方と同じく妥協したくないから
あのような決断をしたのかなと考えてます


カール・マルクスの6人の子
マルクスを後世に伝えるために尽力した三姉妹
ジェニー・ラウラ・末娘エリノア
特に才能のあったエリノア
「資本論」の英語版の刊行も手掛け
作品中では「人形の家」戯曲のノラを演じていた
フローベールの「ボヴァリー夫人」やイプセンの戯曲「海の夫人」や「民衆の敵」などを最初に英訳してる

ペイズリーとパンクロックが良かった
眩

眩の感想・評価

-
しっかり者の女の人ほどクズ男から逃げないよね.......苦しくなった
やすを

やすをの感想・評価

3.2
エリノアが最後までエイヴリングに翻弄される姿。頭ではわかっているが、抑えられない気持ち。理論と実践の乖離。
マイ・バック・ページに続けて鑑賞。活動家と本来立ち上がるべき階級との距離が大きい。
カールマルクスの末娘でロンドンに産まれた女性の社会主義活動とその夫のお話

「なぜ実際の生産者が得られる富が最も少なく生産者ではない者が最も多くの富を得るのか」
※自分用備忘録※

観始めて2分頃にはハズレを確信したものの、要らない勿体ない精神が発動した為最後まで視聴。
『インターナショナルが人類をひとつにする』は最高に皮肉効いてた。

2022.10.21 WOWOW
pomzo

pomzoの感想・評価

3.0
主人公のエリノアの報われない人生に同情しつつも、いまいち彼女の逞しさや生き様が伝わりずらかった
パートナーのダメっぷりも何だか中途半端な気がして、あと一歩感が否め無い
音楽の使い方にも違和感を感じてしまった
ガライの演技が良かっただけに何だか勿体ない
密林レンタル。音楽がよい。ふたつのバンドが関わっている。ひとつは『Nico, 1988』などニッキャレッリの作品の代名詞なっているガット・チリエージャ・コントロ・イル・グランデ・フレッド。もうひとつは、今回彼女が初めて起用する合衆国のパックバンド、ダウンタウン・ボーイズだ。

ガット・チリエージャのほうは、アイロニカルながらロマンティックなメロディーラインを奏でてくれる。ぱっと聞いただけでそれとわかる音色。一方、ダウンタウン・ボーイズの荒削りだけど力強い響き。なんといっても『インターナショナル』のパンク版がすばらしい。こいつは最高だ。
https://www.youtube.com/watch?v=VtiRmoQEi6A

これを聞くと、僕なんかは自然に日本語の歌詞が頭の中で響きわたる。

起て飢えたる者よ/今ぞ日は近し/醒めよ我が同胞/暁は来ぬ/暴虐の鎖 断つ日/旗は血に燃えて/海をへだてつ我等/かいな結びゆく/いざ闘わん、いざ/奮い立て、いざ/あぁインターナショナル、我等がもの...

どうして覚えているのかわからない。たぶんぼくの親父がメーデーに出た帰りに酔っ払って歌っていたのだろう。父が労働運動をしていたわけじゃない。ただのサラリーマンだが、当時はみんな組合に入っていて、5月のあの日には、この曲や『がんばろう』なんて労働歌を歌うのがふつうだった。こっちは1960年6月に、三井三池争議の中で作曲されたものだという。これもリンク貼っておきますね。
https://www.youtube.com/watch?v=enb15Bzyt3o

なんだか時代がめぐりめぐっている。『インターナショナル』のほうは、1871年のパリコミューンの直後に生まれた曲で、やがてコミューン鎮圧され、賛辞を送ったカール・マルクスは1883年に亡くなる。ニッキャレッリの映画はそこから始まる。過ぎ去った時代が、過ぎ去ってしまいきらず、今に帰ってくる様を捉えようとする。それは、彼女が今の時代に竿刺して映画を撮っている所以なのだ。

だからこそ、そして例によって、主人公は女性。マルクスの娘エリノア(ロモーラ・ガライ)。早くから父の仕事を助け、ジャーナリストとしてパリコミューンにも参加。翻訳家としても活躍。映画にもイプセンの『人形の家』のシーンが印象的だ。しかし、この主人公、ノラのように覚醒しているのは意識だけ。その心は、才能はあるが浪費家かつ浮気癖のあるエイヴィングに惹つけられると、まるでアヘンのように溺れてしまう。

そのエイヴィングの依代となるパトリック・ケネデイがよい。エリノアを惹きつける魅力を持ちながら、浪費癖が治らず、浮気が絶えない。ダメなやつだとはっきりわかるような男。このイギリスの役者さん、イプセンの芝居中の芝居も含めて、お見事です。

そんなエイヴィングとエリノアの関係は、頭ではわかっている、しかし心が理性の言うことを聞かない、というやつ。そのあたりをニッキャレッリはこんなふうに語っている。

「エリノアはフェミニストでした。にもかかわらず、彼女の男に酷い扱いをされるにまかせていたのです。それは、矛盾に見えはするものの、その矛盾のおかげで、とても複雑で興味深い物語に光があてることができるのです。それは、情動がいかにして理性と闘争状態になるか、感情がいかにして理念のなかに入り込んでくるか、そしてその逆のことがどのように起こるか、そんな物語なのです」。
(https://www.exibart.com/cinema/miss-marx-una-metafora-visiva-del-nostro-tempo-intervista-a-susanna-nicchiarelli/)

 なるほどニッキャレッリがエリノア・マルクスに見出したのは、前作でニコをあつかったときと同じように、何か運命的なものからはどうしても自由になれない、そんな実にリアルな女の物語なのだ。そして、そんなリアルな女性の姿を通して、彼女が戦ったものもまた、これまたリアルに浮かび上がってくる。

 ひとつには女たちがその犠牲となった「男性上位社会」(patriarcato)。いくら女性の解放を口にしても、現実的には常に男の下に置かれ続けてしまう。そんな女性たちが戦う相手こそは、「patriarcato」。まさに「父」(pater)が「頭」(arche)として君臨するような体制。

 虐げられ、犠牲となってきたものこそ、立ち上がらなければならない。それが彼女の父であるカール・マルクスの教え。エリノアは、そんな父の教えに従い、服従を強いられている人々、とりわけ子どもたちが労働力として搾取されている現実に、意義を申し立てるジャーナリスト、社会活動家として活躍を続けることになる。

 そんなエリノアがアメリカで取材をするとき、当時の写真の引用をもちいながら、スクリーンに映し出される繊維工場での子どもたちの姿。そんな小さな存在を労働力として収奪することを、あたりまえだとみなす資本家たち。このシーンに流れる曲が、ダウンタウンボーイズの楽曲『A wall』(2017)。これはドナルド・トランプが大統領となった年に出た、アンチ・トランプの曲。それが19世紀の子どもたちの搾取の告発のシーンに使われることで生まれるのが、おもいがけないリアリティー。

https://www.youtube.com/watch?v=faCkgfiKguI

実にパンクなんだよね。たぶんこんなふうに歌っているのだと思う。字幕になっていなかったので、ここはちょっと訳してみた。

♪〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
もうたくさんはどれくらい?
だれがコールしてくれるのさ
ファッキャー
あたいのパブリックな言葉
あたのプライベートな言葉
パブリックなコール
プラベートなコール
ファッキャー

How much is enough?
And who makes that call?
Fuck yeah
My public word (fuck yeah)
My private word (fuck yeah)
A public call (fuck yeah)
A private call (fuck yeah)
Fuck yeah!

ファックをこっちによこすな
あたいはゆるさないから
けっしてゆるしゃしないから
隠しごとはなし
隠したりしない
そんなのゆるさない
決してゆるさないから

You can't ball the fuck on us
I won't let that go
I'll never let that go
You can't ball the fuck on us
I won't hide
I won't hide
I won't let that go
I'll never let that go

ひろい場所からさ
隠された場所へ
ひろい視点から
かくされた視点へ

From the broad side
To the hidden side
From the the broad side
To the hidden side

壁は壁よ
ただの壁よ
壁は壁さ
ただの壁なのさ
ただそれだけなのさ

A wall is a wall
A wall is just a wall
A wall is a wall
And nothing more at all

あたい逮捕された(くそくらえ)
あたいの権利はどうなの(くそくらえ)
もっと言ってやろうか(くそくらえ)
もっと言わなきゃだめなのか(くそくらえ)
くそくらえ
あいつを見てごらん
自分が見えるからさ、自分を見てほしいからさ

Am I under arrest? (fuck it)
And do I have the right? (fuck it)
Need I say more? (fuck it)
And do I need to say more (fuck it)
Fuck it
And when you see him now
I hope you see yourself, I hope you see yourself

あいつを今見たら
あなたに見てほしい、見てほしい
見てほしい、見てほしい

And when you see him now
I hope you look, I hope you look
I hope you look
I hope you look

もっと広いとこからさ
隠されたところへ
もっと広い視点から
隠された視点へ

From the broad side
To the hidden side
From the the broad side
To the hidden side

壁は壁さ
ただの壁さ
ただそれだけ

A wall is a wall
A wall is just a wall
A wall is a wall
And nothing more at all
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いい曲だよね。このバンドの曲でほかに印象的だったのは、エリノアがお手伝いさんに薬を買いにゆかせるとき、最後の最後に踊る曲『I'm enogh (I want more)』。「もうたくさん、でももっとほしい」という矛盾に満ちた叫び。歌詞がすべてを語っている。このシーンでは歌詞が、この歌が主役。踊るエリノアは脇役。シーンの主役を音楽にしてしまうのが、スザンナ監督のナイスなところ。

そしてラストシーンがまたいいのよ。ブルース・スプリングスティーン兄さんの『Dancing in the dark』をダウンタウンボーイズたちが見事なパンクに仕上げてくれる。しかも、ラストの回想シーンの希望に満ちたエリノアのことばがいいじゃない。わたしの格率にしてモットーは「"Go ahead" 前に進めよ」というときの笑顔なんて、もう.... おもわず落涙。

次回作の『キアラ』にも期待です。


追記〜〜〜〜〜〜〜

スプリングスティーンの『ダンシング・イン・ザ・ダーク』の歌詞。ダウンタウンボーイズたちは、「暗闇をおそれちゃだめ。そこにチャンスがあるはずなんだから」と励ますように歌ってくれている。ブルースの原曲どおりに歌っているんだけど、意味を発信する場所が違っている。ブルースの男っぽいブルーカラーのやるせない若さは、時と場所をずれしながら、その意味さえもずらしてゆく。

♪〜〜〜〜〜〜〜〜
火を起こしたいなら
火花がなきゃだめよ
このガンを貸したげる
暗闇のダンスも悪くない

Can't start a fire
Can't start a fire without a spark
This gun's for hire
Even if we're just dancing in the dark
カール・マルクスの末娘、エリノアの伝記映画。19世紀のヨーロッパで社会活動家として活躍したようだ。しか当方、当時の社会的な背景に疎いうえに、人間関係が飲み込めず、十分に理解できなかった。ただ、カール・マルクスに隠し子がいたのは判った。
カール・マルクスの末娘で、労働条件の改善、児童労働の禁止、男女平等教育や普通選挙の実現のために生涯を捧げた活動家エリノア・マルクスの半生を、パンクロックに乗せて描いた伝記ドラマ。
ベネチア国際映画祭でFEDIC(イタリア・シネクラブ連盟)賞とベストサウンドトラックSTARS賞を受賞。原題:Miss Marx(2020)

1855年イギリスのロンドンに生まれたエリノア(ロモーラ・ガライ)は、社会活動に専念する一方、私生活では放蕩者で浪費家のエドワード・エイヴリング(パトリック・ケネディ)と恋に落ち献身的に愛するが、不実な彼のために苦悩した末に精神を蝕み1898年、43歳の若さで自ら命を絶つ。

~他の出演者~
・エンゲルス(ジョン・ゴードン・シンクレア)
・カール・マルクス家の家政婦(フェリシティ・モンタギュー)
・南アフリカの作家(カリーナ・フェルナンデス) 
・姉(エマ・カニフェ)
・ フランスの社会主義者で姉の夫(ジョージ・アレンデル) 
・亡くなった姉とフランスのジャーナリストとの息子(セレスタン・ライランド )-
・カール・マルクスと家政婦との私生児(オリヴァー・クリス) 
・エイヴリングの後妻となる若い女優(アレクサンドラ・ルイス)
・カール・マルクス(フィリップ・グレーニング)

エリノアの小さい頃からの渾名はトゥッシー"Tussy"(意味はお人形さん)

「私は不当に扱われてきた。最初は父によって。次はあなたに。…あなたと父は私に対して大変な罪を犯したのよ。おかげで私の人生には何もない。」
かのカール・マルクスの末娘エリノアの映画。この作品を知るまで、彼女のこともまったく知らなかったが、思想家・理論家であった父に比べ、活動家・アクティヴィストであることが印象的でそれは劇中で若かりしエリノアのモットーが「前へ進め」だというところに表れている。

マルクス──つまり、父カールが資本家による労働者の搾取を問題にして、エンゲルスととまに共産主義の理念を立ち上げた。
エリノアが主役の本作にはフェミニズム的な側面もあって男性支配からの女性の開放、男女関係における搾取構造にも焦点を当てている。
これは現代的なテーマにも通ずるし、ある種別の仕方でもマルクス批判でもある。
さらに言えば、エリノアもブルジョア的な生活をしているようにも見えるし、この矛盾がこの映画をおもしろくさせる。

ダメな男を愛してしまい、搾取されるのは「共産主義」らしいとも言えるが、ダメさが中途半端──というかブルジョア的でよく伝わってこない──で、中だるみした。

パンクロック曲の破壊的な挿入の評価は好みの問題だが、時代錯誤な安易に感じた(そう思うと、ソフィア・コッポラのアントワネットを想起する)。

歴史として知っておくと良い作品ではある。

※父マルクスと劇中にさらっと出てくるエンゲルスを主役にして映画もあるので併せて観ると良いかもしれない。
『マルクス・エンゲルス』
https://filmarks.com/movies/77750/reviews/117446778

※『資本論』はあまりの長さに買うことすら躊躇する大作なので、その基礎版のような薄い本『賃労働と資本』あたりで理論を知るのがオススメ。岩波文庫でワンコインくらいで半日くらいで読める。 https://amzn.to/3QT1CZX
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