花咲くころのネタバレレビュー・内容・結末

花咲くころ2013年製作の映画)

Grzeli nateli dgeebi/In Bloom

上映日:2018年02月03日

製作国:

上映時間:102分

4.0

あらすじ

「花咲くころ」に投稿されたネタバレ・内容・結末

02/18/2020

授業で観た!このポスターは観たことあったけど、まさかこの映画とは思わなかったな〜

すさんでいるけれど冷たすぎない空気。

2人でワイン飲みながらブランチを食べるところ、Ekaとお姉さんの会話、友達とピアノを弾きながら歌うところ、教室でちょっかいを出してきた男子の頭をEkaが叩くところ、Natiaが先生に追い出されたあとクラスメートたちが一斉に教室を飛び出してみんなで遊園地に行くシーン、NatiaとLudo が久しぶりに会ったときに目を合わすところが好きだった。EkaとNatiaの服装や髪型も好きだったな。制服も含めて。

どの国でもこういうところは変わらない、とどうしても普遍性を見出したくなっちゃうのよね。

Natiaが泣いている弟を覆うように腕をかぶせるところは、怒りとどうしたらいいかわからないので硬くなっている泣きたい弟を考えて、大丈夫だよ…と根拠もないけど言いたくなったな。

Ekaのお父さんはなぜあの男の子のお父さんを殺してしまったのだろう?戦争で?

拳銃が出てきてから、色々と危ないシーンでハラハラしていたけど、誰のこともうたなくてよかった…とは思ったけどまさかああいう結末になるとはね。

自分の夫が殺人をしたNatiaと、
自分の父が殺人をしたEka.

NatiaもEkaもお母さんたちも”従順”な女性として描かれているというよりは、皆Fuck you と言うし追いかけ回すし叫ぶ。そのひるまない様子は、「こうでありたい」と私が思うほど。でも一方で、誘拐結婚が珍しいことではなく、女性が子供のうちに結婚できてしまうというのは、”アメリカンスタンダード”からは大きく外れている。でもやっぱり”Cultureだから”という言葉でまとめることはしたくない。どこまでInterveneしていいのか?と考える前にまず、Georgiaの女性たちはこれをどう思っているのか?と思う。

教授によるとこの話題はジョージアでは完全にタブー化しているらしく、教授がジョージアに行ったときも女性たちも「複雑な問題」というまとめ言葉の下で話そうとしなかったと。それに対してface it !! というのは外野からの暴力でもあるわけで。でもやっぱり、彼女たちの声はあるはずなのにないことにされているわけで。彼女たちが話せるような場所はどうしたらつくれるだろうか。この映画を観てジョージアの人たちがどう思ったのか知りたいな。
女が連れ去られるのを大勢の人が見ていて助けなかったっていう事件がつい最近日本でもあって、後進地域の女性の抑圧を描く映画が毎度一人の少女の鋼のような眼差しに託していくっていうのではもう足りないよって気がして、周囲の視線の演出やミディアム~クローズアップの多さにも虚しくなってしまった...
壁や食器めっちゃくちゃきれいだった。

ふたりの“すべての優しいおばあちゃんに乾杯”に乾杯。
グルジア(現ジョージア)の作品です。グルジアの映画というと長年観たいと思っている「放浪の画家 ピスロマニ」がぱっと思い浮かびますが、生憎まだ観れておりません。。しかし最近は他にもいくつかDVDの出ている作品があるようですね!意外な映画大国でした。死ぬまでに何としても行かなくちゃ!
今作はグルジア独立後に始まった内戦の最中、1991年の夏からのお話です。長い黒髪が美しいナティアと切りそろえられた黒髪おかっぱ頭のエカというふたりの女の子が主人公です。グルジアの女性達は黒髪が多いのですね。はっきりした顔立ちと美しい黒髪が妖艶でした。しかし彼女たちを取り巻く人々の顔には笑顔がない。家族の食卓では談笑する事などなく、いきなり父親と母親が殴り合う。食べ物も食糧不足のため安物のパンと豆料理の毎日。学校に行っても女教師はピリピリしていて生徒へ簡単に罰を与える。唯一の楽しみは、親の居ぬ間のガールズトークと隠れて吸うタバコ。しかし親が帰ってきた途端、忙しなく片付けて“いい子”に戻らなければならない。この時代のグルジアの人達は大人も子どもも心に余裕がなく、いつも切羽詰まっていたようですね。主人公2人のような年頃の女の子にもなればセックスに対して興味がわくのが普通だが、それは男の子も同じ。つまり女の子たちはレイプされる危険もある。ある日、ナティアの恋人ラドが彼女に「身を守るために持っておいてほしい」とソ連製のピストルと弾を渡した。彼からの優しさとしてピストルを受け取ったナティア。初めて本物のピストルに触れたナティアははしゃぎ、同時にこれまで彼女が持てなかった強さを得た。ナティアは親友であるエカにもピストルを見せびらかす。エカは複雑な表情を浮かべつつピストルを持たせてもらった。ラドは「次に戻った時に結婚しよう」と告げてナティアを残して出掛けてしまった。ところがラドが不在の隙に、同じくナティアに想いを寄せていたコテという男がナディアに迫ってきた。最初は笑いながらコテを無視していたナティアだが、ある日コテに車でさらわれてしまう。そしてあろう事かその数日後に2人は結婚するのだった。本物の愛はあとから付いてくるものだというコテの説得を信じて結婚するナティアを素直に祝福できないエカ。しかし「親友なら祝うべきよ」というナティアの一言で意を決したエカはグッとグラス一杯のお酒を飲み干し、自ら祝福のダンスを踊り出す。無表情、でも情熱的にステップを踏むエカ。親友を心配する故にエカの心はまだ整理できていない。それでも祝福して欲しいという親友たっての願いをかなえるためにひたすら踊るエカ。周囲の祝福ムードと彼女の固い表情の温度差思わず涙が出ました。しかし観客の誰もが予想していたように若くしての結婚は破綻も早かった。コテの家族と同居するナティアの元をエカが訪れた時には喜んでくれたが、ナティアの口からは結婚生活の不満ばかりがこぼれる。そしてある日、久しぶりにエカと実家へ遊びに帰ったナティアは街に戻ってきていたラドと再会する。そしてこの再会がコテにバレてしまい、ついに事件が起こる。そうして怒りに狂ったナティアはラドのくれたピストルでコテに復讐しようとするがエカが必死にナティアを説得し続ける。実はエカがナティアにピストルを渡そうとしない裏にはエカの父親の過去が密接に関係していたのでした。ナティアも説得して全てが落ち着いたあと、エカも自分の父親と対峙することを決意し刑務所へ向かう。その時のエカの表情から滲み出ていたのはピストルから得られる肉体的な強さではなく、ピストルを手放すことで得られた精神的な強さでした。
2人ともまだたったの14歳なのに、酒もタバコも殺人もセックスも結婚も偽物の愛もピストルも、全て彼女達の身近に存在していた時代。何もわからないまま彼女たちは流れに身を任せて享受し、幼い感覚だけを頼りに手探りで危うく生きてゆく。人生を花で例えたら一番可憐に美しく咲いているべき年頃だったにも関わらず、生まれた時代と周りの大人達に翻弄されたふたりの少女の物語でした。
 ジョージアの若者(と言っても14歳か…)の置かれている雰囲気が、ちりばめられた様々なエッセンスから伝わってきた。教室に飾られたジョージア出身のスターリンの肖像画が今も飾られていることにびっくり。西洋と東洋の分岐点のような位置にありながら、なぜか保守的で、世の中を引き締めるような宗教感や道徳感を失ってしまった街の状況が読みとれる。パンを買う行列には、食うものを獲得するため、列の順番を守らない。お互い疑心暗鬼、民衆を押し退けてパンを買い取る兵隊、公衆の目前で車に拉致されている少女を助けようともしない大人たちがいる。ソビエトから独立後の内戦状態にある国、生きることに精一杯、先の見えない重い空気が立ち込めている。
 音楽教室での少女たちの会話の中では、結婚後すぐに離婚させられた友人の話があったが、いわいる処女でなければ結婚できないという、20世紀末になっても、なお残っている女性差別の慣習が悲劇を生んでいったのではなかったのかとも思う。
 ナティアはクラスの中でも不正をはっきりと主張し、イジメに合っていたエカに「黙っているのではなく、拒絶する力を示す」ことを訴えるほどの意志の強い女性だった。ロカたちに拉致された後、いきなり結婚式という流れについていけなかったのは、エカだけではない。
 銃の視点から映画を見ると、モスクワに通う青年ラダは好意を持つナティアの護身のために銃を与えるが、彼がそのまま持っていたら、自身の護身につながり殺されずにすんだのかもしれない。ナディアに渡された銃は、エカに渡り、彼女には有効に働いたかのようにも見える。一方、ナディアの元に返った銃は、ラダの死の復讐として感情的に夫殺しを考えたが、エカの機転で、寸前で使われることはなかった。銃(紛争)は問題の解決にはつながらないとの暗示なのだろうか。14歳の娘に渡された銃は、暴走することなく、結果的に葬られることになる。結局、ナティアの護身のために与えた銃は、肝心なときに彼女の手元にはなく、何の役にも立たなかった。
 いくつかの手紙と煙草とソビエトのパスポートを残した刑務所にいる父親への面会を決意したセレナは、揺れ動く心の中で自分を見つけだしたのではないだろうか。この映画の中で最も印象に残ったエカの踊る民族舞踊である。豹変したナティアとこの世界への怒りに対し、エカ自身の意志をしっかりと確立する決意がみなぎったものを感じるのである。
クーリンチェとどこか似ていると感じた。正義と不条理が入り混じってどうしようもないこの感じ。画の美しさが唯一の救いという点も。少しだけ異なるのは、エカは銃を捨てることで親友を救ったこと。
ただ女が力に屈せざるを得ないシチュエーションには耐え難いものを感じるのでその辛さばかり残ってしまった。
内戦の最中、男尊女卑の村でいじめっ子とか強引に結婚させられる友達とかにイライラする14歳の話。
Mustangを思い出した。
終わり方は突然でびっくり。自分が気を失ったかと思った。
パンフレットを読んで、コプラがどの子か、ラドはナティアに告白するため歌手を雇って歌わせていてそういう習慣があること、エカの踊りは男性の怒りのダンスであること、等判明。
いや、わかんないよそんなの!笑
こちとら男に誘拐された友だちのことで知らんおじさんに殴られた痣も消えてないうちにその結婚式に出席してるのに、嬉しくないの?とか言われても、そりゃあ嬉しくないよね。
男尊女卑はもちろん感じて、やっぱり悲しくなった。個人差はもちろんあれど父や祖父世代だと日本でもまだまだ残ってるし、日本もつい最近まではこうだったんだろうなぁと思った。何が「女の子に乾杯」じゃ。
物資不足、仕事不足で市民がみなイライラしていて夫婦、親子、兄弟、家族、教室、市民同士、とどこでも喧嘩だらけで嫌になってしまった。男女に限らずすぐ怒鳴るし殴る!文化とかではなく、単純に内戦が民度が下げていた時代だったのかな。
しかし、教室の男子の行動がバカすぎてまったく!笑
14才の女の子拉致して結婚。ありえんやろ。中学生やぞ。怒りを感じる。