悲情城市の作品情報・感想・評価

「悲情城市」に投稿された感想・評価

mh

mhの感想・評価

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基隆の素封家(船問屋、ヤクザ)と、台湾近現代史の要諦、二・二八事件についての映画。
玉音放送からスタート。玉音放送=終戦という省略/お約束を、台湾映画でも採用してるの地味にビビる。晦渋かつ聞き取りにくかった玉音に終戦だとすぐにはわからなかったひとが続出したとの話も聞くけど、そのあたりは当然なし。先祖供養の日課をこなしつつ、その放送を聞いている。日本の敗戦→台湾の解放なんだけど祝祭ムードもなかったのリアルだった。
当時のヤクザ社会を通して、台湾の醇風美俗を写してる。小津安二郎に私淑していることを表明するかのようなカメラワークいいね! 奥行きを意識した遠くからのフィックスのカメラは加藤泰っぽくもあった。
中盤からは、内省人(台湾人)と外省人(中共/中国革命に追われて大陸から逃げてくる国民党関係者と、政商含むその取り巻き)の対立がメイン。アヘンを扱っている政商と、船を持ってる主人公家族など、プロットが巧緻。
高まる緊張が二・二八事件となって表出し、内省人たちが台湾社会から駆逐されていくまで描いている。
このときの戒厳令は、38年後の1987年まで継続する。白色テロと呼ばれる国民党の恐怖政治がつづいたとのこと。
規制がゆるくなったことが、この映画の制作・発表にも現れている。即時性が高く、また国際的にも評価されたことが、この映画の価値を高めている。
台湾のひとが日本贔屓なのは、中東におけるサダムフセインと同じようなもの=当時もひどかったけど、いまよりはるかにマシだった論法なので、このあたりは気をつけていきたいね。
中共やべーけど、国民党もやばい。もちろん、中共のほうがもっとすごいんだけど。
これはめちゃくちゃ勉強になったなぁ。
三部作の残り、「戯夢人生(1993年)」「好男好女(1995年)」も見ようと思う。
面白かった!
横山

横山の感想・評価

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固定ロングショットの長回しと筆談のせいで単調になってた。人物のクローズアップが全然ない上に説明が少な過ぎて物語の状況が理解しづらい。
karikari

karikariの感想・評価

3.0
20220703
粗野人間過ぎて叙情的な作品一生肌に合わない…すまん
おさん

おさんの感想・評価

4.1
備忘録

お勧めの中国映画を聞かれて、台湾関係なら、迷わずこれ!と、勧めたので、当時観た記憶を呼び起こし。
恥ずかしながら、台湾史を全く知らずに鑑賞。観終わって、台湾史の本を読みました。VHSの時代だわ。
その後、台湾が親日国なのは、外省人の支配があったから、「昔の方が良かった」と多くの台湾人が考えたから説を知った。

台湾に興味のある方は是非一度鑑賞して欲しい!
りー

りーの感想・評価

5.0
初見は2015年の東京フィルメックス。ホウシャオシェン監督のQ&A付き。
2回目は2021年の仙台。濱口竜介監督の解説付き。

まず、初見の際いたく感動して衝撃を受けたはずなのに映画の内容を全く覚えていられなかった。
濱口竜介監督の素晴らしい解説のおかげで、なぜこの映画の内容を覚えていることができないのか理解できた。
そして、2時間以上も解説して頂いたにも関わらず現在またあまり覚えていないのだ。
「なぜ覚えられないのか」その理由が明確になった今、そのことによって映画の偉大さを改めて感じている。

しかし、濱口竜介監督の解説、どこかに収録して販売した方がいいのではないかというくらいとてつもないものだったなぁ。
えり子

えり子の感想・評価

4.5
骨太にして繊細。
叙事詩にして叙情詩が混在した名作でした。
ノスタルジーも強く感じました。
長い作品でしたが長く感じなかった。外省人に本省人が虐められたのね。
この映画観て、初めて行った外国が台湾でした。二泊三日の短期ツアーだった。
九份に長くいました。
ツアーでなく個人でもう一度行ってみたい。
あの頃、侯孝賢は次々といい映画を作った。
みな、好きでした。
台湾ニューシネマの一人、ホウ·シャオシェン監督作品は、「フンクイの少年」「冬冬の夏休み」「童年往事 時の流れ」「恋恋風塵」「好男好女」「フラワーズ·オブ·シャンハイ」「黒衣の刺客」と本作品で、けっこう観てるんだなーっと。一時期ハマッタようです自分。
1945年8月15日、台湾では当然日本と同じく昭和天皇の玉音放送が、ラジオから流されておりました。これは、51年間に及ぶ日本統治からの解放を意味してますね。この瞬間の台湾の方々の心中は計り知れません。その日、北部の港町の基隆に暮らす大家族の船問屋、林家では長男に男児が誕生しました。次男は軍医として南洋に出兵し、三男は通訳として上海に赴いておりました。聴覚障害者の四男(トニー·レオン)は、郊外で写真館を営んでいます。日本統治下から解き放たれた台湾では、人々の暮らしが間を空けることなく続くのです。本省人と外省人の争いは激しさを増しますが、人々の暮らしが続くのです。そして····。
世界の映画人の目を台湾映画に向けさせた、ホウ·シャオシェンの特大アーチなのです。日本人にとっては複雑な感情であり、郷愁であり、なぜか心奪われる世界なのです。
一人旅

一人旅の感想・評価

4.0
第46回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞。
ホウ・シャオシェン監督作。

【ストーリー】
1945年の日本敗戦から、1949年に国民党の蒋介石が台北を臨時首都と定めるまでの4年間を、林家の4兄弟の姿を通じて描く。

ニ・ニ八事件・・・初めて知りました。
この事件は、闇タバコを販売していた台湾人女性が役人によって暴行を受けた事を発端に、台湾人と在台中国人の間で抗争が勃発した事件のこと。その際、在台中国人は武力で台湾人を鎮圧し、数万人の台湾人が殺害されたそうだ。

台湾は約50年に渡って日本に支配されてきた。その支配が日本敗戦によってようやく終わりを遂げ、ついに祖国が台湾国民の手に還ると思われた矢先、今度は大陸から中国人が押し寄せてきてしまった。結局、本当の意味での解放は訪れなかったのだ。

一般市民である林家の4兄弟もまた、時代の犠牲者となっていく。
特に、四男の文清(トニー・レオン)はその最たる例だ。耳が聞こえず口も利けないがゆえに、激変する政情に対して反応が鈍い。文清は愛する人と結婚して子どもをもうけるなど私生活の幸福を実現できたとしても、外に対して無防備な彼を時代は容赦なく弾圧してしまう。家族の平和とか個々の人生設計、幸福の追求といった個人的な願いは儚く崩れ去っていく。国内で渦巻く潮流や大きな権力の前では、個人というのは余りにも無力だ。

ただ、救いだったのは誰一人として未来への希望を最後まで諦めなかったことだ。
皆それぞれ時代に適応あるいは反発しながら、最善の答えを模索、追求し続けた。
もち

もちの感想・評価

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長くても淡々としても飽きさせない
これが上手さと言うのかなー
kuu

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3.8
『悲情城市』
原題 悲情城市 A City of Sadness.
製作年 1989年。上映時間 159分。

台湾現代史において、最も激動的な1945年の日本敗戦から1949年の国民党政府の樹立までの4年間を、林家の長老・阿祿とその息子たちの姿を通して描いた台湾製一大叙事詩。
台湾ニューウェーブの雄、ホウ・シャオシエン監督は本作でベネチア映画祭金獅子賞を受賞、その評価を決定づけた傑作。
主演は香港のトップスター、トニー・レオン。
彼は台湾語を話せないために聾唖という設定になったという逸話もある。
1945年8月15日の終戦玉音放送か ら国民政府が台北を臨時首都に定めた48年12月まで、混乱期の台湾の苦難に満ちた様相が、基隆(キールン)に住む林(リン)ちゅう一家とその周辺の人々を通じて描かれていきました。
家長の阿祿(リー・ティエンルー)はもう75歳。
長男の文雄(チェン・ソンヨン)は、船問屋などの経営を任されており、終戦の日には、妾に子供が生れる。
次男は軍医で南方から帰らず、三男・文良は通訳をしていた上海から帰って精神を痛め入院。
事故で耳も目も不自由な四男の文清(トニー・レオン)は写真館を開いている。
終戦で日本のながい支配から解放されたものの、まだ日本語でしゃべる者も多く、親日と見られた人たちへの迫害が強まり、大陸からは、密輸でボロ儲けをたくらむヤクザもんが流れこむ。
台湾育ちの〈本省人〉と解放を題目とする〈外省人〉の対立は激化、林家にも非運が襲いかかる。

ホウ監督は、この経過を、1シーンごとに丹念な演出で描いてて、特に、文清が筆談で寛美という娘 (シン・シューフェン)との愛を深める場面、
ブチ込まれた拘置所で仲間たちが次々に処刑されていくシ ークエンス、
また、連行されることを予想していた彼が寛美と子供と三人で記念写真を撮る場面など、
特にこの文清にからむ場面が深い印象を残しました。
が、悲惨なだけではなく、日本へ帰る女教師のエピソードなども含め、温かい人情の場面もあり、四季の移り変りや風俗を生かした情感豊かな場面も多かった。
1ショットが長すぎるところがあるけど、ホウ監督の充実した映画作りには改めて感心させられた作品でした。

余談ながら、1989年、台湾ではタブーとされていた228事件(1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中国国民党政権による長期的な白色テロ、すなわち民衆弾圧・虐殺の引き金となった事件。)に初めて触れた今作品が劇場公開され、当時、大きな話題となったそうです。
その結果、映画の舞台となった九份(台湾北部の港町基隆市の近郊、新北市瑞芳区に位置する山あいの町)は、この映画の人気で復活し、
映画で見た九份の懐かしい風景や、他のメディアにも登場し、多くの人が九份を訪れるようになったそうです。
90年代に入ると、九份は観光ブームとなり、観光地としての姿を現し、レトロな中国風のカフェや茶芸館、『悲情城市』の名を冠した土産物屋などが次々と建てられたそうですよ。
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