ウィーアーリトルゾンビーズの作品情報・感想・評価 - 2ページ目

ウィーアーリトルゾンビーズ2019年製作の映画)

WE ARE LITTLE ZOMBIES

上映日:2019年06月14日

製作国:

あらすじ

「ウィーアーリトルゾンビーズ」に投稿された感想・評価

【 人生ってクソゲーなのかな👾🎮
感情の無い小さなゾンビたち...
そう!彼らは LITTLE ZOMBIES!!!🤗 】


⚰️両親が死んだ...。
悲しいはずやのに泣けなかった4人の13歳。
夢も希望も未来も何も無くなって...
これは自分の心の中にある大秘宝 "ワンヒ°-ス" を
取り戻す冒険の記録🤨
エモい! エモい!! エモすぎるぅ〜movie❣️(˶‾᷄ ⁻̫ ‾᷅˵)
←エモいの意味や使い方なんて勿論しらんよw
※ ワンヒ°-スは"心のカケラ"と解釈して下さいましm(._.)m


てことで、本作📚
〝生きてるくせに、死んでんじゃねぇよ!!〟

おそらくハマるハマらないの両極端になる作品ww
今までの邦画には無い感じやね。
真顔でブラックユーモアしかないもんww
( ;゚д)ザワ(;゚д゚;)ザワ(д゚; )
凄い映像体験できて、かなりの独創的!

分かりやすく色で例えると、
ゲーム👾、音楽🎼、ゾンビ🧟‍♂️、冒険⚔️という
絵の具🎨を混ぜ合わせてできた色。笑
←もはや色で例えておりまてん。🙇‍♂️反省。



🎯とりまどんなメッセージ性があるのか、それは。
絶望とかダサ。(٭˚̄⺣̱˚̄)フン

大人の言うことなんて気にしない。(#`⺣̭ˊ)フン

社会に適合しなくたっていい。(◔‸◔ )フン

ヘラヘラしててもいい。( -᷅ ·̫ -᷄ )フフフ

自分の物差しは常識や偏見関係なく、
"フラットなまなざし" であるかどうか。
...ってな感じでした😈
なにそれと思ったあなた。
是非ラストの旅の果てを見届けてみてちょ❣️😉👍



「ウィ-ア- リトル ソ"ンヒ"-ス"」テーマ曲の公式MVが
YouTubeにあるからハマれば観ることオススメ
するよん🧟‍♂️🎶
一度聴くと、頭から離れない中毒性musicやから
気をつけてけろ〜❣️🤗笑




P.S.
上映後は長久允監督が来てくださいました🤭ワォ!!
今までにない邦画、Japan🇯🇵っぽくない作品やから
どんな監督さんなんやろ〜って思っていたら
ヒョウ🐆のTシャツに、豹柄ズボン履いた日本人
やったわ!!!🙄笑
雰囲気からすべて一瞬にして虜になりましたww
ShokoUra

ShokoUraの感想・評価

3.3
試写会にて。

とても面白かったのですが、映画とはいえ設定自体は笑えなかった。
ブラックジョーク?が好きな人は気にならないとは思います。

とにかく曲がよくてMV何度もみました!
のぐち

のぐちの感想・評価

4.0

このレビューはネタバレを含みます

Filmarks試写会にて鑑賞。

見終わった直後は頭がぐるぐるしてて、
今も感想がまとまってないのですが。
ぐだくだ羅列させていただきます。

エモいって古っ。ダサっ。を
明日から言いまくりたくなりました。
それと虚無虚無と今今を連呼したくなる。

彼女になる前が一番アツくないっすか?
乗り越えまくりだよ!、等
あ〜〜このアホみたいな会話、
最近どっかで聴いた気がする、めっちゃリアル。と思う。

バズるとかエモいとかネタにしちゃうのいいな。トークショーで監督が、ネタの引き出しが1万個くらいあるって言ってたのが納得できる。
流石電通コピーライター。おさげ髪で出社してるのか気になる。
小ネタが、アメリみたいって言ってた人もいて、確かに。と思ったけど
私はトリックっぽいなと思った。
謎のカムチャッカ押しとか。あと、
菊地成孔、本人役でかなり笑った。

あと監督他にも
社会に適応しなくたっていい、
弱くていい、って言ってたのが一番印象的でした。いい方だな〜〜と思った
これからもこの人の映画みたい。
今回のこの映画も、今まで観たことのない映画を観せてくれて、すごく刺激になった。

8bit最高!オープニングのゲーム画面だけでもスクリーンで観る価値あり。
MOTHER大好きだから、なんかドット絵大画面で見ただけでウルっときちゃったよ
最近Undertale流行ったし、ゲーム好きにはたまらん演出他にもいっぱいあるから観てほしい。

あのラストについては、逃げだと批判する人もいるだろうし、わかるけど、
実際人生的にはリアルだしな。


以上が感想です。
全くまとまってない。

終わりです。
Filmarksさんいつも本当にありがとうございます。
chibisaba

chibisabaの感想・評価

3.9

だいすきなまぐまがアートワークパンフみてしって、ずっとまぐまに映画やってほしいって思ってたからみれて嬉しかった🐞🐞

ただ衣装が可愛いっぽいって思って試写会応募したらリトゥンアフターワーズだった、たしかにぽい


色んなものになった気分になれる

日本っぽいkawaiiな映画なんでこんなにないんだと思ってた。それ。こういうのにたずさわりたいいつか
ミント

ミントの感想・評価

3.5
Filmarks試写会にて。

上映後のトークで、『そうして私たちはプールに金魚を、』と同じ監督だということを知って納得!
この作品も金魚同様、賛否両論必須だと思いますが、私はファンタジーと割りきって楽しく観ました。
“ザ・電通とROBOTが作った映画”って感じで、お金とCGを贅沢に多用していて、おしゃれポップな仕上がり。
劇中の曲がとても印象的でした。

葬式シーンに合わせてか、エンドロールが習字の書体で、しかも協力会社とかがそもそも多すぎるせいか、字が小さくなって、全く読めないのは、協力側的に大丈夫なんだろうかと、余計な心配をしてしまいました(笑)

好きな役者陣が盛り沢山に脇を固めているけれど、映画の中で一番目を引いたのはイクコ役の中島セナさん。
ずっと彼女を見ていたいし、自然と引き込まれてしまうアンニュイな魅力があります。
これからの出演作も楽しみです。
watarihiro

watarihiroの感想・評価

4.0
試写会鑑賞

両親を亡くしたヒカリ。そんな彼がであったのはイシ、タケムラ、そしてイクコ。彼らも両親を亡くした。四人ともゾンビのように心無くし、LITTLE ZOMBIESというバンド名で音楽活動する、、、。

見てよかった作品でした。ゲーム音流しながらRPGのように進んでいく進め方。強いメッセージ性を感じる内容。聴いててくせになる音楽。本当に面白かったです。

ポスターから分かるようにカラフルな作品でもあります。内容も衣装も芸術的でした。今までにない映画を見たような感覚でし、試写会当たって本当に良かったです。

主演の二宮慶多はそして父になるに出てたあの男の子。全然気付きませんでした笑
Chimaki

Chimakiの感想・評価

3.5

このレビューはネタバレを含みます

所々中二病っぽいセリフが出てくる。序盤の『いや、両親死んでる〜!』って声揃えて言う所とかホームレス達がカリブの海賊みたいに歌うシーンなんかは見てるこっちが恥ずかしくなったけど、なぜかその世界観に段々と慣れた。個人的にはステージ3タケムラのシーンが好きでした。
若干ぶっ飛んでる登場人物×現代カルチャー×音楽って感じなので、重いテーマに反して見やすい。
この映画は生死の重さは然程重要視していなくて、ゲームの様に自分の事は自分で進めて自分で決めていけって言う事が重要だったのかな?と思いました。

2019.21
gapa9ta59

gapa9ta59の感想・評価

3.8
何故だか悲しくない。
ポップで奇想天外な話の展開。最後まで抜け目がない。4人の共通点はこの世に希望を持っていないこと。
まるでここはゲームの世界のように現実離れしてる錯覚に陥る。なんだか心地いいリズム感。なんだか心地いい話の展開。
日本映画っぽくない。ゲームのコントロールを手に取った少年の気持ちになる。
技術的にも話的にもこれどうやって撮ってるのと「えっ?えっ?えっ?」とビックリする映像のオンパレード。
絶対に話題になるであろう本作品‼︎メジャー作品ばかりみてると、こう言う良作品を見逃すことになるので、注意あれ‼︎‼︎
みなみ

みなみの感想・評価

5.0
絶望する世界の中、四人の勇者が旅を経て感情を取り戻し、大魔王という名の社会に立ち向かっていく。

誰だって、
この瞬間、自分が生きてるか死んでるか
分からないけど、それでも、生きてんだよ!!!

だから、
生きてるくせに、死んでんじゃねぇよ。
ダッサ。

前作『そうして私たちはプールに金魚を、』を長編化させたかのように、中島哲也監督を彷彿させるサイケデリックという名のフレーズを超えた「クレイジー」と、圧倒的なビジュアルとBGMセンスを誇る「クリエイティビティ」かつ繊細で「トラジック」な作品へと見事に転換させた。

エモい!!!

また、キレキレな音楽とビジュアルや絶妙で知識が問われるギャグの連続で、物語が一見、単調かつループしているかのように感じてしまうかもしれないが、それこそ、「RPG」であり、まさしく我々の「人生」なのだ。天才映画!!
ニトー

ニトーの感想・評価

2.5

このレビューはネタバレを含みます

フィルマークスの日本初号試写会にて。
監督もキャストも一切知らない状態で観ました。まあ今回が長編一作目ということらしいので私のような無知蒙昧な愚者が知らないのも仕方ないのですが。

しかし長編初監督作品にしてはバジェットが結構ありそうなクレジットの長さだったんですけど・・・と思って調べたらウィキペディアの経歴を見て納得。だから電通がサポートしてたのね。

そのあたりも含めて私がこの映画に抱いているものに繋がっている部分も無きにしも非ず、なのでしょう。ほとんどやっかみ、みたいなものですけど。

でも多分、監督の経歴とこの映画が持っているある種の不誠実さ(無関心さ?)というのは決して乖離しているわけではないと思う。

それも含めて書いていく。

 

 

今回の試写会が本邦初公開ということもあってか、上映後に監督のトークショーがありました。

映画本編を観ていても思っていたんですが、登壇した長久允監督を見て「あ~どうりで自分と肌が合わないわけだ」と感じました。無論、人を見た目で判断してはいけないというのは小学生レベルの警句であり、こんなことを書く私は偏見塗れの屑なので決して見習わないでほしいのですが。

まあ一言で言えばウェーイ系とかパリピっぽい見た目、ってことですね。

 

トークショーの形式として進行役の人が最初にいくつか質問を投げて、それから観客の質疑応答という感じでしたので、その質問と回答を簡単に箇条書きしておきまする。

 

・アメリカでの上映時は冒頭の煙突パスタで爆笑。新しい形のブラックユーモアとして受けた。

・ドイツでは逆に哲学的に捉えられた。質疑応答では「死」についてどう考えているのかと問われた。どう答えたか、などは言明せず。

・この映画を作ったきっかけとして、着想として青い鯨の事件が世界的に起こっていて、子供が絶望する世界に対してその逆にユーモアだったりで肯定的に生きる子供を描きたかったとのこと。絶望的な状況でも絶望しない人を描きたかった。「絶望とか、ダサ」とか。

・音楽はエモの証左的に使っている

・歌が上手くなりすぎるとアレなので歌だけは練習の前に録音したものを使っている。

・劇中のPVはiPhone撮影。カメラマン?の後ろに池松君を配置。

・小ネタの引き出し(タコの知能は3歳児並み、とかの)は普段気になったことをメモしていてそれを使っている。

 

と、まあこんな感じでしょうか。

質問者は大体、この映画を好意的に捉えていて、そのうちの一人の女性がめちゃくちゃ感動していました。あとこの映画の製作に携わった会社に勤めている人がいて、その人が「自分がかかわりたかった~」とか言っていたのが印象に残ってます。

私のような猜疑心の塊な人間は「仕込みか?仕込みなのか?」と邪推しちゃうんですが、別にそういうわけではないと思います。

ただ「盆唄」のときのように監督に真正面から否定的な意見をぶつける人を見ていたので、まあそういうのがレアケースだと分かっていてもみんながみんな全肯定していたのはちょっと居心地悪かったです。

 なぜにWHY?

そりゃあなた、私がこの映画に否定的な意見を持っているからですよ。

 

とりあえずあらすじをば



両親が死んだ。悲しいはずなのに泣けなかった、4人の13歳。
彼らはとびきりのバンドを組むと決めた。こころを取り戻すために—

出会いは偶然だった。よく晴れたある日、火葬場で出会った4人。ヒカリ、イシ、タケムラ、イクコ。
みんな、両親を亡くしたばかりだった。
ヒカリの両親はバス事故で事故死、イシの親はガス爆発で焼死、
タケムラの親は借金苦で自殺、イクコの親は変質者に殺された。 
なのにこれっぽっちも泣けなかった。まるで感情がないゾンビみたいに。

「つーか私たちゾンビだし、何やったっていいんだよね」 
夢も未来も歩く気力もなくなった小さなゾンビたちはゴミ捨て場の片隅に集まって、バンドを結成する。
その名も、“LITTLE ZOMBIES”。
やがて社会現象になったバンドは、予想もしない運命に翻弄されていく。

嵐のような日々を超えて、旅のエンディングで4人が見つけたものとは―



 

公式サイトを見ればなんとなくわかるんですが、こういうところにも本編にも随所にファミコンとかゲームボーイみたいな8bitな映像が使われていたり、明らかにRPGを意識した俯瞰映像やSEがあったりして、レトロゲームを意識した映像・編集が結構ある。CGも結構使っていたり空撮なんかも結構あったり水中(ていうか水面下)撮影もふんだんにあったりして、「あ~予算が結構あるんだろうな」と思わせる映画でした。

14(5?)くらいのチャプター形式になっているのですが、それぞれのチャプターの開始時は全部ゲームのドット画面で表現されてたりします。マリオで次のステージに行く感じのアレ。分割しすぎて時間の連続性が希釈されて短編のオムニバスを数珠繋ぎにしたようで逆にわかりにくなってないだろうか、と思ったり思わなかったりもするんですけどね。

章立てって、小説とかマンガとかならいいんですけど、映画みたいな時間を扱うメディアでそれを小刻みにやられると逆に混乱するんですよね。途中で巻き戻しとかできないんで、映画は。

とにかく、そういうポップな映像や編集をこの映画はスタイルとしている部分は大いにある。

 

前半部分は割と楽しんで観ていたとは思う。ヒカリのモノローグはほぼほぼ自分の考えている(いた)ことと通じるし、何か空間を見つけてそこに何かを見出す白昼夢や坊主の般若神経が何言ってるかわからないとか(あれは葬儀体験者あるある)、退屈なときに別のことを考えてしまうこととか。

へその緒の「生まれてきてよかったね」からの「生まれてこなきゃよかったね」のくだりとか、掛け合いで笑える部分は結構ありましたね、そういえば。そういう部分をもってブラックなユーモア、というのはまあわかる。菊地成孔のくだりとかも笑えましたし。ただその笑いの感じも「トリック」とかああいうドラマ的な笑いに近い気もするんですが。

あとロケがすごい良い場所を選んでるなぁ、と。いいなあ、どこだろう、あれ。よく撮影の許可下りたなぁ。

 

一つ気になるのが、両親の葬儀シーンとラストのシーンから考えると、劇中の出来事は全部(両親の死以外)ヒカリの白昼夢だったのかもしれないのでは、ということ。虎が現れたのも、その布石みたいなもので。劇中で描かれることがあまりに都合よく(そして現実離れして)映ってしまうのも、頭の中の出来事だからなのかも、ってな具合に。

それが事実なら、ちょっとタチが悪い気がしますが。

「あれだけバカ騒ぎしておいて、結局は夢落ちでした」っていう作品は映画を問わず色々ありますが、現実や夢落ちという展開そのものの踏み台として描かれる「夢」っていうのがあんまり好きじゃないんですよね。

夢ってそういう前座のためにあるわけじゃないでしょ。夢とか妄想とか空想とか、もっと言えばフィクションていうのは現実に抗いうるものとしてあるんじゃないの? 少なくとも作り手がそれを信じていない創作物をどうやって信じればいいの? ってな感じに。

夢落ちのように見せかけて「夢か現か・・・」という映画が語られやすいのは、それが現実に着地していない不安を掻き立てるのと同時に、描かれた夢が現実を侵食しうる逆転の構造を内包しているからじゃないの? 「インセプション」でも「トータル・リコール」でもなんでもいいけど。

それをあんな形で収束させてしまうのは、あまりにフィクションというものに対して不誠実じゃまいか。意図がどうあれ、ほとんどエクスキューズと化していないだろうか。

 

ヒカリくんが本質的に破滅願望のゴス少年なのであれば(劇中では、そのニヒルな側面は反語的機能を背負わされているにすぎないが)、あのラストに帰着するのもわかる。「ま、こんな都合のいいことなんて起きないけどね」と。そういった構造を、ああいう帰結として閉じるのであればブラックなユーモアとして受け止めるのはアリだ。

とはいえ、これはどう受け取るかという受け手の主観に依拠している部分が大きくはある。ゴスよりな思想を大事にしている自分からすれば、そっちに傾倒してしまうというのはあるだろう。

だから、両親の死という現実に直面してヒカリなりに前向きに妄想したものが「リトルゾンビーズ」の物語であるならば、そういうつもりで描いているというのであれば納得もできる。

けれど、現実に引き戻されたヒカリくんの顔は真顔だった。そんな彼の顔を見て前向きになれるだろうか。ちょっと難しい。

映画というフィクションの中でリトルゾンビーズというフィクションを描いているのだとしたら、あの終わり方は結局のところ現実に屈服したようにしか思えない。

あのラストだけは省いてもよかったと思う。「ウィーアーリトルゾンビーズ」を劇中劇的に描かれたものではないと明言した方が、フィクションというものに対して誠実な態度だと思う。

 

でもね、たぶんそこだけじゃないんですよ、この映画が嫌な理由。

現実と空想、あるいは生と死というものを並べ立てて、どちらかをどちらかの踏み台として、前フリとして描いているのが許せないのだと思う。

この映画で描かれる死は恐ろしく軽い。それは黒沢映画とか北野映画とかのような渇いた無機的なものとか、バーホーベンみたいなニヒリズムなブラックユーモアにも至っていない。

両親は死んだ。その死に何も思わなかったとヒカリはいう。これが反語としての機能を担っていることは先も触れたわけですが、反語として機能させるには「死」というものを誠実に描かなければならないはずだ。そうでなければ「生」の肯定を描き出すことなんてできない。いや、それなしで描いてしまったがために、この映画は欺瞞的になってしまっているのでしょう。

 

さもありなん。それらの要素をスタイルとして消費しているに過ぎないのですから。それが、この映画が浮薄に見えてしまう理由。



たとえばゾンビ。

そもそも、なんでゾンビなのか? それはゾンビがポップカルチャー化してきているからでしょ。ゾンビっていうのは身体の変質そのものなんだけど、リトルゾンビーズにとっては感情のない人間をゾンビってことになってるらしい。

ゾンビが思考停止しているのは、それに先立って身体が変容しているから(あるいは逆説的に、ゆえに身体が変容してしまった)だと思うんだけど、そういう意味じゃ結局ゾンビじゃないんですよね、彼ら。まあそこは中学生特有のノリと勢いであって、いっそ清々しいくらいなんですけど。

問題は、そのゾンビという概念に対して不誠実であるところ。ゾンビでもない奴がゾンビを名乗るなんてゾンビに失礼だと思いませんか?! え、思わない? まあそうでしょうね。でも私は思う。ことに、「ライフアフターベス」を通過してきた今となってはなおさら。

あのヘドラみたいな衣装を着せられて歌わされる姿をもって彼らをゾンビと形容することは不可能ではないのかもしれないけれど、しかしそこで描かれた社会問題的なものは別にそれ以上何かに繋がるわけでもない(ヒカリの白昼夢オチというのは、図ってか図らずか知らないけれどこういう不誠実な部分のエクスキューズにもなっている、という意味でタチが悪いのです)。

この映画を観ていて、ツカシンを思いだしたのは多分そこらへんに起因している。

身体の変質を描くのであれば、ツカシンの「鉄男」みたいに徹底的にグロテスクで野蛮にして見せてほしい。いや、あそこまでグロくしなくてもいいけれど、身体の変化を伴わないゾンビってゾンビに対して失礼でしょう。

それが誠実さってやつだと思う。白状すると「鉄男」は全編観たことはなんだけれど、それはあまりにあの変容する姿がグロテスクで怖いからだ。そういう怖さとかグロさとかいう描かれるべき野蛮さがこの映画にはない。

現実の不条理さや残酷さグロテスクさを表面的に描いた気になって、その実は何も描いちゃいないのに「死んじゃだめだよ」「前向いてあるこうね」「生きろ、そなたは美しい」なんてご高説垂れたところで、「本物の闇を経験した俺からしたらおままごとにしか思えんこういうのは俺らみたいな闇系に任せてのほほん日常書いとけばいいと思う。圧倒的に暗い経験がたりない ガソリンの味とか知らんだろ?」ってなレスが飛んできますよ。

長久監督がこの映画を撮ろうと思ったきっかけは素晴らしいことだと思う。そういう前向きな姿勢を、私のようなネガティブで自己評価が低くて厭世的なくせにプライドが高いゴミカス以下の人間を蹴り飛ばして維持してほしいと思う。

でも、そういうセンシティブな問題を扱うのであればナイーブ(原語的な意味で)なままでいちゃいけないんですよ、たぶん。

私だって人のことをとやかく言えた立場ではありませんよ。でも、バカなりに色々と考えますよ。だから結局は石橋を叩いてたら人生終わってることになりかねないんだけど。

でも、生を肯定的に描くのであれば死について考えを巡らせなければいけないことはわかる。

そもそも、死んじゃいけないっていうけど、そういう人たちって本当に「死」について考えたことはあるんだろうか? どうして「生」が「死」よりも偉そうに語られるんだろうかって考えたことはないのか? カヲルくんも「生と死は等価ちなんだ、ボクにとってはね」と言っておりましたけど、そんなに「生きる」ことって偉いことなの?

こんなこと書いてますけど私自身は死にたくなんてないし、精神が疲弊して自殺してしまうような人たちにもどうしてそれを選んでしまったのかと考えることはある。

自殺する人にとっての「死」って、ある意味では救いなんじゃないの? どうして「生」物としての在り方を捨てて死のうとするのか。「死んじゃいけない。生きてほしい」と思うのならば、彼らが死に向かうその原因であるはずの社会や他者というものを描くべきじゃないの? それを描かずして「生きてほしい」なんておかしくない? それって生きる強さを持つ人の不遜じゃないの?

 

だから、リトルゾンビーズの両親の死はその問題を提起しない。事故って死亡、ボヤで死亡、自殺、他殺。彼らが行う死因ゲームなる言葉遊びと同じくらいに、親の死に意味がない。「死」は描かれているようで描かれていない。感傷的な感情を惹起するための場面として以外は。

両親の死というものが世に溢れるレイプでお手軽に悲惨さを演出する感覚と似ている。ゾンビーズが(この映画の宣伝的に言えば)心を取り戻すためだけに、「死」がものすごく軽く扱われる。

生きることを選ぶために「死」を蔑ろにしちゃあ本末転倒ですよ。

 

どことなくエヴァっぽいモンタージュといい、これは伊藤の指摘したエヴァ以降90~ゼロ年代のアニメに通じている。あと多分、園子温のようなテンション・編集をスタイルとして消費してもいるのでせう。あの人の作為性は正直言って嫌いなんだけど、それでもあの人の映画は描こうとするものに対して誠実ではあるはずだ。でも、この映画はそのスタイルだけを切り取っているから、私の嫌いな部分だけを抽出して使っているから、余計にこの映画が好きになれないのだと思う。

 

「俺は自殺するやつが嫌いだ! 死ぬなんて馬鹿じゃねえの! だから自殺するやつを徹底的に批判的に描いてやる!」そういう熱量を持った怒りや反意ですらない。わかったふりして何かを語ろうとする、その騙りが鼻持ちならない。まるで詐欺師のようなやり口じゃないか。

だからこの映画で描かれる孤独とか死とかメディア・資本主義批判っぽいものは、恐ろしいまでに形骸だ。描かれる資本主義とそれに連なるメディアや大人の悪意は、この映画そのものがまさにそれを体現している。それを理解したうえで堂々としているのであれば、これまで書いてきたことは前言撤回するけれど。でも、たぶんそうじゃないでしょう。
ホームレスの描き方にしたってそうですけど、投げっぱなしジャーマンが多すぎませぬか。

ポップな手触りで反逆の狼煙を上げ、楽観主義者が「自死」を否定的に語るという無礼さ。

 

「エモとか、ダサ(反動形成)」

このセリフにすべてが現れてる気がする。

大げさなポーズで深刻じゃないふりをして自己批評的で批判的な(それすらポーズなんじゃないかと思えるけれど)体裁を取り繕う。

そもそも、エモいという言葉があらゆるディテールをそぎ落とし単純化し曖昧な感覚的な感覚のみに寄りかかった共感を通じてしか機能しえない言葉なのに、それをこんな風に使うことが浅慮なのではないですか? いかにも広告的だと思いますよ、あたすは。

「エモい」と発する池松君の馬鹿ムーブ(池松くんの演技自体は最高です)なんか、まさにその体現なんですけど、それも結局は肯定するための前フリでしかない。ほとんど反知性主義(ホフスタッターではなく昨今の日本での使い方としての)だよ、これ。

それが間違っていた、ていうのが今の日本なんじゃないんですか? 

なのに、それを棚上げして「生きることは素晴らしいことなんだ」って突き進んじゃっていいんですか? そんなの欺瞞以外の何物でもないでしょ。

 

まあ仕方ない。だって社会問題を突き詰めて考えようとしてるわけじゃないもの、この映画。わたくしがないものねだりでしてるだけだから、しょうがないよね。映画に罪はないですよ。

私がねちっこいひねくれ者なだけですから。





 

なんかいつになく嫌悪感丸出しになってしまいました。

とはいえ、LOVE SPREADを知ることができたのは大きな収穫でございました。

チップチューン?な音楽といえばYMCKくらいしか知らなかったものですから、こういう形でもなければ知ることはなかったでしょうし。

サントラは多分絶対買うと思う。

それくらい音楽は良い。とはいえ映画本編が本編だけに、資本主義的搾取の構造におのずからずぶずぶと入り込んでしまっているような気がして抵抗感が生じてしまっているのですが。

しかしピエール滝の一件でも散々言葉を割かれたように作品そのものに罪はない、ということで劇中で使われている音楽には罪はないわけであります。

そんなこと言いだしたらファミコンのシルバーサーファーとか擁護のしようがなくなりますからね。

そんなわけでサントラの発売が待ち遠しいのであります。