愛と闇の物語の作品情報・感想・評価・動画配信

「愛と闇の物語」に投稿された感想・評価

yosuke

yosukeの感想・評価

3.2
イスラエル問題を理解しようと思ってみたが、少しは歴史的な内容もあるが、殆どはユダヤ人とはあまり関係ない話ではあった。
戦争や差別はいつになったらなくなるのだろう
これだけ世界の人達がつながって飛行機で行き来出来る世の中になったのだから同じ地球に住んでいる仲間という考えはできないんだろうか?
hiropon

hiroponの感想・評価

3.8

2015年 イスラエル アメリカ の合作製作
〜 イスラエルに移住してきた ユダヤ人
一家 を描く歴史ドラマ __ 🇮🇱🇺🇸

イスラエル人作家でジャーナリストのアモ
ス・オズが綴った自伝的小説が原作である
ので 終始当時の戦中の重たい陰気な雰囲
気や日常を 醸し出された内容の作品である
と感じます 〜 …… 🤷🏻‍♀️💥✨

その反面では 映像や引き込まれるシーンや描写は 本当に素晴らしいと 当時を見せられる作品だと 僕は思います …… 👏🏻😌✨

本作はイスラエル人女優である ナタリー・ポートマン が監督 脚本 主演を務めていると言うことで 僕は観たかった作品でした …… 👏🏻😌✨

ユダヤ人の血を引く彼女が エルサレム☆が本当の家だと発言していることからも 本作の意味や意義を 表現したかったのが分かる メッセージの様な作品であると 感じさせられたりします …… 🇮🇱🥹✨

作品内でも 巧みなヘブライ語を話す ナタリー・ポートマン と その映像からも 彼女の本当の先祖への悲しい事件や深い思い そして国や誇りも詰められ描かれた作品である様に感じます 彼女のファンであれば より深く理解できるのではないかと思ったりします …… 👏🏻😌✨✨



✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
犬

犬の感想・評価

3.2
純真

1945年、英国統治下のエルサレムで父アリー、母ファニアとともに暮らす少年アモス
一家は迫害から逃れるためヨーロッパから移住してきたが、母のファニアは戦争の恐怖から心に影を落としていた
そんな中、ファニアは冒険物語を創作しては息子のアモスに語り聞かせていた……

ナタリー・ポートマンが監督・脚本・主演を務め、イスラエルの作家でジャーナリストのアモス・オズの自伝的小説を映画化した歴史ドラマ

言葉

母の話

現実と空想
映像が良かったです

暮らし
時代を感じる

過去
重たい内容

いろいろ勉強になる

結末はどうなるか

雰囲気ありました
レナ

レナの感想・評価

3.3
イスラエルの歴史を知るきっかけになる作品だとは思う。けれど、それに焦点を当てるのか、母の苦悩をもっと説明するのか、どちらもやや中途半端で見所が少ない作品になってしまっていると感じた。
イスラエルのルーツを持つナタリー・ポートマンがヘブライ語で演技し監督までするという新たな一面が見れた。彼女にとっては意義深い作品であることだろう。
のん

のんの感想・評価

3.0
たんたんとしていた。
過去に見てからの記録だから少し記憶が曖昧。
シ

シの感想・評価

3.0
ナタリーポートマンが監督、出演してる映画だったので観ました。
イスラエル建国前後のエルサレムに住む家族に焦点をあてた映画。
途中から戦争だったりで暗い感じになるが、ユダヤ人視点で描かれているのは面白いなと思いました。やはり、みんながユダヤ人の国を建国したいと思っていたのかと。ただ、ユダヤ人とアラブ人は共にヨーロッパ人に弾圧されたのにも関わらず、今日まで戦争状態なのはなんとも悲しいこと。仲良くすれば良いと思うが、さまざまな感情や宗教的な事情があるのは映画の中でも容易に想像できた。
最後のシーンでの言葉は、イスラエル建国の夢は叶ったが希望は戦争によってなくなり、夢も大したことなかったのかもしれないと言ってるような気がした。
ナタリーポートマンやイスラエルに興味があれば、是非観た方が良いと思います。
うーん、言いたいことはなんとなくわかるんだけど、いまいち伝わらない。
sawady6

sawady6の感想・評価

3.3
夢見がちで物語を作るのが得意な彼女は夫と子を持ち幸せに見えたが、残酷で血生臭い現実が彼女をくすませていく

ユダヤ人迫害とパレスチナ問題という時代の波に翻弄され理想と現実が乖離していく女性を演じたナタリーポートマンは儚くもとても可憐で技量が素晴らしい

只、わしが史実をあまり深く知り得ていないので時世が変化する場面で戸惑ってしまった
民族間の心情等は日本人には分かり辛いが、本筋は一人の女性の苦悩の筈なのであまり難しく捉えなくてもいいかもしれんが

姑はどの文化でも口煩い
raintree

raintreeの感想・評価

4.0
視覚よりもヘブライ語の聴覚的な美しさに耳が喜んだ作品でした。脚本・監督・主演を務めたナタリー・ポートマンが、自身のルーツであるイスラエル文化のなかでもそうした「声」を描きたかったのであれば成功だったのではないでしょうか。様々な意味で面白く感じる作品でした。

原作はイスラエル人ジャーナリストのアモス・オズによる自伝小説『A Tale of Love and Darkness』ですので、そうした意味でも視覚より聴覚に訴えてくる「語り」になっていたのではないか。僕自身は言葉を職業的に扱っているわけではありませんが、日本語で話す語りがあのような美しさで他の言語圏の方に伝わったならと、いつもどこかで思っています。

また映画だから映像としての表現が最も上位にくるという考え方に対して、僕は懐疑的なのですが、それでもこの作品の映像は凡庸さに塗り固められていたように思います。それらしく撮ってはいるのですが「それらしい」だけであって、ですから天才たちがどのように天才であるのかがよく分かったように感じました。観て損をする映画などないことをつくづく思います。

ですがこの凡庸さを通してナタリー・ポートマンのことがもっと好きになりましたし、人としての敬意を抱くことにもなりました。ほんとうに頭の良い人なんだろうな。けれどその頭の良さが作品としての凡庸さに向かってしまったのではないかと、そんなふうに思えてなりません。



本作の舞台はイギリスによって統治されていた1945年のエルサレムからはじまります。その頃までのユダヤ人は(古代の歴史は除き)自身の国家をもたず世界中に分散して生活していたのですが、ナチのホロコーストに代表される第二次大戦中の迫害によって、祖先の地であるエルサレムに自身の国家を建設しようと身を寄せる人が増えてきていた(こうした動きはシオニズムと呼ばれる)。

しかしこの地にはアラブ系のパレスチナ人が先に住んでおり、イギリス統治下ではユダヤ人とパレスチナ人が混在する形で生活していたものの、統治しきれなくなったイギリスが国連にその居住区問題を丸投げするような形で1947年に「パレスチナ分割決議」が採択されることになります。ちなみにユダヤ人とパレスチナ人はともにアラブ系の民族ですが、ユダヤ人はヘブライ語を話し、パレスチナ人はアラビア語を話します。

その分割決議を不服としたパレスチナ人が、イスラエルを建国したユダヤ人に戦争を仕掛けることになるのですが、これが1948年から1949年にかけて争われた第一次中東戦争にあたります。やがてこの戦争にイスラエルが勝利することで、問題を抱えたままそれぞれの独立国となっていくまでを描いています。

このあたりの事情を正確につかまえるためには、中東からヨーロッパにかけての歴史全体を理解しなければならないのでしょうけれど、近い時期の原因としてはたとえば『アラビアのロレンス』でも描かれていたイギリスの「三枚舌外交」などがあります。『キングスマン』という非道い映画もそうなのですが、彼らの本質にはそうしたエゴイズムがあることをたぶん僕たちは忘れてはいけない。



そのイギリスからメイフラワー号に乗った人々によって作られた国家であるアメリカで成功した女優ナタリー・ポートマンが、自身の監督作品にイスラエル人ジャーナリストによる自伝小説を原作として選んだのにはこうした理由があるはずです。ですから彼女は彼女の魂の問題として監督したのだろうと思います。

映画に限らずあらゆる表現行為は、基本的に垂直思考から生まれているように思います。水平思考とはたとえばSNS上での「いいね」の数を成功とみなすような発想で、資本主義経済を持ち出すまでもなく大勢に支持されることはそれ自身で大きな価値をもちますから、水平思考そのものは悪いことではありません。しかしながらそうした行為や価値にあまりにもとらわれてしまうと、表現行為の核心にある垂直思考をまず間違いなく見落としてしまうことになります。

水平思考は気持ちや心に作用しますが、垂直思考は魂に作用します。

そしてこの作品もまた魂の問題として撮られた映画だろうと思います。原作者であるアモス・オズは少年期を通して目や耳や心に映ったものを、その個人的なまなざしで描くことによってイスラエルに生きるユダヤ人たちの魂に手を触れようとした。その手によって触れられたものをナタリー・ポートマンは描きたかった。

たしかに映像もストーリーも陰々滅々(いんいんめつめつ)としていますが、たとえばイギリス統治下でのパレスチナ人少女との交流や、イスラエル建国前に自作の物語を豊かに物語っていた母親の姿など、それらは平凡な映像を超えた音声的な美しさとして耳に残ります。

いっぽうこの映像の凡庸さを通して僕が感じることになったのは、アンドレイ・タルコフスキーの突き抜けた非凡さです。ナタリー・ポートマン演じるアモスの母親が物語った情景や様々に幻視したものを、もしも彼が撮っていたならと思わずにはいられませんでした。そしてなぜ彼の映像にあれほどまでのテンションがかかっていたのか、なぜ空中浮遊しなければならなかったのかが逆説的によく理解できました。

ナタリー・ポートマンが撮りたかったものは、たぶん祖国の違うタルコフスキーが撮ったものだろうと思います。けれど彼女のルーツはイスラエルだった。
記録用
暗めな重たい映画。
知識がないと置いていかれる作品だった。
私は置いていかれた張本人です。

この映画を観た後にナタリーポートマンさんがレオンのマチルダだと知りました。素敵な女優さんだ
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