草間彌生∞INFINITYのネタバレレビュー・内容・結末

草間彌生∞INFINITY2018年製作の映画)

KUSAMA: INFINITY

上映日:2019年11月22日

製作国:

上映時間:77分

3.8

あらすじ

「草間彌生∞INFINITY」に投稿されたネタバレ・内容・結末

パワーもらえる映画だった🥳

友達からお勧めされていたんじゃけど、
集合体恐怖症もあり、直視出来るかな?て、
ヒヤヒヤしながらみた。

鳥肌は回避できた〜☺️

随分と前に、香川県に旅行に行った時は、誰の作品かも知らずに大きな水玉の🎃の中に入って写真撮影したわ〜😆

それにしても、壮絶な人生じゃね。
父が浮気性で、その事が理由で母から、あたられるって、意味不明なんじゃけど?

でも、そんな幼少期があったから?強迫性神経症やら、鬱になりながらも、好きな事に没頭していけたん?

有名になる為には手段を選ばず、情熱と行動力がとにかく凄い。単身海外へ行き、パトロンを捕まえたり、画家の爺さんと付き合ったり、ペニス椅子やら、裸にペィンティングやら、ゲイの結婚式やら。

女性というだけで、認めて貰えず、盗作ばかりされて、相手は成功とか、やるせないねぇ。

雑誌に掲載されても、近所の人が雑誌を読まんように、家族が買い占めて隠すわ、母校からは恥とされて除名されるわ。

紆余曲折あってからの、今。大成功㊗️
凄いものみたわ〜☺️

EDで口角が完全に緩んだわ。

女将は、絵心もなければ飽き性で、こんなに情熱を注げるものとは?

考えても、考えても、オシッコしか出てこん🌀
初のオシッコアーティスト👩‍🎨女将

高速道路の尿ペットボトルを回収してオブジェを作成🤭

怒りと興奮で、芸術が爆発じゃわ💥
て、その前に、尿ペットボトルが爆発しそうで、恐い💥
「故郷に錦を飾る」
この言葉で涙するなんて思わなかった。。

自分を虐げた故郷
トラウマが植え付けられた故郷

それでも生まれ故郷って特別なのね。。

着物を着て日本人を売りにしたり、権力者にアピールしたり商業的な努力をしてたのも驚き

そーだよね、そんなに綺麗事で行かないのがこの世の中だよね


今のカラフルでハッピーな作風になる前を知れた

やっぱ精神状態って顕著にあらわれるんだな。。

精神病院に入院しながら作品を発表してたのはびっくり。。

アンディ・ウォーホルやその他男性芸術家に革新的な作品を真似され、先に評価され…日本人でかつ女性が評価されなかった時代
そりゃ病むわ。。



「時代が彼女に追いついた」
この一言


どの時代の作品も大好き
よかった!

私は鞄に弥生ちゃんをよく付けているんだけど、思想だよ!っておもった。いや、重たすぎるね〜。

2年前に新国立美術館でみたeternal soul展でみたものたちの生まれたところをやっと見て知れた感じ。
すごくよかった。
久しぶりにとてもわかりやすいドキュメンタリーを見た気分。
  「草間彌生♾infinity」というタイトルに軽さを感じてしまった自分が恥ずかしい。確かに、原題の"kusama:infinity"に比べると日本語と英語を合わせ、さらに♾の絵文字まで付いている邦題タイトルに小っ恥ずかしさを感じずにはいられない。しかし、infinityという言葉は彼女の作品にある宇宙観、そして彼女の変わらない精神の表れである以上、タイトルに欠かせない言葉であったと思う。
    本作品では、現代最も成功している現代アーティストとして草間彌生を紹介していた。そして、彼女の歩んだ道をパッチワークのように写真、そして時代ごとの映像を組み合わせて構成し、その上から主に彼女を取り巻いたアメリカ人によるインタビューを重ねることによって描いている。写真や映像として明るさなどから草間の心情を描くのではなく、あくまで音楽を中心に表現しているところが映像として印象に残った。
    私は、この作品が今年、日本ではない国で作られたことには大きな意味があると感じる。日本では今年、SNSやニュースで大変議論を呼んだ「愛知トリエンナーレ」や、流行語対象にもノミネートされている#kutooなどの女性の社会進出における残された性差別の問題など芸術や女性の立場に関する様々な社会問題が起きた。これらの問題は、1957年アメリカに渡った草間彌生の画家としての飛躍を阻んだ性差別や人種差別と多く重なるものがある。例えば、作内でも紹介されている1966年のヴェネチア・ビエンナーレ。ゲリラ参加し、着物を脱ぎながら対抗しながらもその強い思想から強制退場させられた草間の姿は、人々のみならず県からも大きな批判や脅しをかけられ、一度は中止に追い込まれた「愛知トリエンナーレ」における「表現の不自由展」に通ずるものがある。また、草間による展示場のインスタレーションの革新的な工夫や、ソフトスカルプチャーの概念がアンディーウォーホルなど多くのアーティストに影響したのにもかかわらず、そのオリジナルである彼女が、女性そして日本人であるために評価されなかった背景も、現代日本における女性の社会進出問題と共通点が多くある。このように、彼女の50年前の苦しみは、今の日本にまだ強く残っているのではないだろうか。
    本作品では最後に草間彌生は、SNSの影響もあり現代で最も活躍する現代アーティストになったとポジティブに述べている。彼女は、アメリカから日本に一度帰国した際、日本の芸術レベルの低さを感じたと言っている。数々の差別や偏見を超え、結果的に日本でも成功した彼女は今の日本の社会、そして日本の芸術に対する立場をどう見ているのか、非常に気になった。
つい先日、草間彌生美術館に行ってきた。“生理的に”訴えかけてくる作品だった。

ここ最近、急激に美術館に行く機会が増えたが(というか、それまでほとんど行かなかった)、基本的に美術品を見ても、「よく分からない」と感じることが多い。「なんとなく好きだな」と感じるものも時々あって、そういうのを見つけられると嬉しいが、しかし、じゃあなんでこの美術品が良いと感じるのか、ということはほとんど言語化できない。

そもそも美術品というのは、ある程度知識を持っていることを前提に鑑賞する、という側面もある。そういう本を読んだことがある。「分からない」理由の一部は、「知識がないから」だ、という話だ。宗教画を見るためにはキリスト教の知識があった方がいいだろうし、現代美術の鑑賞には、その時代時代でどんな価値観が美術界にはびこっていて、その価値観を打ち破ったことに価値がある、というような捉え方をしなければ価値が伝わらないものも多い。

だから、「基本的にはよく分からないものだよなぁ」「知識をちゃんと持ってないし仕方ないよなぁ」という感覚を常に持ちながら、美術館に足を運ぶようにしている。

草間彌生美術館で感じたことは、それまで美術品に触れた経験とはまた違ったものだった。

草間彌生の絵を見ていて一番強く感じたことは、「生理的な嫌悪感」だ。「うわっ、なんか気持ち悪いな」という感覚が一番強くやってきた。それは、それまで美術品を見て感じたことのないものだった。

それが「嫌悪感」であるとしても、「生理的に」届くものは、凄く強い。あぁ、なるほど、美術品を見てこういう感覚があるんだと思ったし、恐らく、美術に関心を持つ多くの人は、僕が何も感じられない美術品からも、こういう「生理的な」感覚を得ているのかもしれない、と思った。

僕は絵を見ながら、「嫌悪感」の正体を知ろうとした。僕の感じ取り方は、「原初」を感じさせるモチーフが多いからではないか、ということだった。

僕が草間彌生美術館で見た絵には、「顔」「目」「細胞組織のような形」などが多用されていた。そもそも水玉模様も、「カエルの卵」や「細胞分裂した胚」などを連想させ得るだろう。そしてそれらは、生命の「原初」を感じさせるものだ、と僕は思う。




普段僕らは、生命の「原初」などというものについてあまり考えない。生や死など、生命の根幹を司るものは、日常の中でリアルさを失いつつある。出産は病院内で行われ、技術の進歩により、出産による死亡リスクも昔よりは大幅に減ったから、出産が死と隣り合わせであるというヒリヒリした感覚は減っているだろう。また、社会の中で死は巧妙に隠されるようになってしまい、そのことによって、ある種のタブー感さえまとうようになる。

そういう、「原初」に触れる機会が圧倒的に減った世の中で、芸術作品としてドーンと「原初」を見せつけられることで、「生理的な嫌悪感」が生まれるんじゃないか。

僕は草間彌生の絵を見ながら、そんなことを考えた。

さて、映画を見る前僕は、草間彌生についてほとんど知っている情報なかった。「世界的にも評価されている芸術家」という程度である。だから、勝手ななんとなくのイメージとして、「草間彌生は昔から世界的に高い評価を得ていたのだ」と勝手に思っていた。

しかしまったく違った。

なんと草間彌生は、1990年代頃まで、日本でも世界でもほぼ誰も評価しておらず、その当時既に「忘れ去られた芸術家」になっていた、というのだ。そのことに、僕は衝撃を受けた。なにしろ、戦後かなり早い段階でアメリカに渡り、様々に奮闘した挙げ句、性差別や人種差別のせいで成功できず、1970年代前半、失意の内に帰国した時、既に40代後半。この時点で、日本での活動は、まったくのゼロからのスタートだった、というのだ。よくもまあそんな状態から世界的な芸術家として評価されたものだし、そもそも、よくもまあ描き続けられたものだ、と感じる。

草間彌生は、長野県松本市に生まれた。種苗を行う旧家で生まれ育ったが、両親の仲が悪かった。婿養子だった父親は、そのストレスから女遊びが激しく、母親は草間彌生に、父親を尾行させていたという。草間彌生は「セックスが苦手だ」と公言しているのだが、その原点は、この子供時代の経験にあるのだろう、と語る者もいた。




またこの幼少期に、草間彌生の創作スタイルを決定づけた出来事がある。草間彌生は子供の頃から水玉の絵を書き続けていたが、母親はそれが気に入らず、度々絵を破り捨てたという。だから草間彌生は、「絵を早く描き上げなければまた破られてしまう」と考えたのだろう、という。草間彌生は、3日で一枚書き上げるペースである、「キャンバスの方が追いつかないぐらい」と本人が語っていた。

戦争を経て、草間彌生は、戦後相当早い時期にアメリカに渡った。芸術家に限らず、日本人としてはかなり珍しかった。彼女は、成功してやる、という明確な目標を持ってアメリカに渡ったが、しかし現実は相当厳しかった。当時のニューヨークでは、芸術家と言えば男性であり、女性が単独で古典を開くなど不可能だった。女性画廊でさえ、草間彌生に協力しようとはしなかったという。

そんな中でも、草間彌生は溢れる創作意欲でもって絵を描き続けた。それは、一部で大きな話題を生み出すが、やはり女性であること、そして日本人であることが邪魔をして、大きく評価されない。さらに、草間彌生が発表した独創的なスタイルを模倣したかのような男性芸術家の作品が世界的に高く評価されていく。それは本当に、屈辱的な経験だっただろう。彼女は、アトリエの窓を塞ぎ、アイデアが流出しないようにして創作を続けた。

それから彼女は、絵から離れ、「1500個のミラーボールをゲリラ的に美術館の前庭に置く」「裸のまま町でパフォーマンスをする」といった形で、自らの創作衝動を表に出すようになっていく。しかし、これはある意味で逆効果といえるものだった。アメリカでの彼女の“奇行”が、逆輸入の形で日本まで届き、「長野県の恥」「叩き殺せ」と言った激しい反応を引き起こすことになる。

こんな風にして、渡米してすぐに60年代に一部から受けていた「尊敬」は、70年代後半から80年代にかけては失われてしまっていた。40代後半で日本に帰国した彼女は、まったくのゼロから(というか、マイナスから)創作活動を再開する。

そこから彼女は、いくつかのきっかけを得て、世界的に評価されるようになっていく。そんな激動の人生を描き出す作品だ。

冒頭でも少し触れたが、やはり凄いと感じるのは、「それでもずっと描き続けている」ということだ。純粋に「描ければ幸せ」という人物なんだとすれば、当たり前かもしれないが、草間彌生は、描き続けたいという衝動と共に、成功するという強い野心も持っていた。彼女にとっての「成功」が、正確に何を意味するのか分からなかったが、ニューヨークで彼女は、画廊に飛び入りで絵を売りに行ったり、経済的に支えてくれるパトロンを探そうと必死になったりと、「成功」のために不断の努力をした。しかしそれは、彼女自身にはどうにもできない要素、つまり「女性であること」「日本人であること」によって叶うことがなかった。

その状態で、よく創作活動を続けられたものだ、と感じる。彼女の芸術家としての凄さについては、ちゃんと理解できている自信はない。しかし、「結局諦めなかった」という部分の、人間的な凄さについては、十分に理解できたと思う。

「諦めなければ夢は叶う」という言葉を、僕はまったく信用していない。「諦めないこと」と「夢が叶うこと」には、特に関係はない。しかし、「諦めれば夢は叶わない」は正しいし、「夢が叶ったのなら、諦めなかったということだ」というのも正しい。そして草間彌生はまさに、そういう人物なのだなぁ、と感じた。

草間彌生は長いこと、故郷である松本市を良く思っていなかった。そりゃあ、「迫害された」と感じても仕方ない扱いを幼少期からずっと受けていただろうから、仕方ないだろう。しかし、松本市に美術館が出来ることになり、そこに草間彌生の常設展が出来ることが決まると、草間彌生は、「やっと故郷に錦を飾ることができた」と語ったという。現在草間彌生は、世界で最も成功している女性芸術家だという。凄いものだ。

映画の中に登場する学芸員の一人が、草間彌生のある展示を見て、「ずっと見ていられる」と言っていたのが印象的だった。

僕もまったく同じことを、草間彌生美術館で感じたからだ。

「VIA AIR MAIL」と書かれたシールを、キャンバスいっぱいに貼り付けただけの作品がある。何故か僕は、この作品に囚われてしまった。自分でも、非常に不思議な感覚だった。一度その作品から離れ、別の作品を見るのだけど、どうしてもまた「VIA AIR MAIL」に戻ってしまう。別の階の作品を見た後も、また「VIA AIR MAIL」を見たくなる。芸術作品で、こんな感覚になるのは初めてだった。未だに、どうしてそんな感覚が生まれたのか、自分の中で説明ができない。

もうひとつ、面白かったことがある。草間彌生美術館の売店に図録が売られていて、その中に「VIA AIR MAIL」の作品もあった。しかし、それを見ても、先程作品を見た時のような衝動は現れなかったのだ。それまで僕は、美術作品なんか、別に写真とかで見て知識を得ればいい、と思っている部分もあったのだけど、その経験で考えを変えた。やはり、現物の前に立たないと感じ取れないものがあるのだなぁ、と思った。

そういう意味で、草間彌生は、僕の芸術に対する考え方・感じ方を変えさせてくれた人でもある。そんなタイムリーな時期に見たのもあって、自分の感覚に色々と突き刺さってくる、印象的な映画だった。
見た目のイメージからヤバイばばあだと思ってたけど本当にヤバイばばあだったのか、、、

昭和の嫌な生い立ちとかなるべくしてなったという感じもあるけど、そもそも意思の強い人でそれ故にボロボロになったりしてて、たまにいる「人生が映画みたいな人」だった。

水玉とか初期作とか立体物も良かったけどコラージュが一番好きだった。

草間彌生作品が常設されてる美術館、いつか行ってみたい。
ファンですから、もちろん鑑賞

でも最近のハッピーな絵の認識しかなく、来歴を知れて良かった!

そりゃ鬱にもなりますよ…
同じ時代の表現者にパクられ、そちらが評価されるなんて…
ありきたりだけど、時代が彌生ちゃんにやっと追いついた

今の彌生ちゃんも好きだけど、NY時代の彌生ちゃんも攻めててステキ
あんな人がいたら、ドキドキしちゃうー

映画は愛のあるインタビューでまとめられていてほっこり
ご本人もしっかりインタビューに応えていた
赴くままに行動してるのかと思ってたけど、ちゃんとプランや意図があった

表現するには、当たり前なことなんだろう
でもそれが「しなければならない」になるから、追い詰められる
天才が故…そこが凡人にはヒリヒリして、魅力なのだが

あのカボチャに会いに行こう
また展覧会開いてくれないかな…
あーNY時代の作品が観たいなー
Filmarks試写会にて。

もともと母の影響で草間彌生さんが好きなので、講義やテレビでドキュメンタリーを観たり松本市美術館にも足を運んだことがある為、今回の映画の内容の大半は観たことがあったり知っていることが多かったように思った。

特に、ミラーやソフトスカルプチュア、展示で埋めるように作品の写真を貼るアイデアの話のシーンが1番心に響いた。“女性”という立場やより著名な方がそのアイデアを使い自分を超えて話題になるなんて…美大にいる私にとってはその苦しさがひしひしと伝わってきた。

草間彌生さんがもともと好きな方が新たな一面を見たくて…だとあまり面白くないと感じるかも知れないけれど、“草間彌生”というアーティスト自身を新しい商業施設のオープ二ング作品として多くの方に知ってもらえることが何よりも嬉しく思いました。
自分はもちろん、90年代の再評価以降の活動しか知らないので、NY活動期についても、NHKあたりのドキュメンタリーで見て、「なかなか過激なことをしてたんだなー」くらいの印象だった。

が。

当時の状況をよく考えたら当然なのだけどとんでもない困難と苦難。

歪んだ家庭環境の中でのトラウマ、
女性蔑視の中での疎外感、
出口を求めて"身を賭して"渡った先でもまた性差別、
そしてさらに人種差別に合い、
そんな逆境で生み出した表現手法を盗まれ、
失望で帰国した日本でもまだ受け入れられず。

身を崩して精神を壊しても突き進むのは「絵を描く事でしか生きられない」から?

「私の中から溢れてくるのよ」なんて言う(それに似た事は仰っていたが)、呑気な事じゃなく。

絵を描く事が、生を回すこと。
絵を描く事で、生活のためという以上に自分の居場所を作ろうと必死なのだ。

地元松本の親友という方の語る"身を賭して"ということば以外に、絵を描く事に対する執着は表しようがない。

NY時代知る人が口々に「彼女はとにかく必死でした」と語っているが、NY時代に限らず、常に必死なのだ。生きることに。とおもう。

この作品を見終わって、彼女が今なにを感じて作品を作っているのか、なにか感じ取れた気がする。

今彼女が生きているこの時代に、今だからこそ彼女が表現する作品に触れられて幸せ。
Filmarks試写会にて。恥ずかしながら草間彌生さんについて、作品しか知らずに拝見しました。印象に残ったのは「目」。映画内には幼少期から現在までたくさんの写真や映像がありますが、まっすぐにこちらを見る草間さんの目は何かを見透かされているようで恐怖さえ感じました。自分の考えやトラウマを絵へ昇華しようとする意思の表れなのではないかと思います。自分の場合は何を持って自分の思いを表現しようとしているのか、そもそもそんなに強い思いを持っているのか?と考えさせられました。
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