残念ながら人生でほとんど身につけた事はないが(笑)、その名前は自分が小学生になった頃から既に知っていたピエール・カルダン。フランス映画好きとしては元パートナーだったジャンヌ・モローが出てきたのは嬉し…
>>続きを読むドキュメンタリーとしては見応えがなかった
「美女と野獣」
ベラールコクトーとコクトーはディオールと知り合う
コクトーとジャン・マレーは仲が良かった
ヴィスコンティ パゾリーニ 大巨匠たち
私は美男…
ピエール・カルダンは男性モデルを初めて起用したり、モデルの人種は問わず、典型的な白人モデルを好まなかった。
彼は多様性を重視した。
ファッションが存在しないソ連って何だ
ʕ º ᴥ ºʔそれは北朝…
このレビューはネタバレを含みます
ムッソリーニの台頭で生き辛くなったイタリアから2歳の時に家族でフランスへ移住。ナチから解放された頃にパリへ移り、オートクチュールの世界へ。パカン→スキャパレッリ→ディオール→独立
パカンではコクト…
デザインが出てくる度に目の保養
イマドキの骨格タイプなんちゃらよりも昔に人種、国籍、体格を関係なく誰にでも似合う服いわば"全人類服"をこの時から意識している先見の明がある人なんだなと思った
仕事に人…
ピエール・カルダンのドキュメンタリー。
100歳近くまでお仕事を続けられて羨ましい限り。
恋人がたくさんいたようだが、ジャンヌ・モローとの恋のくだりはとても切なく思う。
華やかなファッション業界…
四十半ばで歳のせいにしてチャレンジを怠るのはダサいから止めようと思った次第。
できない理由を探すのは容易だ。加齢は平等に訪れるからこそ、できない理由にもなりがちだ。
ピエール・カルダンになりたい…
© House of Cardin - The Ebersole Hughes Company